第17話
ーーー2月14日。
「ね、鮎川君にあげる?チョコ。私買って来たんだけど、これ、色気無さすぎるかなぁ?」
きゃあきゃあと女生徒達がチョコレイトを持ち、意中の匠馬に何時渡そうかと、騒いでいる。一応、智風もチョコを準備するつもりだったが、『チョコはいらない』と断りを入れられた。その代り、匠馬がチョコレートケーキを作って来るという。智風も自分が作ればぼそぼそのボール球みたいなのが出来る自信があるので、これ幸い、なのだが。夜、智風のアパートに泊まり、学校が終わればバイトに直行するのに、何時作るのだろう。首を傾げながらひまわりと2人で“友チョコ”というのを食べる。何だかチョコを渡すのに必死な彼女等がとても可愛く見え、微笑ましくそれを眺めるとぼそり、智風は呟く。
「何か、恋する乙女って、青春ぽくっていいな」
「…枯れてんな、智風…」
横で呟かれた言葉は、智風の耳には届いていなかったが。
夕方。下校時刻になり、ひまわりが駆け寄り両手を合わせ、頭を下げた。
「智風、“にーちゃんが迎えに来る”言うんや。すまん、先帰るわ」
にーちゃんが迎えに来る=仕事が出来てしまった。
一緒に帰れなくなった時の2人の暗号。前回、仕事で先に帰る事をメールして来たひまわりに、『誰に見られるか分からないから、暗号を作りましょう!』と智風が持ち掛けたのだ。もしもを考えて、と銘打っているが、遊び感覚で始めた事が定着してしまっていた。
教室から人が出ていき、静かになると日誌を書きはじめる。半分以上書き上げたところで教室に啜り泣く声。髪の毛の隙間から見れば、いつの間に入ってきてたのか、2人のクラスメイトがいた。泣いている少女と宥める少女。
「だから、鮎川なんて止めとけって言ったんだよ!」
「だ、だって…、だって、4年越しなのよ?…っ、ひっく…う゛〜〜〜!」
「は〜…兎に角、泣きなさい。そして、次に進むがいいさ」
「う、うん…。ありがどう、」
早めに書き終えると日誌を閉じ、何も聞かなかったフリをして智風は教室を出て行った。
日誌を担任の机に置き教室に戻る時には先程の生徒達は下校しており、教室は静寂に包まれていた。カバンを持ち顔を上げた処で、廊下側から人が教室内を覗き込んでいた。聖也だ。あれから何度かだが、聖也は智風がひとりで居る処を見かけると声を掛けて来た。始はぎこちなかった智風だが、小さい頃の思い出が心を解すのに、時間は掛からなかった。
「ひとり?」
「うん。聖也くんも今から帰るところ?」
「そう。あ、あのさ、少し前、学校休んでたけど、どうした?」
「生理痛と貧血でね。嫌になるくらい酷いの」
聖也はそんな話をした事が無いのか顔を赤らめて横を向いた。こんな時、匠馬なら『代われるものなら代わってあげたい』とか絶対に言うけど2人は違うな、とそんなことを思ってしまう。
がさっという音が聞こえ、視線を落とせば聖也が大きめの紙袋を持っている。その中には可愛らしく包装された物が。思わず紙袋の中身を覗き込むと、それが沢山入っていた。
「…それ、チョコレート?」
「あぁ、断りきれなくって。仕方なく」
苦笑いを浮かべながら、聖也は袋を後ろへと隠す。
「モテるって大変だねぇ」
「俺なんか義理ばっかだし。ほら、智風ちゃんのクラスのイケメン…、えーっと、鮎川だっけ?噂だと30人近くの女子に告られたって」
「へ〜!それは凄い!」
「でも、偉いって思ったのが、『年上の彼女が居るから、チョコも貰わないようにしてる』って断っててさ。何か、断るのって意外と勇気いるだろ?ちゃんと断りきるのって凄いよな」
聖也が感心したように匠馬を誉めるが、多分、持って帰るのが面倒なんだろうな、と智風は心の中で笑う。
「そうだね」
「智風ちゃんは…、いや、なんでも無い。下まで送るよ」
「?うん」
そして、他愛も無い話をしながら靴箱まで行き、そこで聖也と別れた。気を抜きすぎていたのか、その姿を見ていた人が居た事に気付かなかった。
