第106話 脱落者、その後

 マクシムは逃亡を続けていた。

 だが、その背後で、誰かが吹っ飛んでいく姿もマクシムは目撃していた。

 正確には、マクシムが誰かを吹っ飛ばそうとして、その誰かを助けようとした別の誰かが島外へ飛んでいくのを目撃していた。

 マクシムは力配分を間違えてしまったと思っていた。

 本当に、ちょっと跳ね除けるだけのつもりだったのに、思いっきりぶっ飛ばしていた。一〇〇メル以上の高度まで高々と飛ばすつもりなどなかったのだ。

 だから、木での移動を一時中止し、青くなりながら考える。


 ―—死んでないよね? 殺してないよね?


 しかし、島外へと吹っ飛んだ誰かの生死を確かめる術がマクシムにはない。

 とりあえず、最初に吹っ飛ばそうとした誰かは地面に転がっていたし、生きて動いている。

 少なくとも一人は死んでいない。


 一瞬だけホッとした後、マクシムは逃走を再開する。

 とにかく逃げよう。

 少しでも距離を取って隠れないと負けだから。

 そこでひとつ考えていることがあった。

 あの島外へ吹っ飛んだ人の能力——遠距離の他人を捕捉できる人がいなくなって本当に助かったな、と。


 あの人がいたら、マクシムは負けていた。


   +++


 ウーゴ・ウベルティ大尉は心の底から驚いていた。

 その理由はシンプルなもの。


 ―—……リオッネロの奴、あんな距離から掴めたのか!?


 ウーゴは空中に投げ出された時、もうこのまま助からないと覚悟していた。

 それくらい地面と距離があったし、彼にはそれに対応する術がなかった。

 だが、リオッネロに掴まれることで助かった。

 それは本当に予想外のことだった。


 ―—……隠していた、いや、自分でも把握できていなかったのか? 本当の能力には目覚めていなかったのに、あの時に目覚めたということか?


 あそこまでの距離があっても掴める能力であれば、最初から策に組み込んでいた。

 リオッネロとはいくつかの任務も共にしてきたが、あんなことができるなんて知らなかった。

 ただ、あの直情径行を人の形にしたような男なのだ。

 隠すことなんて思いつくわけがない。

 つまり、『潜在能力的にはあの距離でも掴むことができるが、実際的には難しい』という推測が成り立つ。

 もちろん、理由は他にも無数に思いつく。

 『契約者』として、何らかの縛りを組み込んでいる、などだ。状況次第で真の能力が発揮できる可能性だ。


 だが、直感的にウーゴは思う。

 リオッネロ自身も知らなかったのだ。


 とっさの状況だからこそ限界を超えて、遠距離を掴むことができたのだろう。

 どちらにせよ、現状ではリオッネロは戦力としてカウントできない。もうリタイアになったはずだ。

 それに、マクシム・マルタンを倒した後に敵になることを考えると、庇って脱落してくれたことは感謝するしかない。


 ——……ま、だから何ってわけでもないんだけどな。


 感謝もするし、必要であれば頭くらいは下げる。

 ウーゴはその辺りのことで素直にお礼を言える程度には社会性があるし、屈辱を感じる性格もしていない。

 ただ、どうして、リオッネロが自分自身よりもウーゴのことを助けたのか理解できなかった。

 どう考えても、意味の分からない選択だからだ。


 ——……考えるだけ無駄か。


 リオッネロとは今までに幾度も任務を共にしている。

 友人ではないが、仲間としての敬意は持っている。

 だからこそ、シンプルな損得勘定で測れる人間ではないことは分かっていた。

 ウーゴは軽く頭を振って切り替えようとする――考えるだけ無駄、そうなのだ。そのはずなのだ。

 だが、助けられたということがわずかにしこりとして残っていた。


 感謝よりも、気持ち悪さがあった。


 ウーゴは嘆息の後に、盗聴器に向かって話しかける。


「……ディアナ大尉、マーラ大尉、聞こえているか?」


 挟撃のタイミングを計るため、そして、互いにコミュニケーションを取るために考えた手段である。


『——ええ、何かあったみたいですね。リオッネロ大尉の音声が途切れましたから』

『というか、ウーゴ大尉、悲鳴上げてなかった? 途切れ途切れだったからよく分からなかったけど』

「……結論から言うぞ。マクシム・マルタンには逃げられた。リオッネロは脱落した」


 返事がない。

 盗聴器を介しての会話なのでタイムラグがあるが、二人は明らかにこれからのことを相談しているようだった。

 ウーゴにも理解できる。

 もうマクシムも警戒して出てこないだろう。

 つまり、一から仕切り直し。

 この作戦が失敗した以上、手を組む理由がない。

 さすがに、二人が奇襲をしかけてくるまで裏切ることはないと思いたいが、チャンスさえあれば、ウーゴもしないとは言えない。中尉は必要だ。


 しかし、怪物じみた能力を持っているとはいえ、『士』の大尉四人が手を組んでただの少年を倒せなかったのだ。


 ——……これで『竜騎士』の伴侶だろ。冗談じゃないぞ……。


 全く、末恐ろしい。

 そんなことをウーゴが考えていると、マーラ大尉からの返事があった。

 それは非常に小さい声だった。

 そして、ウーゴの予想外の言葉だった。


『簡潔に言うね。マクシム・マルタン発見。急襲する』

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