第14話 解明
手術は順調に進行していた。不意に、麻酔助手の橋本の院内PHSが鳴った。橋本は何やら話したあと、岸野に小声で内容を報告した。
「すぐに確認して」
「今、病棟の看護師がこちらに持ってきてくれてます」
橋本はそう言って手術室を出た。
その間にも山本は手技を進めていた。鉗子の1本を電気メスに入れ替え、虫垂周囲の虫垂間膜を切除していく。
栄一郎は山本の手術を見守りながら、ある疑念が浮かんでいた。
手術が成功すれば死神は消える...本当にそうか?
虫垂間膜の切除が終わり、山本は電気メスを自動吻合器に入れ替えた。そして自動吻合器で虫垂の根元を挟み、山本がガチャリと手元のレバーを引くと、虫垂はキレイに切り取られてしまった。
この手術は成功する...いや...むしろこの時点でもう成功も同然だ...
山本はポートの一つを外し、そこから回収用の袋を腹腔内に入れ、切除された虫垂を袋に入れて、体外に取り出した。
「よし!あとは腹腔内の洗浄だけだ」
山本がそう宣言したことで、栄一郎の疑念は確信に変わった。
手術は成功する!完璧なまでに!そこに一条が死に至る要素は全くない!冷静に考えれば当たり前だ!いくら穿孔していても、これだけ治療が施されている虫垂炎で、健康な若年女性が死ぬはずがない!一条の死因は虫垂炎じゃない!
栄一郎は再び死神に目を移す。やはり死神には何の変化もない。
何なんだ!?一条の死因は何なんだ!?虫垂炎以外の可能性も当然途中で考えた!でも、血液検査も、胸部レントゲンも、心電図も繰り返し確認したが、異常はなかった!
栄一郎が必死に考えている最中、手術室を出ていた橋本が戻ってきた。橋本は手に持っていた紙を岸野に渡した。岸野は紙を広げて中を確認した。
「外科の先生方、問題発生よ」
岸野はそう言って、橋本が持ってきた紙を広げて山本達のほうに見せた。それは心電図であった。
「心電図?心電図は術前回診で確認してるだろ。俺も一応確認したが、正常洞調律だった」
「川崎先生、今、外科病棟にもう一人『一条沙耶香さん』が居ますね?」
それを聞いて、栄一郎は昨日の朝のことを思い出した。
『その部屋の一条沙耶香さんは、昨日憩室炎で入院になった人で、先生がお探しの人じゃないですよ。』
『そう、困ったことに同姓同名なんですよ。しかも字も一緒』
「ちょっと待て、まさか...」
病棟医長の川崎はあることを思い出し、みるみる青ざめていく。病棟医長は自科の入院患者をほぼ全員把握している。それぞれにどういう問題があって、どういう検査や治療を行っているかも把握している。
「もう一人の『一条沙耶香さん』は憩室炎で入院になったが、入院時の心電図でV1-V3に異常が見つかり、今日循環器内科に紹介になった。だが、循環器内科が心電図を再検したら、異常は消えていた」
「異常は消えたんじゃなくて、その患者さんには、最初から異常がなかったんですよ」
「回りくどい言い方をするな!いったい何がどうなってるって言うんだ!?」
事態が飲み込めない山本がしびれを切らして、声を荒らげた。
「心電図が入れ替わっていたのよ。その異常のある心電図は、ここにいる一条沙耶香さんのものだったのよ」
その事実を聞いて栄一郎は慌てて翳された心電図を見た。そして、V1-V3に右脚ブロックのような波形とST上昇を認めた。
その所見を見て、栄一郎の頭の中でこの3日間のいくつかの記憶が繋がっていく。
『一条さん、意識を失って、倒れてしまったんですよ。おそらく、強い痛みによる神経調節性失神です』
違う...あれは...一過性の心室細動だったんだ...
『父親のこと思い出しちゃって。私が中学のとき、死んじゃったんだけど、そのとき、この病院に運ばれたんだ』
『その時の救急の先生は、心筋梗塞からのシンシツなんとかだろうって』
違う...一条の父親は心筋梗塞じゃない...
『プロポフォール開始、時間55』
『プロポフォール、時間55、開始しました』
『プロポフォールの高用量長時間投与中に、横紋筋融解、急性腎不全、高カリウム血症等を起こす致死的合併症です。注意すべき前駆症状として、乳酸アシドーシス、徐脈、Brugada型心電図変化等があります』
最後の引き金は...プロポフォールか...
栄一郎は考えをまとめ口を開いた。
「一条は入院時に失神を起こしています...」
その言葉で、その場の全員が栄一郎に目を向けた。
「一条の父親は、彼女が中学生のときに突然死しています...」
栄一郎は続ける。
「この心電図はBrugada型波形です...」
栄一郎はそれらの情報を一度飲み込むかのように息を吸い、その診断名を口にした。
「一条は、『Brugada症候群』です」
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