手段その15 天誅

「かんぱーい」


 カラオケルームでジュースで乾杯。

 透は清楚なまなみさんを気に入ったようで、そっちの隣に。

 俺の横にはあかねさんが座っていた。


「ねえハルトくん、彼女いないの?」


 ノリの良いギャルというのは得てしてこういう質問をあいさつ代わりにしてくるものだと、なんとなくアニメや漫画の世界から理解してはいたが実際にされるとちょっとドキッとするもの。


「い、いないよ」

「えー、いそうなのに。もったいなー」

「そ、そういうあかねさんは?」

「うち?いないいない。いないから来てるんじゃんーあはは」


 じゃあ俺だって彼女がいないから来てるんだよと言うと「男は女がいても遊ぶじゃん」と、なんともごもっともな意見を返された。


「あかねちゃん、こいつ彼女いないけどめっちゃかわいい妹いるんだぜ。しかも義理の。ヤバくない?」

「えー、マジ萌えるじゃんそれ!写メないの?」

「な、ないよ。それに義理と言っても家族だし」

「ふーん。じゃあ私も彼女に立候補しても問題ないんだ」

「え?」

「ジョーダン。マジウケるんだけどハルっち」

「ハルっち……」


 あかねさんは奔放な様子で、グイグイと距離を縮めてくる。

 俺はこの感じをどこか知っていた。


 そうだ。去年初めてうまく行きそうだった女の子とも、会った時からこんな感じで意気投合していた。

 だからいけると、そう確信していたわけだが結果的には音信不通。

 あかねさんも同じように、思わせぶりなだけなのだろうか。


「よーし、じゃあ俺とまなみちゃんはちょっと別室行ってくるから。そっちはよろしく」

「え、え?」

「頑張れよーハルっち」


 透は茶化すようにそう言ってまなみさんと部屋を出て行った。

 あいつは手が早いことでも有名だけど、まあこの流れでまなみさんをお持ち帰ってしまうのだろう。


 いやはやすごい奴だと感心していると、隣にいるあかねさんが耳元で言う。


「ねえ、私たちもどっかいかない?」

「え?」

「あっ、それともここで?ヤダー、それは恥ずかしいなー」

「あ、あの」

「ハルっちって良い人そうだしさ。よかったら私たち……」

「う、うん」


 こんな流れは初めてだ。

 でも、初めてだけど何となくわかる。


 多分告白される。

 どうしてか最近俺はモテ期に突入したようだ。初めて会った子で、しかも可愛い子からの突然のアプローチという人生で一回あればいいような出来事がこう立て続けに起きようとは。