何時もひまわりと別れる曲がり角を過ぎると公園がある。その公園を自転車で通ると、数メーター先にあるライトの下で女性が大泣きしている姿があった。正直、気付かないフリをして通り過ぎたい処だが、子どものように泣き叫ぶその人が可哀想に見え、智風は速度を落として女性の前で自転車を降りた。流石に薄暗い。貞子状態で声を掛けたら怖がるかも、と思って智風は髪を耳に掛け、ハンカチを差し出した。
「あの、どうされたんですか?」
声を掛けられる、と思っていなかったのか、人が通ると思っていなかったのか。女性は驚いて顔を上げた。
「あ゛…あ゛じがどう゛」
ハンカチを受け取りながらお礼を述べた。ほんの少し茶色ががった髪は肩が隠れる程の長さで、年は智風より5歳程上くらいでOLさんなのか、スーツ姿の綺麗な人。だが、少し砂が付いて所々白くなっている。そして、涙で化粧が剥がれ、マスカラが凄い事になっておりまさにパンダ状態だ。
「雪、降りそうなんで気をつけて帰られて下さいね」
にっこりと笑ってその場を去ろうとすると女性は涙を拭いて声を出した。
「あ、あの!ハンカチ!洗って返すから、明日ここで待ってるわ!」
「え?…明日…」
ハンカチは捨てて貰ってもいいのだが、母の言っていた『勿体無い』の言葉が頭を過る。『捨てて下さい』なんて言ったら母が枕もとに立ちそうだ。…やはり返してもらった方が良いだろう。しかし、明日は匠馬のバイトが休みで、直接彼の家に向かう予定にしていて都合が悪い。その上、週末が入るので、美弥子の処に行って仕事を手伝う事になっている。
「あの、明日は都合が悪いので、月曜日でもいいですか?」
「えぇ!ハンカチ、ありがとう」
「どういたしまして」
自分から声を掛けれた事が嬉しく、ついつい顔が緩む。頭を下げると智風はまた自転車に乗り、公園を出てアパートを目指した。“あ、名前聞いていない”と考えていると、携帯が震えている事に気づき、カバンから取り出す。表示している名は“タクマ”。何時もならメールなのに、と通話ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし?」
『あ、ちー?ちょっとトラブルがあって、今日はいつ帰れるか分からないんだ。折角チョコケーキ用意したんだけど、明日作り直してあげるから』
「気にしなくてよかったのに。それに、明日でも食べられるでしょ?」
『食中毒にでもなったらどうすんの』
「心配し過ぎ。タクマじゃないんだから大丈夫」
『ボク虚弱体質じゃないよ?』
「腸はあたしの方が丈夫だし。牛乳1本飲んだらトイレの住人になるくせに」
『ちょっ!女の子が何て事言うんですか!ちーは最近口が悪くなったね〜。明日はお仕置きだからね!…あ、ごめん、父さんが呼んでる。じゃ、また明日ね』
「うん、また明日」
“やたらお仕置きしたがるな、匠馬って”とため息吐きながら空を見上げると、智風の心を表すかのように、雪雲が先程より厚くなっていた。
次の日、お仕置きと称され一緒にシャワーを浴びさせられた。それだけではお仕置きは済まず、ゴムの着け方を勉強させられ、恥ずかしさの余り泣きそうになると『可愛い』と歓喜する 匠馬の姿があった。そして、暇さえあれば智風の唇に吸い付き、ひりひりと腫れ上がる始末。半泣きの智風を見て美弥子に『この莫迦息子!』と怒られていたのには笑えたが。
週が明け月曜日、あの女性と待ち合わせている為、ひまわりと別れると公園に急いだ。髪を耳に掛け直し、公園に入るとあのライトの下に女性はいた。先日とは違う普段着で、ダウンコートを羽織ってキョロキョロとしている。そして、智風に気づくと、大きく手を振って来た。
「こ、こんにちは…」
自転車を横に停めると軽く頭を下げた。
「こんにちは。この前はありがとう」
