第28話~もう1つの最終話~

※始めに考えていた最終話ですが、上手く組み込むことが出来なかったので短編として。


それは1月末の事。


親戚の法事があるという事で、匠馬の両親が遠方に出掛ける為、店が1週間程、休みになった。匠馬は朝から掃除に専念しシャワーを浴びて部屋に、大・満・足!と言いたげな顔で戻って来ると、Macbookを開き何やら検索を始めた。


「明日から卒業旅行でグアムに行きますよー」


いきなりの提案にあたしは答案用紙を作っていた手を止め、後ろに居る匠馬に顔を向けた。


「え?ちょっとよく聞こえなかった。卒業旅行、何処に行くって?」


「ん?グアム」


「グ、…えっと、あたしパスポートとか持って無いのですが。出来たら国内でお願いしたいのと、パスポートって1日で出来たりしないよね?」


また突拍子の無い事を、とあたしは何事も無かった様に机の方に向き直し、ペンを走らせた。


「それは気にしなくっていいから。でさ、ボクとしてはドックレース見に行きたいんだよねー」


ほらほら、とMacbookを作業中なのに用紙の上に置き、グアムの観光地情報ページをあたしに見せる。本当にこういう時は意地悪だ。自分が思ったと通りの反応を示さない時は、態と作業が出来ない様にして、あたしを困らせる行為に移る。


「もう、」


作業が出来ない、と抗議の声をあげようとすれば


「現地で水着も買おうね~。ビキニを買ってボクが着させてあげる~♪」


素早く床に座り、あたしを後ろから抱き込んだ。無理に着せて恥ずかしがるあたしを見て笑うつもりなのだろうが、行ける訳が無い。


「…あのね、タクマ、あたし、本当にパスポ、」


「やっぱり恋人岬は行かなきゃね~。ちーの髪の毛ボクの首に巻き付けて飛び降りるマネしたら怒られちゃうかな~」


けらけらと笑う匠馬が本当にグアムに連れて行くなど思いもしないので、話を右から左へと聞き流していた。


「それとも、最近構って貰ってあげてないから、一日中可愛がって欲しい?」


急に首筋に匠馬の息がかかり軽くその場に唇を寄せられると、ぞくり、と甘い疼きが背中を駆け抜ける。それだけで腰が砕けてしまう自分がはしたないやら悔しいやらで、あたしは振り向いて口を尖らせた。


「首に腕、回して」


色めいた瞳で見詰められ、逆らう事は出来ずに素直に匠馬の首に腕を回した。今日の作業シゴトはこれで終わりだ。そのままベッドに連れて行かれ、可愛がって貰うのだった。


ーーー気付けば朝日が昇っていた。機嫌の良い匠馬に着替えさせられ、連れて行かれたのは大河原家。そして、何故か大河原家の自家用ジェット機に乗せられると、行先も告げられぬまま何処かへ飛び立ったのだった。


「…………………」


3時間程のフライトだっただろうか。着替えを渡されその服を見て、まさか、とは思ったが、外はやたらと熱い。そして、匠馬に手を引かれ建物に入ると、至る所に『Guam』という文字。匠馬が昨日言ったと通り本当に連れて来られたのだ、という事をやっと理解した。しかし、自家用ジェットで入国出来るだなんて、恐るべし大河原家。素直に口に出すと、嫌味王子に莫迦にされてしまうので何も言わない。すると、スーツを着た日本人(どう見てもお偉い様)がこちらの集団に近づいてくると大河原くんは瞬時に顔を変え、今迄見た事も無い謙虚な姿で挨拶をすると、匠馬もその中に入って行く。


「いやいや!先日は急なお願いを聞いて貰って申し訳ない!」


「お久しぶりです。奥様はパーティーに間に合いましたか?それが気がかりで」


「間に合いましたとも!本当に助かりましたよ!やはり鮎川さんに頼んで正解でした」


「奥様のお役にたてて何よりです」


「また何かあったらお願いしますねぇ。えーっと、それで、今回は1週間の滞在で宜しいのですか?レストラン等には既に連絡を入れておりますのでトラブルがあれば私の名刺を見せて下さい」


