エピローグ

 そこは、どこかの神社の境内だった。栄一郎は気がつくとそこに立っていた。栄一郎は思った。


 ああ、これは夢だな...

 自分で夢って自覚してるから、明晰夢ってやつだな...


 栄一郎は周りを見回した。拝殿の脇に見覚えのある少年と少女がいた。


「エイイチロウ、今日の作文の宿題、何書くか、もう決めた?」


「まだだよ。『将来の夢』なんて言われても、そんなのないよ」


 栄一郎は二人に近付いて行くが、彼らには栄一郎の姿は見えていないようだった。


「私はもう決めてるよ」


「トモエは将来何になるの?」


「私はね、お医者さんになるの」


 え...


 栄一郎は少女のその発言に驚いた。


「お医者さんになって、病気の人をたくさん助けるの」


「そうなんだ...」


 少女の話を聞いて、少年は少し考えこんだ。


「じゃあ...僕もお医者さんになる」


 なっ...


 栄一郎は少年の発言にさらに驚いた。


「トモエがお医者さんになるんだったら、僕も一緒にお医者さんになるよ」


「じゃあ、もし、二人ともお医者さんになれたら、一緒に困ってる人を助けようよ」


「うん、わかった」


「約束だよ......


 栄一郎は静かに目を開けた。白い天井が見える。栄一郎はむくりと体を起こした。

 そこは、消化器外科医局のソファだった。窓から朝の光が入ってきている。栄一郎は、手術が終わり、沙耶香をICUに移送したあと、そのまま病院に泊まったのだ。


「そっか...」


 栄一郎は先程みた夢を反芻する。

 栄一郎は、ずっと、自分がなんで医者になったのかよくわからないでいた。何かそうしなければならないという思いにかられ、医学部に入り、医学の勉強をして、気が付くと、今の場所にいたのだ。


「俺は、ここにいるべくして、ここにいるんだな...」


『私はね、お医者さんになるの』


『お医者さんになって、病気の人をたくさん助けるの』


 亡き親友の叶わなかった夢を、代わりに叶えるために...


『トモエがお医者さんになるんだったら、僕も一緒にお医者さんになるよ』


『じゃあ、もし、二人ともお医者さんになれたら、一緒に困ってる人を助けようよ』


 亡き親友との約束を果たすために...


 栄一郎立ち上がり、時計を見た。


 7:30...


 周りを見回すと、外科の医局員たちが、すでに出勤してきている。栄一郎は医局を出て、ICUに向かった。


 栄一郎はICUに入ると、まっすぐに沙耶香のベッドに向かった。沙耶香のベッドサイドには、すでに山本が来ていた。


「それじゃあ、一条さん、私はいったん失礼します」


 栄一郎がきたことに気づき、山本はそう言って去っていった。

 栄一郎はベッドサイドに置いてあったパイプ椅子に座った。


「傷の痛みは大丈夫か?」


「うん、傷のほう大丈夫なんだけど、胸の火傷のほうが痛むかも」


 沙耶香はそう言って、胸を押さえた。電気ショックの際、圧着部位に熱が発生し、火傷が生じるのだ。


「そうか...すまない...」


 栄一郎は申し訳なさそうに謝った。


「あ、ごめん、違うの。別に火傷ができたから、どうこうってことはないの。むしろそれがなかったら、私は死んでたんだから、感謝こそすれ、不満なんかないわよ」


 沙耶香は、まずいことを言ったなと、慌て取り繕った。


「それより、一条。一条の病気のことなんだが...」


 栄一郎は、言いにくそうに話を切り出した。

 昨夜、麻酔から覚めたあとに、栄一郎は沙耶香に一通りのことを話していた。Brugada症候群のこと、彼女の父親のこと、これからの治療のこと。


「ああ、今日このあと、お母さんが来て、一緒に循環器内科の先生と相談することになってる」


「そうか...」


 栄一郎と沙耶香は、そこまで話してしばし沈黙した。

 Brugada症候群は、心室細動でいつ死ぬかわからない病気である。診断がついても、心室細動を予防する方法はなく、起こったときに備えて、小型の除細動器を体に植え込むしかないのだ。除細動器を植え込んでも、いつ心室細動と電気ショックがくるかわらないという不安が患者につきまとい、中には心を病む人もいる。


「大丈夫だよ。もう1回死んでるようなもんなんだから、残りの人生思いっきり楽しませてもらうから」


 沙耶香は気丈にそう話し、ガッツポーズをして見せた。


「そうか...」


 沙耶香のその様子に、栄一郎は不安ながらも少し安堵した。


「一条だったら、きっと大丈夫だよ」


 栄一郎は、俺のほうが暗くなってはいけないと、微笑んで沙耶香を勇気づけた。


「やっと...笑ったね...」


 沙耶香にそう言われて、栄一郎は少し戸惑った。


「ああ、まだ仕事に慣れなくて、ずっと表情が硬かったかもな」


「ううん、そうじゃないよ。私がこの病院に来てからの話じゃなくて、トモエが死んでからの話だよ」


 沙耶香のその言葉で、栄一郎は初めて気が付いた。


 そうか...俺...あの日からずっと笑ってなかったんだ...


「やっと、吹っ切れたんだね」


「うん...まあ...そんなところだ...」


 栄一郎はそう言ってもう一度笑った。


「もう行くよ、そろそろ日中の業務が始まる時間なんだ」


 栄一郎はそう言って立ち上がった。


「間!」


 立ち去ろうとする栄一郎を、沙耶香が呼び止める。


「本当にありがとう。心から感謝してる」


 沙耶香の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「間はきっといいお医者さんになるよ。だから、これからも頑張ってね」


 沙耶香はそう言って、右手の親指を立てて、栄一郎のほうに突き出した。


「ああ、ありがとう...」


 栄一郎はそう言い残して、ICUを出た。

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