にっこりと女性は笑いアイロンまで掛けられたハンカチを智風の前に差し出す。
「それと…、これ、良かったら食べて。あ、チョコレート嫌い?」
小さい頃父がよく買ってくれていたメダル型のチョコレートだった。それを何枚か入れた可愛い透明な袋を智風に手渡し、女性は私が好きなチョコなの、と微笑んだ。折角の好意を有り難く受け取り、ありがとうございます、とお礼を述べ、ハンカチと一緒にカバンに入れた。
「この前は本当に恥ずかしいトコロ見せちゃって…。あのね、ちょっとだけ、愚痴っていい?」
「は、はい。聞くくらいしか出来ませんが、気が済むのなら」
「あ、ありがと〜!あ、名前!私、
「えっと、屋嘉比智風と申します」
自己紹介をするのに慣れてない智風は恥ずかしくて、顔を少し赤らめた。しかし、声も震えずにちゃんと出来た事が嬉しく思わず笑ってしまいそうになった。
「よろしくね、智風ちゃん!あのね、私、〇〇商事っていうちょっと大きい会社に勤めてたんだけど、あの日にね、リストラに遭っちゃって…。部屋じゃあんなに大きな声で泣けないから、こんな処で大泣きしたちゃってて…。本当はね、あの会社に仕返ししてやろうかとか思って、友達に愚痴ったら『莫迦じゃないの?』とか言われちゃうし。彼氏もトラブルがあったってロクに話聞かずに電話切られちゃうしで、もう、本当に落ち込んでてね。でも、嬉しかったのよ。智風ちゃんが声掛けてくれた上に、ハンカチまで貸してくれて。…何ていうのかな、そのね、私はひとりじゃないって感じて」
そんな大事で泣いているとは。また、自分の取った行動で励まされた、と言われ恥ずかしい智風はなんと返して良いか分からず言葉を詰まらせる。
「あ!ごめんね、辛気臭い話だったね!ね、ね、智風ちゃんが着てるこの制服、あの進学校のでしょ?凄いわね!」
「え!?そ、そうですか?何が凄いのかいまいち、よく分からないんですけど…」
「凄いよ〜!ねぇ、受験勉強って毎日何時間したの?」
「えっと、コレと言って何もしてません。…ただ、ゲーム感覚で両親と問題出し合いこしたり、あたしが教師になって親に講義をしたくらいですか、ね?」
「ええっ!?」
「なので、試験の前の日とか特に何もしなくって…。夜の8時には寝てたっていうか…」
「す…凄いのね…。あ、あのね!」
と明美が言った瞬間、ピピッと携帯が鳴った。智風は慌てて携帯を取り、断りを入れて、メールを開いた。『この前残業したから、今から帰るよ。回鍋肉作りたいので豚バラ肉出してて』そのメールに『了解』と返す。
「すいません、あたし帰らないといけなくなって…」
「あら、そうなの…。じゃぁ、たまに私ここに来るから、またお話しましょ!」
「はい!明美さん、風邪ひかないでくださいね!」
「智風ちゃんもね!」
お互い手を振り、その場を後にした。目標であった名前を聞く事も出来たし、大満足だ。沢山話がしたく、匠馬の帰宅が待ち遠しかった。
その後、明美と何度か公園で会い、彼女の高校時代の話や今までいた会社の話を聞いた。ひまわりとは違うお姉さん的存在になっていった。
3学期末試験が終わり、答案用紙が帰って来た日の事。教室に入って来た英語の先生は珍しく不機嫌であった。
「あ〜ゆ〜か〜わ〜君!貴方は何でこんな点数取れるの!また、赤点ギリギリじゃない!この前のやる気はどうしたの!それに、今回の試験!このクラスは平均点がかなり下がってるじゃないの!」
インテリメガネの中年先生はかなりご立腹で、クドクドとお説教が始まった。この先生は長いで有名だ。他の事でも考えよう、と思った矢先。
「さて、このクラスにはぺナルティーを科します」
いきなりのフェイントに「「「えぇ〜〜〜!!!」」」とブーイングの嵐が起こった。
「春休み課題を3倍。または、本1冊を英文にして1週間以内に提出。さて、どちらが良い?選ぶ権利は君達に与えます」