お偉い様は大河原くんと匠馬、其々に名刺を渡し、空港の管理責任者らしき人の許へ案内を始めた。あたしはボディーガードさんに渡されたお水を飲みながら待つ事となったが、タイミング良くお母さんから電話があり、グアムに無事着いた事を伝えた。持たされているスマホが海外でも使える事に驚かされる、本当に…。大きなガラス越しに見える強い日差し。その先には真っ青な空。莫迦みたく口を開けたまま見惚れていた。…本当に来てしまったのだ。海外に。


「ちー、そんなに無防備な顔でいられたら、襲いたくなっちゃう」


人目もはばからずに後ろからぎゅっと抱きしめられ、あたしはその口を慌てて閉じた。何時の間に戻ってきたのか。


「…だって、本当にグアムに来るなんて思いもしなかったし、大学の試験日間近だから…」


「うん。だから前々から陵と話し合ってたんだ。高校の卒業式終わったら多分、忙しくって旅行に行く暇も無くなるだろうからね。陵のスケジュールとの兼ね合いで試験前に行く事にしたんだ。あ、ちゃんと試験勉強はしてるから心配しないで」


だから年末から忙しくしていたのか。


「で、でも、あたしのパスポートとかビザは?」


「そこら辺は大河原の力です」


やはり恐るべし大河原!と思ている処で見覚えのある人物が現れた。ポロシャツにハーフパンツで、キャリーケースを引っ張って来る彼は相変わらず不機嫌そうで笑ってしまいそうになり、思わず匠馬の腕で口元を隠す。


「あ~ゆ~か~わ~!自家用ジェットって何だ!そして俺はどうして民間旅客機なんだよ!」


「何だよー聖也ータダで飛行機乗って来たくせにー。それに寂しくない様にひまわりと紳一さんが一緒に乗ってくれたでしょ?」


大股で近寄ると聖也くんは匠馬が片腕を挙げたその隙にあたしを引き寄せた。すると、匠馬の眉毛がぴくり、と動かし素早い動きであたしを腕の中に取り戻す。暫くにらみ合いを続け


「あれこそ嫌がらせだろうが!人を挟んでイチャこらイチャこら!」


後ろを指差すと紳一さんとひまさんがイチャイチャしながらこちらに向かって来る。その姿を見たら余計苛立ちが募ったか、またまた匠馬に喰ってかかった。


「仕方がないじゃない。夫婦なんだもん。あの2人」


「ひとりモンの気持ち考えろ!」


怒り飛ばす聖也くんに小馬鹿にした態度を取る匠馬。


事件の後、仲直りというかお互いの誤解を解き、あたしと聖也くんは本当の友達になった。匠馬がバイトの日はひまさんと3人で下校したり、休日は勉強会したり。色々匠馬に喰って掛かるのも『妹の事が心配なお兄ちゃん的な心境なんだよ』と教えてくれた。あたしと匠馬はそんなに感情を露わにする方じゃないから、始めは聖也くんのこんな処を見て驚いたけど、慣れて来ると面白いもので、あたしはそれを黙って見学するのだ。海外に来ても同じ風景を見られる事が嬉しく、つい笑ってしまう。


「聖也くんも来たんだ。楽しくなるね。ひまさーん!」


匠馬の腕からひまさんの許へ駈けて行けば、向こうも八重歯を見せてにかっと笑って駆けて来た。


外に出るとリムジンが横着けされ、それに乗せられると10分程で着いたホテルはあたしでも知っているヒルトンで、またしても大口を開けてしまい、大河原くんに莫迦にされる羽目になった。メインタワーでは無くプレミアムタワーの方に連れて行かれ、目的の階に着くと大河原くんは踏ん反り返って説明を始める。


「俺達が泊まるのはプレミアムタワー。ここ12階で貸切だ(勿論、13階は無人)。1階と12階のエレベーター前にはうちのボディーガードが立ってる直通の方を使う様にしてくれ。それと、河野。ハワイに比べてグアムは日本語が通じないからな。どうしても出かける用事の時はうちのボディーガード連れて行け」


