第104話 接敵後
―—……ふざけるなよ!
ウーゴ・ウベルティ大尉は激怒していた。
リオッネロ・アルジェント大尉がマクシムに対して名乗り上げたからだ。
奇襲をしていれば、マクシムを仕留められるタイミングと距離感であり、千載一遇というより、ここしかないチャンスだったからだ。
―—……どうして、こいつはこうなんだ!
本当に最後のチャンスの可能性さえあった―—という怒りの一撃として、ウーゴは思わず手を出してしまったが、それよりも問題はマクシム・マルタンを倒すことだった。
ウーゴは一瞬で切り替えて―—というよりも、明らかに感情的になったのは自分のミスだ―—すぐにマクシムへと迫る。
ウーゴは川を挟んだ距離だが、鉤のついた鋼線を岸の向こうの木にひっかけて、一気に距離を詰める。
上空へ躍り出る、重力からの解放感。
リオッネロについては放置しておく。
動けなくなるほど強く殴ったわけではないので、特に問題なく追いつくはずである。
少し後悔しないわけではなかった。
それは殴ったことではなく――どう考えても理はこちらにあるから――戦力減少への後悔でしかない。
マクシムはもの凄い速度で逃走していた。
植物を操り、その枝から枝へと渡っている。
ウーゴの位置からは鋼線での移動で、やや上下動と角度があるため、見失わないのはかなり集中を要した。
だが、すぐに目が慣れる。
コツが分かった。
マクシムを見るのではなく、動かしている植物の枝から幹を目で追えば良いと分かったからだ。
問題は密集した森の中では難しいということだが、鋼線を操ることで森の中に入らず、樹上を上手く移動した。
もちろん、それほど連続できる技ではないが、森が密集しているからこそ地面に落ちることはなかった。
これならば、見失うことはない。
ウーゴの役割は無理に追いかけることではない。
確実に追い詰めることだ。
ただし、ディアナ・フェルミ大尉が食らったような、興奮性のある毒物などを散布されることだけは警戒しておく。
ただ、マクシムはそこまで器用ではないように見える。
それに、顔つきを見たが、あまり攻撃性も強くなさそうだ。
まだ本当に子どものようだった。
いや、年齢を考えると、マクシム・マルタンはまだ子どもなのだ。
徐々に距離を詰めながら、ウーゴは考える。
マクシムは、まだ学校を卒業してそれほど間がないはずだ。
あれほどの能力をどういう経緯で手に入れたのか、それとも、生まれつきだったのかは分からない。
それに、年齢など関係なく、他者を圧倒的に超越する怪物がいることも知っている。
だが、少しだけ見えた彼の顔つきは本当に子どもだった。
年齢の話ではなく、精神がまだ成熟していない。
未成熟。
つまり、大人になると捨てざるを得ない甘さ。
まだ彼は守る側の人間ではなく、守られる側の人間のはずなのだ。
マクシムがどういう理由で『士』の佐官の席を狙っているのかは分からない。
それが必要なくらい困っているのかもしれない。
特別な資格が必要な、厄介な事態に巻き込まれているのかもしれない。
だが、それを解決すべきは大人の役割のはずだ。
ウーゴたちのような。
仮にマクシムが超人的な能力があるとしても、それを役立てるのは将来的な話だ。
その時期にきたときに果たすべき話で、今ではないはずだ。
それに、『竜騎士』の伴侶であるならば、追々そういう義務も発生するはずだ。
それこそは彼の選択であり、義務だ。
否が応でも、人は直面した事態に対処しなければならなくなるのだから――。
逆に言えば、それまでは仮に何か問題があるとしたら、大人として、『士』の大尉という立場ある人間として、解決してあげたいと思わないわけでもない。
―—……柄にもない発想だな。
ウーゴは苦笑する。
それよりも集中して、マクシムを捕らえるか、倒すかすべきだ。
実のところ、少しだけディアナ・フェルミ大尉を興奮させた毒物の残り香によって、ウーゴの真面目な部分が刺激されたのだが、もちろん、彼では自覚できない。
それよりもマクシムとの距離はかなり近くなっている。
鋼線を操り、
ウーゴが戦闘で最も大切にしていることは相手の意図を挫くことだ。
相手がやりたいことは決してさせない。
マクシムは距離を取り、一方的にウーゴたちを攻撃したいはずなのだ。
本来であれば、ウーゴは暗器使いだ。
姿を消して一方的に攻撃するのはウーゴのやりたいことだ。
だからこそ、マクシムが逃げようとする方向も何となく分かった。
風向きや光の向き、そして樹高など判断材料は多岐にわたる。
更には、攻撃をする方向を操ることで誘導する。
これなら追い詰められる。
次の策に移れる。
次の策は、シンプルだ。
ディアナやマーラ・モンタルド大尉たちによる挟撃。
急造した発煙筒で呼び寄せる。
ウーゴの口元が緩んだ。
その次の瞬間だった。
「……え」
ウーゴの視界が反転した。
+++
ウーゴの移動手段は鉤つきの鋼線を使っていた。
マクシムは逃げながら周囲を確認していたから気づいていた。
つまり、鋼線を操り、宙に浮いている時には他の挙動は取れない、ということを。
そして、何度も繰り返していれば、リズムやタイミングは取ることができた。
ただし、ウーゴを直接狙っても避けられるに違いない。
『士』の大尉はそれくらいの戦闘能力がある、と考えた。
何度も使える策ではない。
だから、マクシムが狙ったのは鉤爪のついた鋼線。
特に鉤爪に注目した。
それのついた樹を急成長させた。
樹高を、可能な限り遥か高くへ。迅速すぎる速度で。
だから、急激に引っ張られたウーゴは叫び声にならない叫び声で上空へとその身を投げ出されていた。
高く、高く、受け身など取れないほど上空へ。
「……ええええええええええええええ!」
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