どちらでもいい、と思っている智風を他所に、他の生徒は不満そうにグチグチと文句を垂れる。すると、匠馬とアイコンタクトした陵が立ち上がり、先生に交渉に向かった。5分ほどで話を詰めると先生は大きくため息を吐き、『後はお願い』と教室を出て行く。どうやら、陵の旨い口車に乗せられたようだ。
「さて、うちの休み時の課題の多さは知っていると思うが、あの人は3倍といいながら5倍に増やしかねない。先程言っていた本1冊に指定されたのは“坊ちゃん”。明日の放課後までに提出しろと。提出出来ないヤツは居ないだろうが、ひとりでも提出が遅れたら課題を3倍にする、と。そして、いい加減にしているヤツは5倍だ」
教室中が悲鳴で埋め尽くされると、ムンクの叫び並の顔でひまわりが智風の方を向き、思わず吹き出してしまいそうになる。“ここで吹いたら顰蹙を買う”と必死に耐えていると、また、陵が話始めた。
「俺は課題よりも本1冊の方がいい。しかし流石に坊ちゃんをするのは御免だ。それで、だ。今日中に1冊、どんな本でも構わないから英文にして提出したらO.Kという事になった。が、学校の図書館の本に限る」
「どんな本って、絵本とか童話とかでも良いって事?」
「あぁ。今回の目的は“期限内に全員の提出”だ。だから、今日中に出来るモノにしろ。次の授業が担任だからこれの時間に当てて貰えるよう今から俺が交渉してくる。では全員図書館に移動」
少しでも楽になった、と喜ぶ生徒達を他所に陵はもう一言付け加えた。
「この事態を生み出した匠馬は2冊な」
「嘘!ちょっと、何で!?」
「お前が真面目に受けとけばこんな事になんなかったんだよ!ったく!あひる、じゃねかった屋嘉比、お前手伝ってやれ」
その言葉にまた、生徒達(特に女子)がざわつき出すと、バレンタインの日に匠馬に告白をした例の女生徒が声を荒げた。
「ちょ、ちょっと、大河原君。それって屋嘉比さんはぺナルティー無しって事!?」
「いや。屋嘉比だけ無しって事にはしない。皆と同じだ。ほら、時間が無いぞ、早く行って本を探せ。いい加減にやってると再提出に課題3倍だ」
それが合図。生徒達は猛ダッシュで図書館に向かっていく中、絵本なら1時間も掛からずに終わるだろうに、と智風はのんびりと図書館に向かう。
「絵本の方が早う終わるか…。うち何にしよう…」
「“ウサギとカメ”はどうですか?結構早く終わると思います」
「なら、うちそれにするかな。智風は?」
「あたしですか?…“長靴を履いた猫”にしようかな…」
「あひるオマエは“醜いあひるの子”にしとけ」
「なっ…、何でですか…」
「お前にぴったりの話だから」
「い、意味が分かりません…」
「で、匠馬は決まったのか?」
「“オオカミしょうねん”があったからコレ…と何にしようかな」
「なら、あひるの選んだ“長靴を履いた猫”にしろ。これで決定。よし、始めるぞ」
陵の掛け声で、机に着くと1文字でも多く書いてしまおうと必死に書き始めた。智風は選んだ本を取られてしまったので、仕方なく陵が言っていた本を探す事に。殆どの絵本や童話を選んでいる為、中々見つからない。どうしよう、と思っていると横から古びた本を差し出された。小汚い上に、ぼてっとしたあひるの子がイラストされた本。探していた“醜いあひるの子”だ。
「これ、探してるんでしょ?」
「あ…、ありがとう、ございます…」
本を受け取ると彼女はじっと智風を見詰め
「本当、大河原君が言う通り、あんたにぴったりな話ね」
そう言って智風の横を通り過ぎて行く。固まってしまった智風は一歩も動けず、ただ立ち尽くしていた。陵だけで無く、他の人からも言われるとは。
“あぁ、あたしって本当に醜いのか”
胸がぐっと締め付けられる痛み。
久し振りに味わうこの感覚に、涙が出そうで鼻がツンとした。
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