「日常会話くらいは、出来る(はず)…」


「…聖也。無理しない方がいいよ。卒業テストのヒアリング、2回も再試だったんだから」


「ばらすな!」


「え?そうなの?聖也くん言ってくれたら教えてあげたのに…」


「あの、智風ちゃん、それは…」


「だって、先生が泣くほど酷かったんだよ。それに、」


「いやー!それ以上言わないで、鮎川君!」


「ぎゃはは!ここにも莫迦がおった!」


「笑ってるがひまわりも紳一さんから離れるなよ?喋れない上に迷子になった前科持ちなんだからな」


「何年前の話や!っ!紳一も笑うな!」


すると、後ろに立っている数名のボディーガードさんも思わず口元を隠して笑い、それに気づいたひまさんは振り返り瞬殺する。その怒りのオーラにボディーガードさん達は真っ青になり慌てて背筋を伸ばした。あたしなんかよりちっちゃくて可愛いのに、匠馬並に大きいボディーガードさん達より強いっていうのが不思議。


「さて。夕食まで各自自由行動。夕食を予約しているから6時に1階のエレベーター前に集合な」


大河原くんはカードキーをそれぞれに手渡し、各自部屋番号を確認して入って行く。あたしは匠馬に手を引かれ部屋のドアの前まで来ると、眼鏡を取り上げられた。


「さて、お姫様。ちょっとだけ目を閉じててくれる?」


サプライズ好きな匠馬の事を考えると、どんなものを用意してくれているのか楽しみで素直に目を閉じた。ガチャっとドアが置く音が聞こえ、いきなり躰がふわりと浮かぶ。


「わっ!」


「ほら、まだ良いって言ってないから目、閉じてて」


お姫様抱っこされている、と分かってあたしは慌てて匠馬の首に腕を回し、再度目を閉じた。薄暗かった廊下から室内に入ってくと、目を閉じていても分かるほど明るくなる。カチャッと金具の外れる音がすると、ふわり、と温かい風と潮の匂い。窓が開けられた様だ。


「はい。目を開けて下さい」


恐る恐る目を開けば海が一望できる広々としたバルコニーに居た。眼鏡を受け取り瞳をこらせば、タモン湾の青い海を独り占めしている様な気分。思わず歓喜の声を上げてしまった。


「うっわぁーーーーっ!す、凄いね!タクマ!海の底が見えるよ!」


「本当、凄い綺麗だね。明後日でも潜水艦に乗って海の中を見に行こうか」


腕から降ろされ、自分の足で立つと高さもあってか怖くて匠馬にしがみ付いてしまう。


しかし、ヒルトンでプレミアムとか付くのであればそれなりの金額になるし、1週間ともなれば。瞬時に頭の中で計算してしまい、あたしが出せる金額で無い事に血の気が引く。


「タクマ、あ、」


慌てて振り返れば、匠馬はあたしの髪をかき上げて額にキスを落とした。


「ボクがちゃんと働いて稼ぐから、ちーがお金の事を心配なんてしなくていいの。ボク等15日に籍入れるんでしょ?ならボクに任せて。此処は楽しむ為に来ているんだから、お願い。楽しむ事だけを考えて」


ね、と笑って優しく抱きしめる。この人はあたしを甘やかして、困ってしまう。


「ボクはちーと一緒に居られるだけで十分だけど、折角グアムに来たんだから、恋人岬に行って、アンダーウォーターワールドにも行って、シーウォーカーもしよう」


「そんなにあたしを甘やかせてどうするつもりですか?」


「ちーに喜んでもらって、ご褒美を貰うつもりです」


莫迦正直に答えられ、笑ってしまう。そして暫く、くすくすと笑いながらあたし達はキスを繰り返した。


「まだ、3時半か…。ね、ホテル内を見て回って、下のカフェで一休みしよう」


匠馬に手を引かれ、あたし達は部屋を出るとホテル内を見て回った。カフェは24時間営業していて、軽食なら何時でも摂る事が出来てショップも早朝から夜10時まで営業しているという。子どもが飽きない様な対策も取られているので子ども連れも多く、降水量の少ない時期なので人が多いのに納得できた。