 でも、このチャンスを逃す手もない。

 俺はあかねさんの告白に身構えた。


 その時。


 蹴り破ったかのように勢いよく扉がバーンと開く。


「お兄様、離れてください」

「な、渚!?」

「お兄様……その女は誰ですか?」

「え、ええと、いや」

「ちょっとちょっと、あんた誰よ。もしかしていってた妹ちゃん?」


 渚が部屋に飛び込んできた。

 その姿は華奢で小柄なはずなのに、随分と大きく、いや鬼のような存在感を出している。


 あまりに衝撃的な登場で俺は慌ててあかねさんから離れるように飛び跳ねた。

 しかし怒りに震える渚はぐいぐい部屋に入ってきて、あかねさんの方へ一直線に向かう。


「汚らわしいメス豚め。お兄様に近づくな」

「な、なによ急に。別に誰と遊んでてもいいでしょ」

「いいえ。お兄様は私のものです。あなたのような穢れた人間が触れていいはずがありません」

「な、なんなのよマジで。え、あんたハルっちのなんなの?」

「ハルっち……な、なんて馴れ馴れしい!死んで償え!」

「や、やめろ渚!」


 渚が振りかざした右手には、先日見た鉛筆が。

 慌てて渚を後ろから掴んで止めたけど、止めなかったら一体その尖った鉛はどこに向けて振りかざされていたのか。


 一瞬の出来事だったが、相手に与えた恐怖は十分すぎた。

 あかねさんは震えながら後退りしたのちに、「ご、ごめんなさい!」と叫びながら部屋を飛び出していった。


「はあ、はあ……な、渚。なんでここに」

「胸騒ぎがしたので」

「い、いやでも場所までよくわかったな」

「それは秘密です。それより、これはどういうことですかお兄様」

「あ、いや」


 まだ彼女の右手には鉛筆がもたれたまま。

 それをぎゅっと握る手は、握力で血が出てしまいそうなほど強く強く握られているのが、彼女の手の震えからもはっきりわかる。


 つまり、相当なまでに怒っている。


「ま、待て!その鉛筆は一回置いてくれ」

「お兄様、私とのお食事よりもあんな野蛮女との密会をお望みなのですか?」

「そ、そうじゃなくて……本当は透たちもいたんだけどどっか行っちゃって」

「では、あの女とは何もなかったのですか?」

「ま、まあ今のところは」

「今のところ?」

「な、ないない!別になんもないって」


 ぎろりと睨みつける渚のあまりの威圧感に俺は震えた。

 しかしその後、渚はソファに座り泣き出した。


「ひどいですわ……私というものがありながら、他の女とばかり」

「な、泣くなよ……」

「だって……せっかくお義父さまとお話して、二人でアパートに住む許可をいただいたというのに、お兄様がそんなのでは私たち、節度のある同棲生活が送れません」

「そ、それは悪かったよ…………ん?今なんていった?」

「え? ですからお義父さまと母が住んでるワンルームのアパートに私たちが引っ越してお義父さまたちはご実家に戻ってもらうと、そう話したのですが」

「いやいや何その話!?ワンルーム?同棲?そんなの」

「でもお義父さまからも『二人を信用してる』とお墨付きをいただきましたので」

「ば、ばかな……」


 これは帰ってから(というか渚に強制的に帰されたというべきか)親父に訊いた話だけど、優子さんがどうしてもワンルームだと落ち着かないので、引っ越したばかりだけど実家に帰りたいと、そう話しているのを渚から聞かされたそうだ。


 優子さんに確認すると、できたらそうしたいがわがままは言えない、なんていじらしいことを言われて悩んだ末に、実家に戻ることを決意。


 しかしマンションも借りたばかりで解約はできず、まだ新婚ということもありしばらくは二人の時間は持ちたいとも優子さんに言われたそうで、どうするか悩んでいた時に渚の方から「ハルトさんは真面目で一緒に暮らしていても私のことをきちんと妹として扱ってくれています」という話をされたことでこの話がまとまったそう。


 俺は自分が知らないうちに、渚と一つ屋根の下どころか一つの部屋で同棲するという状況を勝手に作り上げられていた。



 夜。先に引っ越し(というか出戻り)を済ませた親父と優子さんが家に帰ってきたので久しぶりに四人で夕食を食べた。


 二人は相変わらず仲が良さそうだ。

 時々俺と渚を見ながら「兄妹で力を合わせて頑張れよ」と、完全に俺を信用しきった様子の親父の視線が痛かった。


 明日からどうなるのか。

 そんな不安を抱えたまま、自分の部屋で過ごす最後の夜を特別噛みしめることもなくベットに寝そべる。


「お兄様、明日から新居にお引越しです。お荷物の準備を整えておいてくださいね」

 

 部屋の外から渚の声が。

 わかってるよ、とだけ返したが実際どうにかならないものかと未だに考えてはいる。


 親父に正直に打ち明けるべきか。

 人生で初めて、わがままを言ってこの家に留まるべきか。

 それとも家出して、透の家にでも泊めてもらおうか。


 どれも現実的ではなかった。


 親父にはやはり渚との歪なこの関係を話せない。

 今日もしきりに「ハルトが真面目なおかげで俺も新婚生活を随分満喫させてもらっている。ありがとう」なんて言われると、裏切れるはずもないし、がっかりさせたくもない。


 わがままを言うにしても、どうしてもこの家にいなきゃダメだという強い理由が見つからない。

 適当なことを言っても多分、渚に打ち消される。

 優子さんが家に帰りたいと話したことだって、きっと渚が裏で手を回しているに違いない。


 だから優子さんに相談は論外だし、透のところだってそう何日もはいられないわけで、時間稼ぎをしても渚の怒りを買うだけだ。


 手詰まりか。

 でも諦めたくはない。


 そんな葛藤を吹き飛ばすように、渚は最後に言い残す。


「お兄様、私は絶対にお兄様を逃がしませんから」


 俺の心は折れた。

 

 もう引っ越さないという選択肢は捨てた。

 言われるがまま引っ越して、その上で渚に抵抗する術を考えよう。


 何も策なんてないのに、問題を先送りにして俺は夢の中に逃げた。

 

 

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