第175話 魔王は

 伝説の『魔王』が目の前にいる。

 かの英雄たちが討ったという『魔王』だ。

 いや、討たれた『魔王』が存在しているわけがない。。そもそも、話とは姿もサイズも違い過ぎる。


「…………っ」


 マクシムとしては息を呑むしかないし、動くこともできない。

 思わず不安からルチアの手を掴みそうになるが、さすがにそれは情けないので堪える。

 だが、それが分かっているようにルチアの方から手を掴んできてくれた。


「安心して欲しいのです。あれはもう死体なのです」

「死体……。だから、安全って言ったんだね」

「はいです」

「じゃあ、ほとんど安全って言ったのは、何か危険があるんじゃないの?」

「……あの『魔王』が本当に死んでいるのか、ルチアには完全に理解できないのです」


 それはかなりの問題な気がしたが、マクシムの心配を分かっているのか、微笑んでルチアは言う。


「ここは人体改造施設として、遠い昔に使われていたのです」

「うん。あ、今、ふと気づいたんだけど、『魔王』は人間だったんだよね。で、ここにいるってことは、つまり、改造された人間だったのかな」

「それがややこしいのですが、違うのです」

「違うんだぁ」


 ルチアは声を潜めて言った。


「『魔王樹ゴッズ』は『契約者』だったらしいのです」


 マクシムとしては首を傾げるしかない。


「『契約者』って、あの『契約者』? 上位存在と契約して、代償を支払う代わりに力を手に入れる?」

「はいです」


 マクシムがわざわざ確認したのは、『契約者』があまりにも当たり前に存在しているからだ。

 いや、もちろん、それが珍しい存在であることは知っている。だが、特別警備隊『士』の隊員なら知っていて当然だったからだ。


「『契約者』……『魔王』は何を代償に、どんな力を手に入れたんだろね」

「代償はルチアにも分からないのです。でも、手に入れた力は想像できるのです」

「手に入れた力……樹になったとこ?」

「いいえ、そちらは代償の可能性の方が高いと思うのです。もちろん、ルチアの想像ではあるのです」

「じゃあ、ルチアちゃんは何だと思うの?」

「おそらくですが、一種の不老不死です」

「不老、不死……あ」


 そこで目の前に存在する、巨大な樹――根元のごくごく一部だけ人間の形跡がある――に目をやる。

 これは『魔王』の子どもではない。

 『魔王』なのだ。

 そこから思いつく答えがあった。


「分かったかも。『魔王』は樹だ。ということは種があって、それが成長すれば、『魔王』になるってことかな。だから、あれは『魔王』の子どもじゃなくて、『魔王』そのものなんだね?」

「ですです」

「だから、一種の不老不死ってことか。でも、種で自分が生まれてもさ、それで記憶とか継承されるわけではないよね。その辺りはどうなっているのかな?」

と考えるのはどうです?」

「そっか。『契約者』ならなんだね」

「はいです。『魔王』は自分の中で種から自分を生み出せるとしたら、それは不老不死みたいなものだと思うのです」

「分かるけど、ちょっとどんな代償を支払えば叶うか想像できないよね」

「それはルチアも同感なのです。すごい代償を支払ったのだと思うのです」


 そこでマクシムはもう一つ気になっていることがあった。


「あのさ、ここって人体改造のための施設だったんだよね」

「はいです」

「でも、『魔王』はそれとは関係がないんだよね。じゃあ、?」

「ここが人体改造施設の研究も行っていたからです。つまり、『魔王』の研究も行っていたからなのです」

「意味が分からないんだけど……」

「遠い昔から『魔王樹ゴッズ』は存在していたのです。それこそ七百万年も前から生きていたのです。この施設はその時代からあったのです」

「うん」

「そして、種から自分の分身が生み出せるのです。では、そこで疑問です。種で自分の分身が生まれてしまうとしたら、自分が自分だとどうやって判断するです?」


 ルチアの疑問の意味がマクシムには分からなかった。

 自分が自分だとどうやって判断するか。

 そこでようやく気付く。

 種から新しい自分が生まれたとする。

 では、古い自分はどうなってしまうのか。

 新しい自分が生まれたから、古い自分がいなくなるわけではない。

 一般的な「子ども」とは違うのだ。


 そこで、マクシムは生まれる我が子のことを想った。

 まだ実感はないが、もうちょっとで生まれるはずだった。

 もう出産には立ち会えないだろうが、この件を早く終わらせたかった。


「マクシムさん」

「うん、何でもないよ」

「話を戻して結論を言うです。『魔王』はこの世に一体しか生まれないです。古い自分が生きている限り新しい自分は生まれないのです。これは『武道家』の継承ルールにも通じているです」


 ニルデの存在はどうなっているのだろうか? 

 マクシムは少しそう思ったが、彼女が特例なのかもしれないし、そもそも、死んだと思っていたくらいなので、蘇生した例外なんて普通なわけがない。


「待ってよ。じゃあ、どこかで『魔王』が生まれているってこと?」

「はいです。ただ、力を取り戻すのはこれから未来の話ですし、こちらの世界に害を及ぼす前に討たれるので気にしなくて良いのです」

「ちなみに、誰が討つの? 未来の『士』の誰かかな?」

「いいえ、『大魔法つかい』です。彼女はこちらの世界も、暗黒大陸もどちらも愛しているので、秩序を乱す類の力は見逃さないのです」


 『大魔法つかい』が何をしたいのかは分からない。

 だが、世界を大切にしているのは何となく理解できた。


「あ、そっか。この『魔王』が生きていないのは、別にどこかに『魔王』がいるからか」

「その可能性が高いのです。つまり、『魔王』は一体しかいない。ですが、種は存在しているのです」

「種は存在している。『魔王』にはならないけど、『魔王』になる可能性がある種ってことだよね」

「はいです。そして、『魔王』にならないということは、その種は基本的には安全ということなのです」

「応用的には危険なのか」

「ですです。 というか、安全という言い方が悪いのです。危害が加えられないだけで、危険だったのです」

「危害が加えられないけど危険? ちょっと理解が難しいよ」

「実は、この『魔王』の種は研究で消費されていたのです」

「研究で消費……?」

「人体改造をするために、何らかの因子が必要だったのです」


 マクシムはこの会話の流れでようやく理解できた。


「あ」

「分かったです?」

「うん。『魔王』は研究材料でもあった。つまり、ここはだったんだね」

「それ以外にも研究はあったと思うのですが、あの『魔王』がある以上、そう考えるのが自然だと思うのです」


 ルチアが解体したいと思った理由が、マクシムにもようやく理解できた。


「確かに危険な施設だったんだね」

「はいです。危険ということもあるですし、それ以上に――」

「それ以上に?」


 珍しくルチアは眉間にしわを寄せる表情だった。余裕のある美しい微笑を普段浮かべる彼女のそれは、苦悩ではない。

 嫌悪。


「ルチアが嫌いなのです」

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