第167話 AI

 人工知能アーティフィシャル インテリジェンス

 つまり、AIと呼ばれる存在があった。

 ネコのギンは戦闘機械としてAI技術が活用されていた。

 ただ、


 AIにはひとつの課題があった。

 それは『肉体のない電子情報という存在に、どうすれば肉体感覚を学習させられるか』という課題である。


 これは意外と厄介な課題であった。

 たとえば、味覚。

 つまり、ものを食べて、美味しいと感じる感覚である。

 これはある化学物質を味蕾が感知し、それに対する肉体反応の一種だ。

 これをAIに学習させることは困難だった。


 そんなものは不要だと考える人間ももちろんいた。

 だが、介護や医療のような分野に限らず、戦闘においても『人間を知る』という意味で必要なことだった。

 人を知らねば、効率的に排除できないからだ。


 無論、味覚に対する人間の反応を学習させるだけであれば別だ。

 それなら多数のデータを収集し、『こういうものを食べたら人間はこういう反応をする』と覚えさせるだけで良いからだ。


 そうではない。

 AI自身に美味しいと感じさせたいのだ。

 味覚が存在しないものに、味とは何かを確かな手応えとして覚えさせる。

 それは海を見たことがない人間に、海を教えることの何十倍も難しかった。


 味覚に限らない。

 嗅覚や皮膚覚など実際に肉体感覚を通してしか得られないものは存在している。

 そのため、開発者はどう考えたか?


 単純である。

 肉体感覚がない電子情報で不足なら、肉体感覚を補うように――


 ネコのギン。

 現在、世界で唯一の現存する戦闘機械融合生命体は元々――。


   +++


 マクシムは自爆しないか戦々恐々としていたが、ルチアはクスリと笑う。

 それはどこか余裕を感じさせる、からかいの笑みだった。


「マクシムさん、恐がる必要はないのです」

「いや、だって」

「この状況で自爆はないのです」

「そうなの?」

「ルチアは、ネコさんはとても強いのですと言ったです」

「言っていたね」

「ルチアたち程度なら自爆しなくても排除できるのです」

「それ、もっとダメだよね……」


 よく見るとルチアはジッと額に汗をかいている。

 緊張しているのだろうか、あるいは、恐怖だろうか。

 前者の割合が多いが、後者も少しは混じっていそうだ。

 考えてみると、先ほどのからかいめいた笑みも、一種の演技だろう。

 マクシムは警戒を解かずにネコを観察する。


 先ほどに比べると、ネコは発光具合を抑えている。

 それがどういう状況なのかマクシムには分からない。

 マクシムたちの評価が終わり、一時待機しているのかもしれないし、あるいは、いつでも攻撃できる状態なのかもしれない。


 分からないということがストレスだった。

 正直、襲い掛かってくるという想像から、襲われても良いので何か動いて欲しいとさえ願いそうになる。

 悪い想像は実物よりも凶悪だった。


「大丈夫なのです。今は」

「今は、ね。あまり根拠はなさそうだけど」

「ルチアがこの子の名を呼んだのです」

「ギン、だよね」

「はいです。この子の名前は厳重に封印されていたのです。ですが、長い年月を経て、その封印が解けかかっているのです」


 封印?

 マクシムの疑問の表情を読み取ったのか、ルチアは言う。


「この子はギンという名前で飼われていたのです」

「飼われていたって……」

「信じられないのも分かるのですが、事実なのです。ペットだったのです」

「ペット? え? ちょっと待って、超大きいんだけど。体高も絶対に二メル以上あるよね? これ飼うって、ナタリアみたいなおうちだったの?」

「違うです。この子は昔、小さな猫だったのです」


 ルチアが手で示したサイズは犬よりも一回りほど小さかった。

 抱えられるほど小さいなら確かにペットとしてピッタリだろう。


「ずいぶん、その、成長したんだね……」

「本気で言っているです……」

「違うの?」

「違うです。ギンは戦闘生命体として生まれ変わったのです。兵器化されたのです」


 元々は生き物だったが、兵器としての体を手に入れた。

 どうしてそんな必要があったのか、マクシムには理解できない。


「どうしてペットがこうなるのさ。絶対に望んで生まれ変わるようなもんじゃないよね」

「ルチアにも理由はよく分からないのです。知能部分で何か問題があったみたいなのですけど、全然分からないのです」

「でも、元がペットだっていうなら少しだけ安心できるね」

「それが微妙なのです」

「微妙?」

「ペットの部分が残っているということは、戦闘生命体としての部分と相反している部分があるということなのです」

「つまり?」

「壊れかけているって感じです」


 マクシムはポケットで握り込んでいた種を取り出していた。

 すぐに成長させようとするが、取り出そうとした手をルチアに押さえられた。

 それははっきりと同時で、彼女はその展開を読んでいたようだ。


「戦闘体勢はダメなのです」

「防御体勢だから」

「それでも止めて欲しいのです」


 マクシムは思った。

 どうして、ルチアはネコに対して感情移入というか、情を持っているのだろうか?

 ルチアは言う。


「ルチアにも分かっていることは多くないのです。でも、この子には人に愛された記憶があるので、それを信じたいのです」

「でも、壊れかけているんだよね?」

「ペットの部分が蘇りかけているので、絶対的に悪い状況でもないのです。ピンチがチャンスなのです」

「要は、ペットの部分を完全に目覚めさせれば良いんだね」

「それも微妙なのです」

「え、どうしてさ?」

「このサイズでペットとして甘えられたら押しつぶされてしまうのです」

「超怖いんだけど……というか、今の状況は何?」

「待機状態だと思うです。まだ味方認識はされていないですし、警戒中ですが、保留されているのです。ルチアの呼びかけが届いたのです」

「呼びかけ……そういえば、アレは何か意味があるのかな」


 ギン、言うことを聞きなさい

 意味ありげな呼びかけだった。


「どうやら、この子はルチアのような女の子に飼われていたようなのです」

「じゃあ、その部分を刺激したからこその状況ってことだね」

「はいです」

「つまり、もっと刺激してやれば、味方認識してくれるってことかな」

「おそらくそうです。でも、どうやるかは見えないのです」

「見えないってどういうこと?」

「この子はルチアたちの力になってくれるです。それは確度の高い未来なのです。でも、どうやるのかは見えないのです」


 ルチアが見えないのに、訪れる可能性が高い未来。

 ということは、マクシムが知恵を振り絞らないといけないのだろう。


「もうひとつ分かっていることがあるです」

「それは?」

「この子を仲間にするアイテムがあったのです」

「それは何?」

「リボンです。飼い主の女の子のつけていたリボン。この子が機械生命体として生まれ変わる際に託されたリボンです」

「それはどこにあるの?」

「もうないです。とうの大昔に失われたのです」

「戦闘で破れたとか?」

「いいえ、純粋に年月が経ち過ぎて、朽ちてしまったのです」

「それ、どうしようもないよね……」


 マクシムは嘆息する。

 七百万年という時間の断絶を実感し、絶望的な気分になる。

 さて、どうしよう。

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