手段その8 鉛

「鉛筆削りはございますか?」


 俺が風呂から出てすぐに、なぜか渚にそんなことを聞かれた。


「ああ、俺の部屋にあるけど。でも今時鉛筆なんて」

「私、書き物をしたりお勉強をする際はいつも鉛筆なんです。それに、いざとなればお兄様にまとわりつく虫を駆除するためにも使えますし」

「む、虫って……蚊でも殺すのかな?」

「あら、お兄様ったらご冗談を。もちろん汚らわしい女どもを例えての表現ですよ」

「は、はは……」


 手に持った鉛筆は綺麗に削られていた。

 それ以上鋭利にする必要がどこにあるのかと訊きたいくらいだったが、まあいつものように何も言わず、俺は静かに食卓に。


 今日はハンバーグだ。

 

「うまそうだなあ。料理はずっとやってたのか?」

「ええ。母が仕事でいつも遅かったので家事全般は私がしてました」

「へえ。いただきます……うっま!え、お店の味だよこれ」

「よかった。お兄様が喜んでくれて私、私……感無量です」

「ちょ、ちょっと大げさだって……」


 隣で感涙する渚に戸惑いながらも、あまりのうまさに箸は止まらずあっという間に完食。

 毎日こんな料理が食べられるなんて俺は果報者だ、なんて思ってはみたけどすぐに鉛筆のくだりを思い出す。


「なあ、書き物って何か作文でもしてるのか?」

「ええ、私、むかしから小説家になるのが夢でして。今でもずっと執筆活動を」

「へー。文才もあるんだすごいじゃん。見せてよ」

「見ていただけますか?それでは食後のお茶をご用意したらすぐに」


 彼女の鉛筆の使用目的が凶器ではなくちゃんとしたものだとわかって少しほっとする。

 それに小説を書いてるなんて、やっぱり品がいいというか趣味や夢も知的で、どうしても渚が嫉妬に狂う女だとは信じられない。


 まあ、何回もあの執拗さを見せつけられたら認めざるを得ないのだけど、きっと彼女もどこかでそれがおかしいことだと気づくはず。

 小説を読めば彼女の深層心理が垣間見えるかも。


「お兄様、こちらです」

「うわあ、結構あるな」

「ええ、一生懸命書いてるので」


 原稿用紙が何枚あるかわからないほど積みあがっている。

 それを全て手書きで書いてきたというのだから恐れ入る。


「じゃあ、読ませてもらうね……ん?」


 小説のタイトルは『毒と薬』。

 この時点で不穏な空気が漂っていたが、設定も吹っ飛んでいた。



 主人公の女性は幼少より不遇で、いつか王子様と結婚することを夢見る健気な女の子。

 雨の日も風の日も、王子を一目見ようとずっと草葉の陰で見守っていて、なんなら王子の動向が知りたくて働いて得た金を全て衛兵に貢ぎ、内部の情報をもらいながら王子の様子を知る、そんな日々を送っていた。


 ある日、国の王子様が病気にかかったと聞きつけた。


 そこで彼女は考えた。もしその病気を治したら自分が王子にとって特別な人間になれるのではないかと。


 早速、町一番の薬師を四六時中付け回し、不倫の現場をおさえてゆする。

 そしてどんな病気もたちどころに治ってしまう薬を彼女は開発させることに成功、もちろんそれは自分の手柄としていただいた上に、衛兵を使って薬師を辺境の地へ飛ばしてしまう。


