第24話

『登校前に病院に寄って来い』と担任から連絡があり、1日休んで学校へ行った。考えても何がどうなる訳でも無い。昔に戻れる訳でも無いのなら、何も考えなければいい、と。


病院によって智風が学校に着いたのは2限目の授業が終わってからだった。


「ほら!謝る!」


教室に入ると、バレンタインのあの日、匠馬に振られた生徒を慰めていた女生徒が血相を変えて飛んで来たのだ。猫の様に首根っこ掴まれ、連れて来られた女生徒は口を尖らせて智風をちらり、と見るとイジイジと両指を合わせて俯いた。


「ご、ごめん、な、さい…」


「はぁ…。屋嘉比さん、ごめん。この子、かなり長い事、鮎川に片思いしててさ。…ほら、年明けてから、急に鮎川と屋嘉比さんが仲良くなったから、悔しかったんだと思うんだ。私からも謝るから、許してやってくれないかな?」


登校した途端に現れ出た2人に智風はただ、きょとん、とするしかなかった。逃げ出して、勝手に階段から落下して『迷惑をかけられた』と罵られると思っていたからだ。


「そ、その…、頭、なんだけど、大丈夫?」


「は、はい、だいじょうぶ、です。あ、あの、あたし、別に、気にしてません、そ、それに、あたしが、勝手に、落ちたから、気にしないで、下さい」


しどろもどろしながら智風が返事を返すと、慰めの女生徒が思いっきり例の女生徒の後頭部に拳骨を入れた。ゴッ、と鈍い音は教室中に響き渡り、移動教室から戻って来た他の生徒が注目して冷や汗が伝う。


「ったく!たいした怪我じゃなかったから良かったんだぞ!お前は!大事おおごとになったらどうするつもりだったんだ!高校生にもなって感情的になりやがって!嫌がらせして、追っかけて!ガキか!もう少し考えて行動しろ!本当は、親連れて頭下げに行かないといけないんだからな!ガキ!」


「う゛〜〜〜!!そこまでする事ないでしょ!悪かったわね!ガキで!」


そこから2人の漫才の様なコントの様なやり取りが始まり、智風は思わず笑ってしまった。両手口を押え、笑いを堪えようとするが、無理で笑い続けていた。それに驚いた例の女生徒は目を輝かせて手を伸ばして来る。


一瞬、何かされるのか、と思うと彼女は智風の手を掴み


「すっごい、指、長くて綺麗!手タレみたい!」


と叫んだ。


「うっわ〜本当、綺麗な指だ。って言うかさ、胸はでかいのにスタイル良い。頭も良いって贅沢だわ、屋嘉比さん。…本当はモデルとかしてんじゃないのかい?」


2人の騒ぎように見ていた女生徒達が集まり、手を掴まれては『綺麗!!』と賞賛されて智風は完全にフリーズしていた。


それは3限目が始めるまで続き、智風はひまわりに引っ張られるように席に着いた。


休み時間になると代わる代わる『この問題が分からない』と教科書を持ってやって来る。教えると皆決まって『塾の先生みたい』と言ってくれ智風は照れるしかなかった。そして、匠馬と聖也と話さなくて済むのはとてもありがたかったが、怪我の功名とでも言うべきなのか、周りが急に優しくなりもどかしくもあった。


帰り際、あの女生徒に


『屋嘉比さんって、もっと話しにくい人かと思ってた。何て言うかな、話し掛けて欲しく無さそうっていうか。ひとりがいいの!ってオーラ出してるのかと思ってた。これから、もっと話し掛けてもいい?』


と言われ、必死に頭を縦に振った。しかし、どういう風の吹き回しなのか、何かあるのか、と勘繰っていると


「何かあった時はうちが対処したるから、心配すんな」


ひまわりがニッコリと笑った。


『また明日ね』と手を振り返して校門からはひまわりと2人、帰宅した。すると、


「ーーーな、智風。お前の誕生日、21日やろ?」


久し振り一緒に下校すると、ひまわりがアイスを頬張りながら智風を見上げた。


「…はい。そうですけど…」


「な、誕生日会せーへん?」


「で、でも、あたしの誕生日、平日ですよ?」


「あ、せやったかぁ〜。なら、その週末の土曜はどうや?みなでしようや」


アイスの棒を歯で挟み、ひまわりは前を向くと


「ちゅーか、お前と匠馬と聖也、何かあったんか?」


ぶっきら棒に聞いて来る。


「………」


「言いたないなら無理して聞かせん。やけど、誕生日会までには仲直りしときぃ。しけた会にはしとうないで」


「…はい、」


無理して聞き出そうとはしないひまわりに感謝してしまう。正直に全て話してしまえば、ひまわりも離れていってしまうのではないか、という不安もあったからだ。すると、スマホをカバンから取出し耳に押し当てると


