手段その10 共同作業
「ど、どうするんだよ?親父がいないと店のメニューは」
「大丈夫です。私、昨晩お義父さまにコーヒーの淹れ方などを教わりましたから」
昨晩大人しかった理由は、夜な夜な親父から店のレシピを教わっていたからだとか。
「いや、でもよく親父が了解したな」
「これまでずっと休まず働かれてきたのですから。たまには休暇を、それも新婚ですから母とお楽しみいただけるようにと思いまして」
理由だけ聞けばとても立派、というより俺にはできなかった素晴らしい提案だ。
でも、本当の理由は多分それじゃないことを俺は知っている。
「……それで、親父を休ませて俺たち二人で店番をすると?」
「ええ。お兄様とお店に立つのは夢でした。こうして二人でいると夫婦経営みたいですから」
「でも、レシピを教わったからって同じ味がすぐに出せるわけじゃ」
「大丈夫です。元々コーヒーには少々心得がありましたし」
などと話していると、開店前に既にモーニングのためにお客さんが並びだす。
慌てて看板などを出して準備をすると、朝から多くのお客さんが押し寄せてくる。
「いらっしゃいませー」
今日は親父がいないので、仕方なくなれないホール作業を。
オーダーを通すと、渚はまるでこの店でずっと働いていたかのような慣れた手つきでコーヒーを淹れる。
「お兄様、一番と三番のお客様に先にトーストを。あと、戻ってきたら四番さんにワッフルのセットをお願いしますね」
「あ、ああ」
親父と仕事をしている時よりも的確に指示が飛び、また彼女が料理を準備するスピードは尋常ではない程に早いため、俺の方が慌てながら朝のラッシュをやり過ごした。
一息つけたのは朝の十時過ぎ。
ここから昼までは一旦客の流れが落ち着くので渚に紅茶をお願いしてみた。
「はい、お兄様。お疲れ様です」
「ああ、ありがとう。……うまい!え、これも渚が?」
「ええ。紅茶は得意ですの」
この味は親父が作ったものそっくり。いや、むしろそれよりうまいまである。
この子、今すぐ店が出せるレベルだ。
「す、すごいな。親父なんて何年も修行したって言ってたのに」
「お義父さまの教え方が上手だったからです」
「そ、そうだとしても」
「お兄様のためなら私、なんでもできます。ですから渚を女として見ていただける覚悟はできましたか?」
「そ、それとこれとは」
隙あらば俺に迫ってくる渚に戸惑っていると、ガランと店のドアが開く。
その瞬間、接客業にはあるまじき雰囲気で渚が「ちっ」と舌打ちしたのを俺は確かにみた。
そしてその後すぐに「いらっしゃいませ」と笑顔に切り替わったのも。
……この子、どこまでが素でどこまでが演技なのか。
まだ謎は多い。
「お、渚ちゃんだー。ハルト、やってんなー」
「透?それに涼宮も」
二人が店に遊びにきた。
それはそう珍しいことでもなく、暇そうな時間帯にちょくちょく二人で来てくれる。
ただ、渚は二人の顔を見ると奥に引っ込んでしまった。
「なんだ、今日は親父さんいないのか。新しい奥さんとやらを見たかったのにな」
「新婚だからな。今日は休みだ」
「へー。それより、アイスコーヒーくれよ」
「私はワッフルセット。飲み物はオレンジジュースでいいわ」
二人が席についたので、奥にいる渚にオーダーを伝えようとキッチンに入ると、既に機嫌の悪そうな渚が、包丁を持ってジッと刃を見つめていた。
「え、ええと、渚?」
「あ、お兄様。どうなさいました?」
「あの、オーダーが」
「あのような輩、水でも飲ませておけばよいのですよ」
「い、いや一応客だし。アイスコーヒーとワッフルセットを」
「……そうですね。ここはお義父さまのお店ですものね。ごめんなさい、ちゃんとします」
「た、頼むよ」
吸い込まれそうに包丁を見つめる渚の様子は一体なんだったんだ?
とてつもない不安が頭をよぎるが考えないようにして、水を二人にもっていって少し談笑しているとすぐに渚からお呼びがかかる。
「お兄様、お願いします」
「ああ」
少し心配はしたが、ワッフルもジュースもコーヒーも普通だ。
特に変なものを混ぜられてる様子もないし、雑に作られた感じもない。
「お待たせ。どうぞ」
「これ、渚ちゃんが作ったのか?すげー、いいよなハルト、あんな義妹がいて」
「そう、だな。まあ」
透は目を輝かせながら渚の姿を目で追っていた。
しかし渚はその視線を避けるようにキッチンの裏に消えていく。
「ねえ、今日は二人で店番なんてよくおじさんが許したわね」
「結婚して、ちょっと変わったのかもな。それに歳だからそろそろ休まないと体がもたないと思ってたしちょうどよかったんだよ」
「でも、こんなことしてたらあの子、ますます調子に乗ると思うけどね」
「そ、それはだな」
「お兄様ー、ちょっといいですか?」
涼宮が機嫌悪そうに話していたところで渚からお呼びが。
今度はなんだと慌てて裏に戻ると、今度ははっきりと包丁を俺の方に向けて睨んでくる。
「あ、危ない、ぞ……」
「お兄様、あの女と話しすぎです」
「す、すまんつい」
「つい話してしまうほど、お兄様はあの女に夢中なのですか?」
「そ、そうじゃなくて流れで」
「それでは流されてあの女に抱かれても、ついと言い訳するのですね?わかりました、私がその流れを止めるべくあいつを」
「ま、待て待て!俺が悪かった。こっちにいるからその包丁、置いてくれよ」
「……渚は、寂しいのです」
「え?」
「お兄様と一緒にお店にいられるのに、全然かまってもらえなくて寂しくて、つい」
つい、と自分も言っちゃってるじゃんかと言いたくなったけど、まだ渚の手には包丁がもたれたままだったのでごくりと唾を飲んだ。
でも、悲しそうな顔をされるとどんな反応をとったらよいか正直困る。
少し悩んではみたが、渚の表情が晴れないので一応慰めてみる。
「あの、昼になったら忙しくなるけど土日は営業時間が五時までだから、終わったらゆっくり二人でお茶でもしようか」
「……二人で、ですか?」
「え、まあ」
「はい、嬉しいです。私、今日はその時の為だけに頑張れます」
渚は俺と二人で何かできるというだけですっかり元気になった。
こう見ると、可愛いところもあるというか、本当に俺が好きなんだなとわかってちょっとだけ嬉しいというか恥ずかしいというか、そんな気持ちにさせられる。
「じゃあお昼も頑張ろうな」
「ええ」
機嫌を回復したところで透と涼宮がレジに。
「ごちそうさん。渚ちゃん、お昼頑張ってね」
「え、ええ。ありがとうございます」
「ハルト、あんた今度はバイト代でなんか奢りなさいよ」
「わかったって。たまには還元するよ」
じゃあな、と透たちは手を振って帰っていった。
やれやれと、二人を見送りながら外を見ていると後ろから「二度と来るな汚らわしい」と、聞こえたような気がして振り向いたが既に渚はそこにはいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます