第105話 初脱落者

 リオッネロ・アルジェント大尉には美学がある。

 それは『正面からぶつかる』ということだ。


 実のところ、これはかなり難しい。

 リオッネロ以上の実力者は数多く存在し、そういう人間と相対している時に強くそう感じる。

 たとえば、ピッキエーレ少佐とは模擬戦をしていても、まともに勝負になったことさえない。

 強者に対して正面からぶつかることは敗北につながりやすく、非常に辛い。


 だが、リオッネロはそれでもまっすぐぶつかる。

 敗北していても、自分の美学を捻じ曲げることはない。

 勝敗とは異なる次元で、この姿勢は大切だと考えていた。

 真っ直ぐ、正面から見ることでしか、見えないものは多々あるからだ。

 違う角度からの多彩な視点は他人に任せてしまえば良い。

 リオッネロにできない、そういうことが得意な人に任せてしまえば良いのだから。


 リオッネロは深く考えず、幼子のような感性で生きてきた。

 世界は美しい。

 キラキラと輝いている。

 この素晴らしい世界を守りたい。

 そうすることで、本当に大切なことに向き合っているし、尊重することもできるようになる。


 何かを掴むためには、他の何かを手放すことだ。

 自分にしかできない仕事を追求する。

 それこそが『正面からぶつかる』という美学に繋がっている。


 リオッネロが『士』の佐官を目指しているのも、組織の人間として上を目指すのは当然だからというだけ。

 非常に真っ当かつ真っ直ぐした考えからだ。

 明確な目的意識があるわけではなく、それは偉い立場になってから考えれば良い。

 その立場になるまでは備えておくだけで十分。

 今目の前のことに集中する。

 成長し、強くなるために真剣に生きる。

 高い階級に至ることはあくまでも手段の一つで、リオッネロの力が人類のために役立てば良いと考えていた。


 彼にはある意味で我欲がほとんどない。

 滅私の人間がリオッネロ・アルジェントという人間だった。

 だから、叫び声が聞こえた瞬間、目を覚ましたリオッネロが取った行動は自然なものだった。


「……ええええええええええええええ!」


 その叫び声が聞こえる直前まで、リオッネロは失神していた。


 だが、その声が聞こえた瞬間、彼は目を覚ましていた。

 一瞬で覚醒したのは美学に従った結果。

 誰かが悲鳴をあげている。

 そのことが重要だった。

 いや、そのことだけが重要だった。


 、『


 彼はカッと目を見開き、意識が朦朧もうろうとしたまま跳ね起きた。

 本能に従った彼の動きは人類の限界に近接するほど速い。

 そして、リオッネロは意識したわけではない。

 声がした方向に視線を向ける。

 視界は歪んでいた。

 だから、誰かは分からなかった。

 だが、誰かが悲鳴をあげながら上空へと飛ばされている。

 豆粒のような小さいサイズだが、まだどうにかできる気がした。


 理性で抑えられていた、リミッターが外れる。


 リオッネロはそちらに右手を伸ばした。


 ガシッと誰かの腕を掴む感触。

 そして、そちらに引っ張られる感覚。


 リオッネロの能力は掴めるだけだ。

 別に体重が増えるわけではない。

 だから、掴んだ誰かに引っ張られ、足が宙を浮いた。

 そのまま浮きそうになるが、とっさに左手を伸ばし──正確には左手で能力を発動し──鋼線の付け根である鉤爪を木から外した。

 右手は誰かを掴んだままなので、結局、リオッネロは抵抗できずに宙を浮き上がる。


 浮遊感。

 加速感。


 これはマクシムの能力で樹木が跳ね上げた分と、ウーゴの体重分があるからだ。

 リオッネロという一人の人間の質量では軽すぎた。

 また、リオッネロの意識がハッキリとしていたら、もう少し対応はできたのかもしれない。

 だが、朦朧としたままだったため、彼にできたことはシンプルなことだった。


 悲鳴をあげていた誰かを引きつける。

 空へ飛ばされないように、その誰かが地面に安全に降り立つことができるように引っ張った。

 リオッネロは自分がその反動で、上空へ引っ張られるのにも抵抗することはできなかった。

 なぜならば、上空方向への急加速により脳の血流が減少。その結果、再び意識が消え去り、失神してしまっていたからだ。

 リオッネロは無抵抗なまま吹っ飛ばされ、海まで飛んでいく。

 長い滞空時間の後、ボチャンと海中へと没する。

 地面に落ちていたら墜落死もありえたことを考えると――森の上であれば、マクシムが受け止めただろうが――それは幸運かもしれない。


 監視していた『士』の隊員が、慌ててリオッネロの回収へ向かった。

 ただ、島外へ出てしまったことで、彼はリタイア扱いになる。

 『士』少佐昇任試験最初の脱落者は、リオッネロ・アルジェント大尉。

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