「…取るの早いな、お前。来週、智風の誕生日なんや。皆でパーティーするで。土曜や、土曜!じゃかあしい!坊ちゃんと匠馬に言うとけや。ほなな」


多分、紳一と話をしていたのだろう。喧嘩腰で話すくせに、顔は笑っているのだ。


「じゃ、段取りはうちがするからな〜」


「はい。楽しみにしています」


ほんの少し、笑みを零した智風にひまわりも安心したのか、何時もの場所で別れを告げた。


自転車を漕ぎ、少し遠回りをして、アパートに戻る。


あの日以来、匠馬からメールも電話も一切、無い。だが、この距離でいいのかもしれない。


どんなに頑張っても、好き、と言う感情を捨てる事は出来なかった。初恋は実らない。その通りだ。


だから、卒業するまで只のクラスメイトで。そして、誰にも知らせずにこの場を去ろう、と決めた。


ーーー5月21日。いつも通りの時間にアパートを出た智風は、例の公園を入った処でブランコの処に人が居るのに気付いた。6時半前なら、ご老人数名がラジオ体操をしているのだが、智風が学校へ行くこの時間は誰も公園利用する者は居ないはずだ。珍しい、と思って目を凝らして見ると、同じ学校の男子の制服にドクン、と大きく心臓が鳴る。何故、ブランコの前にある柵に、匠馬が制服を着て腰を下ろしているか。驚きの余りバランスを崩しそうになり、慌ててブレーキを掛けた。キュッ、と音が公園に響き、それに気づいた匠馬が顔を上げるのが分かった。逃げなきゃ、と頭が指令を出すのだが、躰は動いてくれない。ゆっくりと立ち上がり、智風の方に向かって来るのを黙って見ている事しか出来なかった。


何時の間にか目の前に匠馬の姿があり、心臓が忙しなく動いて音を立て始める。何をしに来たのだろう…。あれから、電話だって、メールだって一切無い。そして、学校でも女生徒達と昼食を摂る為、話しすらしていない。


「おはよ」


目を覚ました時に何時も聞かせてくれた、少し擦れた声で挨拶され、智風は唇を噛み下を向いた。


「お、おはよう…」


「今日、ちーの誕生日でしょ?…これ、母さんから預かって来たんだ」


差し出された小さな袋に、慌てて顔を上げた。


智風でも知っている有名ブランドのロゴが入っている袋だ。自転車を停める様に促され、渋々従うと今度は開けてみて、と。戸惑いながらも袋を開け、中から出て来たのは美弥子が愛用しているシュシュ。ここのモノを使用していたのか、と肌触りの良さにウットリしてしまう。すると


「着けてあげる」


智風の背に回った匠馬は束ねていたゴムを外し、手で髪を梳く。匠馬の手は本当に気持ちがいい。丁寧に梳かすと、美弥子がしている様に右肩の方で束ねて結び、髪を胸の方へ流した。


ありがとう、と言うべきなのだろうが言葉が出ない。智風はただ、黙って下を向いていた。途端に項にちくっとした痛み。そして、そこに有るのが匠馬の唇だ、という事に気づくのにかなりの時間を要した。


「あ、あの!」


慌てて匠馬から距離を取ろうと躰を動かそうとすれば、腕を掴まれ、向い合せに。そして、唇を塞がれた。聖也にならば、放して、と直ぐに動くのに、何故動かないのか。好き勝手唇を貪られ、口内を犯す様に舌が動き回る。ずくん、と躰の奥が疼き、慌てて匠馬の胸を叩いた。


「はっ、…ぁ、や、やめて、よ…」


視界が歪む。


「ね、ちーはボクの事、好き?」


その言葉に智風は息を飲んだ。急にやって来て、この人は何を言い出すのか…。


「お願い、答えて」


顔を背けて、悔しくて智風は唇を噛む。言葉に出しても意味の無を持たない言葉を出させて、何が楽しいのか。


「好き、よ…」


自分は自分の事をどう思っているのか口に出さないのに、何故、自分だけが出さないといけないのか。人の気持ちを弄ぶなんて最低だ、そう思っていても、匠馬が好きな気持ちを捨てきれないのは何故なのか。自分の莫迦さ加減に腹が立ってくる。匠馬の気持ちが知りたいくせに、本心を知って傷つきたくもないのが事実。


「嬉しい。ちーはそのままボクを好きでいて」


それだけ言うと、匠馬は智風のメガネを取り上げてまた唇を奪った。抵抗をしなければ、と思うのだが、躰が動いてくれない。角度を変えて、ついばむようなキスをしたり。開いた目に飛び込んで来たのは、楽しそうな匠馬の顔。莫迦にされている、と思い泣きそうになる。それでも、躰の関係でもいいからずっと側に居させて欲しい、とちらりと本心が現れる。


しかし、匠馬には…。


だめだ、と必死に自分と格闘し


「も、…もう、放し、てっ、人、来ちゃう」


やっと離れた唇から、息絶え絶えに精一杯の拒否を訴えた。


「好き?」


瞳を覗き込みながら尋ねられ、視界が歪む。


「…すき…」


「もっと言って?」


「好きなのタクマが、」


「うん」


「好き…」


「…」


困った様な表情になっていく匠馬の顔をこれ以上見たくなく、首に腕を回して抱き付く。


「今晩、日付変わるまでにちーのアパートに行くから。そのね、大切な話があるんだ」


抱きしめられた腕に力が籠められる。


「必ず行くから、待ってて」


多分、その時にはっきり関係を終わらせるつもりなのだろう。ぎゅっと閉じた瞳から止めどなく涙が零れ落ちる。もう泣かない、と決めたのに。曖昧な関係は続けても意味を成さない。匠馬もきちんと清算し、ケジメを付けるつもりなのだ。


腕を掴まれ、躰を引き離される。そして、長い指で涙を優しく拭ってくれ、匠馬は微笑む。


「泣いたら、可愛い顔が台無し」


「…」


「必ず行くよ」


「うん」


本当に羽が触れる様なキスを最後に一つだけ残すと、匠馬は背を向けて走り出した。

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