手段その9 夫婦経営

「ハルト、渚ちゃんとはうまくやってるか?」


 翌朝のことだった。

 店の準備の途中で親父が家にやってきて、唐突にそんな質問をしてきた。


「ああ、別になんもないよ」

「そうか。いや、年頃の男女を二人で家に残してるのは正直心配だったんだけど、やっぱり父さんの息子だな。信用してるぞ」


 親父は基本的に俺のことを叱ったことはない。

 でも、なぜか俺も親父に叱られるようなことをするような人間にはならず、真っ当に真面目にこれまでの日々を過ごしてきた。


 だからこその言葉だろうが、それゆえに俺はやはり渚から迫られているなんて相談を、親父にすることはできなかった。


「じゃあ、明日は手伝いよろしくな」

「わかったよ」


 優子さんが店に入ってくれるようになったおかげで、平日の俺の手伝いは随分と減った。

 あんなにおっくうだった店の手伝いだけど、今となれば渚とずっと家にいるよりも店番をしてる方が楽だと思うのだが、そんなことを思った時に限って仕事の依頼がこないのでモヤモヤしていた。


 でも、明日は土曜日で久々に店に入る。

 だから休みとはいえ、渚と四六時中一緒にいるという状況は回避できそうだ。

 

「お兄様、そろそろ登校時刻ですよ」

「ああ、そうだった。じゃあ親父、また」


 渚と一緒に学校へ行くことの抵抗は薄れてきた。

 人間諦めが肝心というが、早々に彼女から逃れることを放棄した俺は、それでも彼女と恋仲になどなるつもりはない。


 やはり親父の信頼を裏切ることもできないし、そもそも渚と付き合ったりなどすれば、俺は高校生活での、いや人生での自由を全て奪われかねない。


 誰と会うことも許されずただひたすら可愛い義妹の顔だけを見続ける人生。

 そんなものにまだ踏ん切りがつくほど俺は大人でもないしそんなことを望むわけもなく。


「お兄様、週末はお店ですか?」

「ああ、だから忙しいし渚は友達とどっか行ってくればいいよ」

「ご配慮ありがとうございます。でも、特に予定もありませんしお兄様のお仕事風景を見させていただきます」

「そ、そうか。まあ、いいんじゃないか」


 そもそも渚は学校でうまくやっているのだろうか。

 言い寄られることは多いにしても、友達なんかはできたのだろうか。


 仲のいい人間でもできれば、それこそ俺への執着も少しは薄れてくれそうなものだけど。


「渚、仲良くしてるやつとかいるのか?」

「ええ。クラスの皆様はとても優しいです」

「そ、そうか。たまにはその子たちとも遊んだりしろよ。付き合いって大事だから」

「はい。でも学校でお話する程度で十分です。私はお兄様と一緒にいたいので」


 ニコニコと笑う渚が怖い。

 どうしてこんな何もない俺とそこまで一緒にいたいのか全くの謎だ。


 ……少し質問してみるか。


「なあ、どうしてそんなに俺がいいんだ?」

「お兄様は素敵です。かっこよくて優しくて笑顔が素敵でお仕事をされている姿は凛々しくて少し細身なそのお体も男らしい指も少し垂れた目も……他にもたくさんありますが言い表せません」

「そ、それはどうも……」


 恋は盲目、なんていうけれど実際その通りのようだ。

 自己評価ではあるが、決して何一つ突出したもののない俺をよくそこまで褒めちぎれるものだと感心すらする。

 

 一体渚の目には俺はどんな王子様に映っているのか。


「お兄様の本当の魅力を理解できるのは私だけです。だから他の女のいうことなんて信用しないでくださいね」

「ま、まあそもそもモテないし」

「いいえ、お兄様は表面的な部分でも魅力にあふれています。だから何も知らない女どもが寄ってくる可能性は大いにあります。でも安心してください。そんな汚らわしい俗物からは私が守って差し上げます」


