第176話 勇者の
この遺跡は神代から存在していた。
だが、遺跡自体は特殊な魔法により存続されていただけであり、そこに関わった人間たちはもう影も形もない。痕跡すらほぼ消滅している。
当然だろう。
人間種に属する存在は数百万年という時間に耐えられるわけがないのだ。それだけの長期間を生きられる存在はもはや人間ではない。
人類種であっても、人間種ではない。
現代最高の能力者の一人である『夢界』ルチア・ゾフはこれを『魔王』になれなかった死体であると読んでいた。
それは間違いではない。基本的に死体であり、生命としての役割は
ただし――。
+++
マクシムは古代遺跡に根を巡らせる『魔王(ただし、成り損ない)』を見上げながら首を傾げる。
「さて、どうやって解体しようか」
「可能であれば、マクシムさんの『
「それが無理っぽいんだよねぇ」
「では、燃やしてしまうのが次善なのです」
「燃やす……この遺跡全体に広がっているんだよね。危険じゃない?」
「ルチアの指示に従ってもらえば大丈夫なのです。安全に燃やし尽くす可能性は見えているのです」
そっかぁ、とマクシムは小さくつぶやき、納得する。
火種は作れるし、枯れ木はマクシムの能力があればいくらでも生み出せる。燃料さえ十分なら燃やし尽くすことも難しくないだろう。
そもそも、死体であれば『魔王』であっても怖くはない。
マクシムはふぅと息を吐く。
考えてみれば、それほど焦る必要もない。落ち着いてすべきことをすれば良いだけだ。
「じゃあ、やろうか」
「はいです――あれ?」
それまで余裕のある笑みをたたえていたルチアだったが、首を傾げて停止する。
「何かが、おかしい、です」
「いや、おかしいことだらけな気がするんだけど、何がおかしいのかな」
「この『魔王』は死体なのです」
「うん、まぁ、あんまり生きているようには見えなくなってきたよ。どう見たって動いていないし、あの根本も死体にしか見えないし」
「死体……? 死体です!?」
ルチアはそこでハッと気づいたように目を見開く。それほどまで驚いている理由がマクシムには全く理解できない。
「何か変だったかな?」
「ルチアは見落としていたのです」
そこでマクシムは死体に視線を送りながら言う。
「もしかして、あの根本にある死体のこと?」
「いいえ、死体ではないのです」
「死体じゃないって……」
ルチアは死体ではないと断言した。
だが、ほとんど原型を留めていないそれは死体にしか見えなかった。もう朽ちかけているそれは、元が男性だったのか、女性だったのか、老人だったのか、若者だったのかも分からない。
いや、そもそも、人間種であったかどうかさえも微妙だった。
たとえば、『魔王』の種の一部がそう見えるだけではないのか。『魔王樹ゴッズ』が元々人間の契約者だったとしたら、その一部が人間を模した形をしていても不自然ではないだろう。
人間と似たような形をした野菜なんて、マクシムは何度となく見たことがあった。
「いや、死体ではないってことは分かっているというか、死体という言い方が間違っているんだよね。あれは死体に見える『魔王』の一部なのかな? でも、『魔王』は死んでいるんだし、そんなに変でもない気がするんだけど」
「違うのです。違うのです。『魔王』とは違うのです」
ルチアは少しだけ停止した。
それはまるで、何かを見落としていたことに気づいたような顔だった。顔が青ざめている。
「ルチアは、低い可能性を見落としていたです? いえ、これは思考の隙……それも考慮しなければいけなかったのです」
それは独り言に近かった。ほとんど視界にはマクシムも入っていないようだ。
「あの死体は、いえ、死体に見えるですが、れっきとした人間なのです」
「ちょっと待って。『魔王』の種の一部が人間みたいに見えるだけじゃないの?」
「違うのです。あれは『魔王』の種に寄生された人間だったのです。『魔王』の種にはそういう性質もあるようなのです。つまり、寄生し、乗っ取るという性質です」
「え。寄生って……?」
つまり、『魔王』の種が、人間種と一体化しているということか?
「寄生された素体は現代の人間です。神代の人間が生きているわけがないからです。時系列を考えると、おそらくは勇者たちの誰かだと思うのです」
暗黒大陸にいた人間種は勇者がいた。いや、『魔王樹ゴッズ』を討った時にいた人間種は勇者しかいなかった。『魔王』は一体しか存在できないとすれば、種が成長する=本体がいなくなるタイミングがそこしかないという推理か。
正確な時代は分からないが、七十数年前に『魔王』の種に寄生された勇者がいた――つまり、どういうことだろうか?
「でもさ、寄生された勇者がいたとしてもさ、あれが死体であることは変わらないんだよね。そんなに驚く必要ないんじゃない?」
「ですです」ルチアは少し落ち着いた様子で「ちょっと予想外だったので驚いたのです。いえ、違うです?」
「違う?」
「あの勇者は、そんなやわな性質ではないです? つまり、あの勇者の正体は……」
ルチアは切迫した様子で叫ぶ。
「――逃げるです!」
「え」
それは逃げようとしたからだったのかもしれない。ただの偶然だったのかもしれない。
だが、信じられないほどの速度で、突如『魔王(成り損ないだと思われていた)』が広がった。
枝が、根が、葉が爆発的な成長を始める。
そして、その枝の一本がマクシムたちに向かって襲いかかってきた!
+++
ルチアが読んだ可能性は最悪の勇者の存在だった。
それは『魔王』の種に寄生された程度では自我を完全に失えない存在。
逆に、自分自身の野望を叶えるために『魔王』の種さえも利用してしまう強かさ。
『魔王』に浸蝕された肉体の持ち主の名前はフランチェスカ・ベッリーニ。
彼女は暗黒大陸に派遣された勇者たちの中で『案山子』に次ぐ殺人を行っている――凶悪な犯罪者である。
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