プライベートビーチに出て暫く散歩し、カフェで休憩を取ると今度はホテルの外回りを歩こう、と匠馬はまたあたしの手を取った。5時前ともなると少しだけ気温も下がり、くっ付いていてもそこまで暑く感じなくなる。あたしは思い切ってその腕に自分の腕を絡めてみると、匠馬は急に嬉しそうに笑う。


「ちーが率先して腕組んでくれるなんて嬉しいな」


歩く歩幅を合わせ、以前グアムに来た時の話を聞かせてくれた。思い出話を聞きいていると、赤い三角屋根のこじんまりとしたチャペルが見えてきた。確か敷地内にチャペルがあると書いていたっけ、とそのチャペルを目で追っていると、匠馬が足を止めた。


「なか、覗いてみる?」


「え!?…鍵が掛かってるんじゃない?っていうか、ダメだよ」


止めるのも聞かずに、匠馬はドアのノブを回し引くと、カチャッと音がしてドアが開いた。入り口の処にバラの花びらが2~3枚落ちている処を見ると、今日、挙式していたのだろうか。だから、開いていたのかもしれない。


「ね、勝手に見てたら怒られるんじゃないの?」


「ん~、怒られたらボクが謝りに行くから、ちょっとだけ覘かせて貰おうよ」


「…いいのかなぁ…」


オロオロしながら中に入ったが、目の前、祭壇奥のステンドグラスの十字架が素敵で思わず見入ってしまった。建物と同じで中もこじんまりとしていて、アットホームな式が出来そう。


以前、式について聞かれた時、興味がない、とあしらった事がある。本当はウェディングドレスを着てみたい気はあるが、余計なお金を使いたくない。だって、こんな風に匠馬が桁の違う使い方をするから、自分に掛かるお金は極力減らしたい。匠馬は祭壇の方に歩いて行くが、あたしは反対に一番後ろの席に座ってみた。


もし、この高校を選ばなければ匠馬と出会う事もなった。そして、父と母は事故死しなかっただろうか。でも、ひとつ言える事は、今迄通り何の変わり映えのしない寂しい人生を送るだけだっただろう。


祭壇前に立つ匠馬の後姿を見詰める。この人の妻になる事に不満など無い。何もないあたしが何時捨てられるか、という不安だけが常につき纏う。


「ちょっと、ちーはボクの横でしょ?何で参列者になってんの。こっちにおいで」


長い腕が差し伸べられ、あたしは席を立ち匠馬の許へ向かった。そして、処にたどり着くと、匠馬はあたしの腰に腕を回して軽くキスする。


「ちーに見て欲しいモノがあるんだ」


差し出されたビロードの箱にはシルバーリングが2つ並んでいた。それと、ホッチキスで留められた書類。


「明日、ここで式を挙げる」


慌てて匠馬の言葉を遮ろうと口を開こうとすれば、長い指が唇に触れる。少しだけボクに喋らせて、と。


「滝本さんに最後会った日、書類を受け取ったんだ。智風のお父さんがこのチャペルで挙式する為に長い間、積み立てをしてたんだって。家計に響かない様に金額を低くしてたから支払期限は長くなるって事で旅行会社は首を縦に振らないから半年くらい頼み込んだらしくって。お父さんの気持ちが伝わってやっと首を縦に振って貰えたんだけど、その3ヶ月後に事故に遭われて。でね、アパートが焼けた後に書類をお父さん宛てに送ったけど返ってくるから、仕方なくこの書類はお父さんの実家に届けられて。お兄さんが智風の為に使って欲しいって警察に送ってくれたんだ。でね、お父さんが叶えられなかった事をボクが実現してあげたくって」


