第2話 誘惑

 目が覚めると、マルクはベッドの上で横になっていた。おそらく、アリスが運んでくれたのだろう。

 ここがどこかは分からないが、休める部屋があったことにマルクは安心した。そして、ここに運ばれる以前の記憶を辿たどる。どうやら、熱に当てられてしまったらしい。無理もない。元々あまり行動的ではないのに、慣れない格好と慣れない場所で、慣れない遊びをしていたのだから、当然だ。

「……」

 いや、原因はそれだけではない。普段のマルクであれば、適度に休息をとり、水分も補給し、適切に遊ぶことができたはずだ。しかし、今回はそれができなかった。理由はもうはっきりしている。この海に来てから、ずっと刺激を与えてくる存在、いつも見慣れたはずなのに、どこか恋しく感じる彼女がいたからだ。

「アリス……」

ボソリとつぶやいた、すると。

「なぁに?」

隣から声がした。

 マルクが驚いて飛び退くと、さっきまで彼が寝ていたその隣に、水着のアリスが横たわっていたのだ。

「ふふっ。元気になったみたいだね。よかった」

アリスはそのままベッドの上で体を起こし、こちらに近づいてくる。

「急に倒れちゃうんだもん、心配しちゃった」

部屋の照明は薄暗く、ぼうっと辺りを照らすのみ。それはおそらく体を休ませるためなのだが、ほんのりと淡く光が当たる彼女の姿は、とても扇情的せんじょうてきなまめかしくしく見えた。


 思わずマルクは彼女に背を向ける。

「心配かけてごめん。もう元気だ。……ところで、ここはどこだ? 砂浜で見た限りじゃ近くに建物なんて見当たらなかったけど」

マルクは、そのままアリスの方を見ないで話を進める。すると、アリスは後ろからその細い腕でマルクの肩を抱きしめてきた。

「何で……避けようとするの」

「避けようとなんて、していない」

「嘘だよ、さっきから全然こっち見ないし、海でもよく目をらしてた」

「それは……」

「私のこと、嫌い?」

「何でそうなるんだ!」

 マルクは思わず振り返った。初めて聞いた彼女の弱気な言葉に、自身の責任を感じたからである。アリスは見かけ以上に幼い部分があり、自分の言動で想像以上に傷つけたのかもしれないと思ったからだ。しかし、

「ふふっ」

アリスは笑っていた。いつものように明るい笑顔で。

「アリス、お前……」

「嫌いじゃないんだ。……じゃぁ、好き?」

「っ!」

薄暗い部屋で、肌を密着させた男女が二人きり。相手はとても魅力的だ。女性として、心も、体も。

「好き?」

アリスはもう、答えなど分かりきっているというような笑顔で、マルクの目を見て問いかける。

「ああ、好きだ」

心臓の鼓動が速くなるのを感じる。体温は上昇し、気持ちはどんどんたかぶっていく。

「マルクから好きって、初めて言ってくれたね」

「そうだったか?」

「うんそうだよ。でも、嬉しい。私もね、好きだよ。大好き」

 そう言うと、アリスはマルクの首に手をかけ、そのまま自身の体重をかけてベッドに身を投げた。すると、マルクはアリスを押し倒したような姿勢になり、一瞬の沈黙が流れる。

「……いいのか?」

「うん。大好きなマルクだもん。私の全部を愛して欲しい」

 アリスは自信満々な表情をしているつもりだろうが、マルクの首にかけられた彼女の手は、これから起こることへの緊張に、かすかにふるえていた。

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