 一体俺は何に狙われて何から守られなければならないのか。

 渚と会話していると先日までの平平凡凡とした日々はいったい何だったのかとすら思えてくる。


 でも、一緒に学校に到着して渚が教室にいくと、その平凡が舞い戻ってくる。

 ふう。毎日普通の学校生活で満足だったのだけど、どうしてこうなったのか。


「おはよう、昨日はありがとね」

「涼宮。すまん、昨日は先に帰って」

「あの妹どうにかならないの?ただの妹なのに友人と遊ぶなとか変でしょ」

「きっと転校したばっかで寂しいだけだよ。そのうち慣れるさ」

「だといいけど……ってあれ何?」

「え?」


 涼宮の目線の先を追うと、向かいの校舎から双眼鏡を持った誰かがこっちをずっと見ているのが肉眼でもはっきり見えた。


 まあ言わずもがな。渚だ。


「あれでも大丈夫って言いきれる?」

「はあ……でもあんまり刺激するな。お前まで巻き込まれることはない」

「じゃあちゃんと話してよね。一応さ、透とあんたとつるむのは嫌いじゃないというか、まあそれなりに楽しんでるんだし」

「わかったよ。週末ゆっくり家族会議だ」


 とは言ったもののどうするべきか。

 本来なら涼宮に相談したいところだけど、あまり彼女とは長く話せない。

 渚の嫉妬が爆発して涼宮にまで危害を加えそうになったらそれはそれで問題だし、だからここはあえて透に相談を持ち掛けることにした。


「なあ、渚が俺に好意を持ってるみたいなんだけどさ」

「何?おまえ、やっぱりそうなのか!」

「ま、待て待て。いや、わかんないけど仮にそうだとしたらどうやってかわせばいいんだ?」

「かわす?意味わかんないこと言うなよ。あんな美少女に迫られて断る男子なんてこの世にいるか。実の妹だったっていいくらいだぜ」


 すっかり渚信者に成り下がった友人にはこれ以上何を言っても無駄だった。

 確かに渚はルックスの面では申し分ないどころではない。

 それに家事も完璧、それでいて俺のことが好きだとか確かにこれ以上ない話だ。


 でも、それでも時には付き合ってはいけない関係というものも存在する。


 そう、義理とはいえ兄妹なのだ。

 そして親父は、俺たちが恋仲になることを望んでいない。

 だからやっぱり俺も望まない。


 俺はこう見えても親父には感謝してるし尊敬もしている。

 そんな親父の望みなら、やっぱり渚とは……


 結局あれこれ考えたが何も策は見つからず。

 今日は透も部活、涼宮も用事があるそうで渚と一緒に帰ることになった。


「お兄様。明日はお休みですね」

「ああ。でも夕方までは店だから。留守番頼むよ」

「お店はすぐお隣ですし大丈夫です。それより、お義父さまの迷惑でなかったら今日はお店でお食事しませんか?久しぶりにお義父さまのワッフルが食べたくて」

「そうだな。親父は俺たちが行ったらきっと喜ぶよ」


 こうしてそのあとは二人で店によって、親父の作ったワッフルとパンケーキを食べてから家に戻った。


 そのあと、渚はとてもおとなしく、何もしかけてくる気配もなかった。


 もうあきらめてくれたのか、とまでは油断できないが家の中だけでも距離を保ってくれているのは喜ばしいこと。

 だからあえて何も触れず、この日はおとなしく部屋で一人ゆっくりと過ごすた。



 ただ、翌日になって店に行くとどうして彼女が昨日おとなしかったのかが理解できた。


「お兄様おはようございます。今日は≪≪二人で≫≫お店頑張りましょうね」


 店の制服に着替えた渚が、満面の笑みで掃除をしながら待っていた。


 そう、今日は夕方まで店番なのだ。


 ただ。


 渚と二人で、だそうだ。


 

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