書類には少しだけ癖のある父の字で署名されていた。


「お母さんの為に…。あ、毎月ひとつだけ何の引き落としか分からなかったのがあった…。これだったんだ…」


「そう。お父さんが折角取ってくれてるのに使わないと勿体無いっていうのと、ちーは式に興味ないって言ってたけどさ、ボクとしては君と式を挙げたかった訳ですよ」


匠馬は子どもっぽく口を少し尖らせる。


「…あのね、ボクだって不安なんだ。ボク等はまだ18歳だし、この先智風に相応しい人が現れるんじゃないかって。もっと大人で、智風を幸せに出来る人がボクから奪い取って行くんじゃないかって。だから、」


繋いでいた手を一度解き、今度はお互いの指を絡めて握った。


何時も飄々としている匠馬が、本当に自信無さげにあたしを見ている。不安なのはあたし独りだけではないのか。そう思えれば、意外にも気持ちっていうものは楽になるもので。


「自信の無いタクマって、可笑しい」


思わず笑ってしまう。


「な~んで笑うかなぁ~」


あたしは絡めていた指を離し、祭壇にビロードの箱を置く。そして、少し大きい指輪の方を取出し、匠馬の左手の薬指の指先で止め


「〝貴方の呼吸が止まるまで、あたしを側に居させてくれますか?〟」


問い掛けてみると、匠馬は首を傾げた。


「何を言ってるの。ボクの呼吸が止まる時は、一緒に連れて行くし」


そう言って何時もの顔に戻す。あたしはやっぱり少し意地悪く笑うこの顔が好き。


「約束だよ」


「うん」


口約束。でも、父が母との約束を守った様に、匠馬もこの約束を守ってくれそうな気がして。


「浮気は男の甲斐性とも言うけれど、あたしの知らない処でして下さい」


「うわ!ボク信用されてない!」


「バレた時は即、出て行きます」


「しませんって!わーん!ボクを捨てないで!」


「なら、この指輪に誓える?」


「誓います!」


小さい子どもの様な返事にあたしは堪らず笑ってしまい、それにつられて匠馬も笑う。気の早いあたし達は2人だけで指輪と誓いのキスを交わした。


ホテルに戻ると他のメンバーが待っていて、やはり式の事は知っていた上、居るはずのない匠馬の両親もいて、前日入りして結婚式の段取りをしていたのだと分かった。もう、ここの家族はサプライズ好きなのだ、と笑うしかなかった。


ーーー次の日は雲一つない晴天。前日の天気予報では降水確率が高かったのに、とTVに向かって呟くと、『超が付くほどの晴れ男なんだよボク』と。確かに匠馬が何処かに行こう、と提案した行事で雨が降った事が無い。どうやら、あたしの旦那さんになる人は、有難い晴れ男の様です。


朝食を摂ると、その後は慌ただしかった。連れて行かれた部屋には真っ白なウェディングドレスが飾られ、その横にホテルの制服を着た女性が2人待機していた。鏡台の前に座らせられると、髪を結いあげる事から始まったが、なんせ長い髪。2人掛りで形が決まらずに何度もやり直す事になり、髪の毛を切って来ればよかった、と心底思った。髪が終わると化粧に移り、皮膚呼吸が本当に出来ているのか不安になる程、塗りたくられた。汗で化粧が剥がれない様にする為だが、これ、落ちるのかな…。


やっとウェディングドレスを着る事になるのだが、ブライダル用の下着、レースビスチェとロングガードルを着ないといけない事に驚いた。朝食をしっかり摂り過ぎたせいで、とても苦しい思いをしたが、ウェディングドレスを纏った時、ビスチェって凄い、と心底思った。お母さんが選んでくれたウェディングドレスは、ビスチェのマーメイド(と教えて貰った)。トレーン、というらしい後ろにぞろびくアレに、長くて踏んでしまわないかと驚いていると、移動中は後ろで持ってもらえるのだと笑われてしまった。ウェディンググローブは二の腕まで長く、それを着けると椅子に座らせて貰え、最後のティアラとベールをつけてもらい、やっとあたしの準備は整った。


