第168話 想い出

 想い出のリボン。

 マクシムは何となく自分にも身に覚えがあるような気がしていた。

 振り返るほどではなく、すぐ目の前の少女に思い当たる。


「昔、僕もルチアちゃんに誕生日プレゼントでリボンあげなかったっけ?」

「貰ったことないのです」


 ルチアはむぅ、と不平そうに睨んできた。誰と間違ったのです? と。


「マクシムさんは毎年お花をくれているのです」

「いや、そうなんだけどさ」

「自分で生み出せるからです。無料は強いのです」

「そんなことはないよー。本当だよー」


 実際、幼い頃はあまり考えずに渡していたが、すごく喜ぶので花にしたのだ。

 それに、豪勢な花束だから能力で生み出したかどうかは重要ではない、と思うが、どうだろうか。


「いや、やっぱり、リボンも渡していたよ」

「お花をラッピングするリボンは別だと思うのです」

「ルチアちゃんも覚えているんだね」


 ルチアはどこか照れたように訴える。

 ある種の照れ隠しだったのかもしれない。


「忘れるわけがないのです」

「喜んでくれていたなら僕もプレゼントして良かったよ」

「喜ぶに決まっているです。押し花にした栞を毎年作っているのです」

「あれ、そういえば、僕が花をプレゼントしたことあるのルチアちゃんだけかも」


 ナタリアにも渡したことがない。

 これは思い返して意識するまで気づかなかった。

 ふと、ルチアを見ると、「わー、気づかれたです」という顔をしていた。

 ルチアの能力は可能性の操作。つまり、プレゼントで花を選ぶ可能性を限定されていたのだろうか?


「もしかして、ルチアちゃんの能力?」

「偶然なのです」

「偶然をどうにかするのがルチアちゃんだよね」

「それでも、偶然なのです」

「別にいいんだけどね。証拠はないし」

「そうなのです。仮にルチアの能力の結果だとしても、マクシムさんも能力で生み出したのだからおあいこなのです」

「どういう理論か分からないけど、とりあえず、それ、自供だよね」

「絶対に気のせいなのです」


 会話をしながらもネコに対する警戒が失われたわけではない。

 ただ、会話をしていても攻撃はされないだろうという余裕は生まれていた。

 ギンという名前を知れたおかげか、元々ペットだったという話のおかげか、巨体の威圧感が緩和された気がする。

 もちろん、敵対的な行動に出れば、その限りではないだろうが……。

 マクシムは咳払いをして話を戻す。


「ネコはリボンを自分のものって理解できていたのかな」

「ネコさんは賢いので、分かっていたと思うのです」

「つまり、他のリボンと区別できていたってことだよね」

「そうです」

「あ、もしかして……」


 マクシムはふと閃くものがあった。

 もちろん、自分だけではどうしようもないが、そのわずかな可能性も実現してしまうのがルチアの能力のはずだ。


「思いついたです?」

「うん、ルチアちゃん、協力をお願い」

「できることなら何でもするです」


 ルチアはその言葉を後悔することになる。


   +++


 ルチアは顔を真っ赤にしながら身をよじっていた。

 呼吸が浅く、うぐぐぐ、とうめく。

 額には薄く汗が浮いている。

 そして、弱弱しく訴える。


「マ、マクシムさん、それはちょっと恥ずかしいのです……」

「でも、この手は試す価値ありだと思うんだよね」

「あの、お風呂にもあまり入れてないのですし、それは困るのです」

「でも、毎日僕の能力で汚れはある程度落とせているはずだし、気にならないよ」

「ルチアが困るのです……」


「そう? とっても


「それが嫌なのです!」


 マクシムはルチアの首筋の匂いを嗅いでいた。

 ほのかに汗の混じった、とても甘い香りがしている。

 ナタリアとは異なっているが――あっちが日光を吸った牧草の匂いだとしたら、こっちは煮詰めた飴のような匂いだ――どちらにしろ良い香りだ。

 耐えられなくなったルチアは叫ぶ。


「首筋は卑猥です! これはセクハラ! いくらルチアがマクシムさんのことを好きって言っても、限度があるの!」

「いつもと喋り方が違わない?」

「ほ、本当に嫌なのです!」


 という割にルチアは逃げようとしない。

 顔を真っ赤にしながら、むむむと踏ん張っている。

 マクシムとしてもセクハラをしているわけではないし、これは必要なことだった。


「それよりも集中してね」

「集中できないのです!」

「可能性を探ってよ。そうすれば終わるから」

「分かっているのです! 難しいのです!」

「そんなに可能性ないかな?」

「難しいのは集中することです!」


 ルチアは絶叫している。

 マクシムが考えた策は単純なことだ。

 このギンというネコが持っていたリボンは永遠に失われてしまった。


 だが、


 マクシムの能力なら、植物の実から似た匂いを作り出せるからだ。

 それに、ルチアの見える可能性というのは、視覚的な要素が多いのだろう。

 嗅覚に訴える手段なら、見えなかった道理も納得できた。


 ただ、マクシムでも無から匂いを作り出すのは難しかった。

 そこで参考にするのがルチアの香りだ。

 同い年くらいの女の子であれば、似た匂いの可能性はあると思った。

 その結果、マクシムはルチアの首筋に顔を埋めていた。

 ルチアの匂いをベースに少しずつ調整しながら、試していた。


 確かに、この姿はナタリアには見せられないなぁ。

 それよりも、早く当たりにならないかなぁ。

 さすがに、この体勢はヤバいぞ。変な気を起こしかねない。

 理性があっても、目の前には幼くとも、とびっきりの美少女なのだから――。

 そんなことをマクシムが考えていると、ムクリとギンが身を起こした。


   +++


 その時、ギンは懐かしい匂いが漂っていることに気づいた。

 カレがもっと若い頃――それは前世ともいうべき、毛むくじゃらの猫だった時代――最も愛すべきニンゲンの娘が発していた匂いだった。


 懐かしい。

 それ以上に愛おしい。


 それはとても心地良く、カレの中の何か大切な部分が刺激された。

 ギンはにゃぁあ、と鳴いた。


   +++


 ギンが身を起こし、頭を低くしながらゴロゴロとうなる。

 そして、再び、にゃあと鳴く。


 それは子猫が甘える時に出すものにとてもよく似ていたが、猫の滅びた世界に暮らすマクシムたちにはもちろん分からない。

 ただ、巨体で、機械の体をした存在であっても、通じるものがあった。

 金属部分が地面と擦れ、硬質な音を立てているが、それでも、それが甘えている仕草だということは分かった。

 マクシムはボソッと呟く。


「なんか、カワイイかも」


 ルチアは紅潮した頬を抑えながら、マクシムから少し距離を取り言う。


「ネコさんはカワイイのです」


 どうやら作戦は奏功したようだった。

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