 そんなこんなの苦労があって手に入れた薬をもって王子様に会いにいき、見事病気が快復。その縁あって二人は結ばれましたとさ。


「う、うーんなんだこれ?」


 なんていっていられたのもここまで。

 続きを読むと言葉を失った。



 王子様が全快し喜ぶ主人公だが、病気でなくなった彼に自分は不要なのではと心配になり、毎日の食事に少量の毒と鉛を混ぜることに。

 そして体調を再び崩した王子は彼女の薬で回復。


 そうして王子は彼女なしでは生きられない体となり、彼女もまた何度も毒と薬を繰り返し王子に飲ませながら、二人仲睦まじく暮らしていったとさ、めでたしめでたし……


「…………え、こわっ!」

「どこがですか?」

「いや、最初からずっとだよ!なんで衛兵買収してんの?」

「だって、王子様が他の女性と仲良くしていては物語が台無しになるじゃありませんか」

「いやいや、薬師の人なんて弱味握られて脅された上に口封じで消されてるじゃん」

「不倫をしたような下衆な輩はそうなって当然です。打ち首にならないだけ優しい世界だと思いますが」

「え、ええとそれに肝心の王子様だって毒盛られてるじゃんか」

「だって……王子様は元気になったらどこで浮気されるかわかりませんし」


 うーん、これはもはやホラー小説なのか。

 魔女に見染められた王子の呪われた物語にしか見えないのだけど、彼女の中ではジャンルはあくまでラブコメなんだとか。


 やっぱり渚のやつ、思考が人とはズレている。


「お兄様、どうでしたか?」

「い、いやすごくよくできてるとは思うけど」


 なんと褒めたらよいかわからず曖昧に返事をしていると、渚が俺の隣に座ってグイッと顔を近づける。


「お兄様、よかったですね」

「な、なにが、だよ」

「私が、万能薬を作れなくて」

「へ?」

「もし私にそんな力があったら、絶対にお兄様には私なしでは生きられない体になってもらいたいと思いますけど。叶わぬ夢、ですね」


 夢。

 その言葉をそんな物騒な発想に使うのはやめてほしい。


 ただ、彼女はいたって真剣だ。

 そうできないことを心底悔しがっているのか、そうできないからこそのせめてもの抵抗なのか、俺に食後のデザートで出してくれたゼリーを一口「あーん」として見せる。


「い、いいよ恥ずかしいから」

「もしお兄様が毒で動けなくなった時は私がこうやって看病したいのです。一口、食べてください」

「……」


 まあこのくらいは可愛い義妹の戯れだと思おう。


 一口いただいたそれは、うまかった気がしたが味がわからなかった。


 それで満足したのか彼女は「洗い物はしておくので食べたらお部屋でゆっくりしててください」といって食器をもってキッチンの奥に行ってしまった。


 お言葉に甘えて、という感じで俺は部屋に。

 とはいってもいつまた渚が押しかけてくるか気が気でないまま、眠ることもできずじっと携帯で動画を見ていた。


 ボーっとする中でふと、ムラムラした時に一人でしたくなったらどうすればいいのか、なんてことを考える。


 しているところを渚に見られるのは嫌だし、見られたらそれは浮気扱いになるものなのだろうか?


 いや、そもそもあいつと俺は義兄妹なんだから浮気ではないが。


「お兄様、もうおやすみになられましたか?」


 部屋の外から渚の声が。

 咄嗟に返事をしようとして、やめた。


 このまま寝たふりをしていれば彼女も今日は諦めて自分の部屋に戻るのではないか。

 そう思って息を潜めていると、渚がまた何か言い始める。


「お兄様、体調はお変わりありませんか?」


 体調?いや、特に何もないけど、なんでそんな心配を? 


「今日のハンバーグですが、遅効性の毒を少々盛ってみました。命に別条がないならよいですが、体調が優れない場合は言いに来てくださいね」


 ……な、なんだって?


「私、その毒を中和する薬をお持ちですので。でも、心配しなくとも絶命する確率は数十パーセントですからお気になさらず。では、おやすみなさい」

「ま、待て渚!」

「あら、お兄様起きていらしたのですね」

「……お前、毒を」

「あら、全部聞いていらしたのですね。冗談です、何も入れてません」

「な、なんだ脅かすなよ……」

「それより、寝たふりだなんて意地悪なお兄様。そんなに私が来るのが迷惑でしたか?」

「え?」

「迷惑ですか?そうなんですね?なら、やはり明日こそは本当に」

「ま、待て待て返事するタイミングがなかっただけだから、迷惑じゃないから!」

「ふふっ、必死に弁明なさるお兄様も素敵。では、おやすみなさいお兄様」


 ぱたりと閉まるドア。

 その内側に一人残されるように立つ俺は、彼女にカマをかけられたのだとすぐに気づく。


 俺が寝たふりを決めていたことも、わかっていたということか。

 それに、もし彼女の機嫌を損ねたら今度こそ本当に毒を……


 い、いやまさか渚だって本気でそんなことは……


 少し寝苦しくなってきた夜の蒸し暑さのせいだろうか。

 俺の額から一筋の汗がツツッと垂れた。


 それを拭って、何も考えないように俺は電気を消した。

 

 

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