そこでやっと式の流れを書いた紙を見る事が出来、頭に流れを入れておく。リハーサルなしで、即、本番なのだと。誓いの言葉を口にしていると、ドアがノックされた。そして入って来たのは、オフホワイトのタキシードを着た匠馬。まったく、どうして何でも着こなしてしまうのか。従業員2人は匠馬に見惚れる始末。そんな視線も気に留める事も無く、あたしばかりを誉めるものだから、恥ずかしさが込み上げて顔を赤くした。


ウェディングシューズのヒールの高さに、足をくねらせないか、とビクビク歩くあたしを見て匠馬はそっと腕を差し伸べてくれた。匠馬の腕に捕まる様にしてメインタワーの入り口に向かって歩く中、通り過ぎるスタッフや客までが立ち止まり、『Congratulations!』と祝福してくれる。こちらでは当たり前の事なのだろうが、あたしにはとても嬉しい事だった。


リムジンに乗ってチャペルへ向かうと皆は席に着いていて、匠馬は先にチャペルの中に入って行った。入り口で最終チェックをして貰っていると、横にやって来たのは紳一さんだった。本当は、お父さんが来るはずだったのだが、お父さんの方が身長が低くなってしまう事をやたらと気にするので変わったのだと。そして、紳一さんは匠馬の事についてほんの少しだけ話してくれた。昔から我慢強い子で感情を露にする子では無かったけど、あたしと知り合ってから匠馬は感情表現が上手くなった、と。何時もにこにことしているので、その変化はあたしには分からないけども、長い間見て来た紳一さんからしたら、凄い変化なのだろう。


男は心を許した伴侶の前だけ莫迦になれる、と父が言ってたっけ。匠馬が莫迦出来る様な心の安らげる人になれる様に頑張らなきゃ。


紳一さんに腕をまわすとパイプオルガンの演奏が始まり、ウェディングシンガーの歌声が中から聞こえてきた。教会の扉が開くと、ゆっくり、1歩1歩とバージンロードを祭壇へと進む。昨日見た匠馬とはまた違う、彼が其処に立っていた。定位置に着くと匠馬が迎えに来て、あたしは紳一さんから匠馬の腕へと。


牧師さんが祝福の祈りを捧げ、密やかに式が開催された。


誓いの言葉はお互いの手を重ねて神父さんの話を聞き、次は指輪の交換。すると、急に閉められていたドアが開き、白のリングピローを持って聖也くんがこちらに歩いて来る。そのリングピローの上には、白のリボンにくっ付いている2つの指輪。本当なら非常識(年齢的になど)なのだろうが、これもご愛嬌。蝶ネクタイ姿の聖也くんに、あたしは我慢出来ずに笑ってしまうのだった。


側まで来ると匠馬は、何で聖也がリングボーイしてるんだよ、とリングピローを引っ張り、聖也くんはそれに対抗。引っ張り合いをして、神父さんを困らせた。


やっとリングピローは神父さんの元へ。神父さんの手でリボンが解かれ、指輪の交換に移った。匠馬があたしの指へ。そして、あたしが匠馬の指へ。


祭壇に置かれた蝋燭に2人で火を灯せば、神父さんがあたし達が夫婦になった事を宣言する。


匠馬と向い合い、ベールをゆっくりと捲られ、誓いのキスへと。流石に皆の前なので、終わった後は恥ずかしくて顔を赤くしたら匠馬は意地悪く、『濃いキスを期待した?』と耳元で囁くので余計真っ赤になってしまうのだった。


テーブルが用意され、結婚証明書とペンがその上に置かれた。結婚証明書へお互いサインをして、証人として大河原くんとひまさんがサイン。サインで式は終わり、あたしは匠馬の腕に手を添えた。


ドアが開かれ、あたし達に向かって光の道が出来る。


その道を今度は匠馬とゆっくりと進んで行った。


まだ見ぬ未来に不安も戸惑いもあるけど、こんなあたしを白鳥にしてくれたこの人なら、この先の苦楽も共に乗り越えていける気がする。


ねぇ、お父さん、お母さん。


産んでくれて、本当にありがとう。


あたし、鮎川智風になります。


           


            【終】

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醜いあひるの子 仙堂 りえい @ahosenta

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