最終話 だから笑顔で
悪鬼との戦闘から数日後。真一は大空学園の裏手にある丘に来ていた。時刻は夕暮れ。夕日が辺りを赤く照らし、膝を抱える真一の影を学園の方角へ長く伸ばす。
そこはかつて、ミノリと有栖川と一緒に来た場所だ。短い時間だったが、共に話し合い、彼女の夢を聞いたこの場所は、真一にとって有栖川との思い出が一番詰まった場所だった。彼はそこで、ぼんやりと学園を眺めていた。
「あ、見つけた。こんな所にいたんだ」
真一の後ろから、女性の声がした。振り返るとそこには、いつものように微笑んでいるミノリがいた。
「集中治療が終わってお見舞いに行こうと思ったら、医務室にいないんだもん、びっくりしちゃった」
ミノリはそのままスタスタと真一の元へ歩いて行き、隣に座った。
「ねぇ、体はもう大丈夫?」
こちらを覗き込むミノリの顔を、真一は直視することができなかった。
悪鬼の戦闘で負傷した隊員たちはみな、
御月は少しでも能力を使ったために検査のために緊急入院。真一は全身の負傷が激しかったため数日間の集中治療を受けていた。そのため、真一はここ数日間のミノリの様子を知らないのである。真一の記憶にある限り、戦闘後のミノリは傷ついていた。共に戦った有栖川の記憶を自ら消して、今までの関係を白紙に戻したのだ。ミノリは有栖川を仲間と思っていたし、有栖川もミノリのことを慕っていた。そんな二人が、SOLAの掟のために別れることになってしまった。傷つかないはずがない。それなのに真一は、傷ついたミノリのそばで、彼女を支えることができなかったのだ。
「ミノリはもう・・・平気なのか?」
真一は、ミノリの顔を見ないまま問いかける。
「ん?大丈夫って?傷なら晶子さんが完璧に治してくれたから大丈夫だよ」
至って明るく答えるミノリの声を聞いて、真一は更に顔を背ける。
「・・・辛くないのか?」
「心配しなくても、傷一つ残ってないよ。晶子さんはすごいんだから」
「そうじゃなくて!!」
真一はミノリの方を振り向いた。体が大丈夫であることを強調する彼女に対して、心のことが心配でたまらなくなったからだ。無理をしているのではないか、明るい自分を演じているのではないか。そう思うと、居ても立ってもいられなくなったのだ。
しかし、振り向いた先の彼女は、ただ優しく微笑んでいた。
「ありがとう真一。アリスちゃんのことで私が気に病んでないか、心配してくれたんだね」
夕日に照らされた彼女の輪郭は赤く輝き、風に靡く彼女の髪の香りは、真一の鼻を甘くくすぐる。
「それも大丈夫だよ。アリスちゃんが自分の夢を追うことには納得してるし、普通はあんな怪物と戦うことになる日々を選ばないって、最初から分かってた」
納得してないよ。分かってないよ。それは無理矢理受け入れているだけだ。本当の辛い気持ちを押し殺しているだけだ。今からでも遅くない。有栖川を連れ戻そう。真一はそう思った。しかし、そんな言葉は、彼女の微笑みの前に口に出せる訳がなかった。
真一は、それが酷く幼稚な考えであると理解していたのだ。有栖川の幸せのことを考えていない、SOLAの規律のことを考えていない。そして、辛さを感じているミノリのことも考えていない。一番大切な人を助けたいのに、その人が自分よりも強い。真一は何もできない自分が、とても悔しかった。
「それにね」
ミノリはそう言いながら立ち上がった。
「辛いことだけじゃなかったよ。私はアリスちゃんと出会ってよかったって、一緒に戦えてよかったって思ってる。真一も、あの戦いですごく成長できたしね」
彼女の目は真っ直ぐに前を見据えていた。辛いという感情に流されず、いい部分にも目をむけ、それら全てをありのままに受け入れる。その上で、さらに先に進む。彼女の瞳からは、そんな意志が感じられた。
「ねぇ、覚えてる?私が森で言いかけたこと」
「・・・なんだっけ?」
問いかけられた真一は、ミノリを見上げたまま首を傾げる。
「そっか。うん、色々大変だったからね。・・・じゃぁ、改めてここで言っちゃうね」
ミノリは真一に向き直り、真剣な目で彼を見つめた。
「真一は、本当に強くなった。初めて会ったとき、一人で戦うことにこだわっていた時の真一とは、もう別人。自分から先頭に立って、みんなを守ってくれる真一の姿を見て、私、感動したんだ」
「あっ・・・!」
真一は思い出した。悪鬼を倒した直後、ミノリは今と同じ言葉を言ってた。そして、その先に続く言葉も、真一は完全に思い出せた。
「私、そんな真一を見て・・・思ったの」
そうだ、この続きだ。あの時は有栖川の一件で遮られてしまったが、あの時の自分はその先の言葉が気になっていたんだ。
「私ね、真一のことが・・・」
真一は目を見開き、心臓はバクバクしていた。次の言葉を今か今かと待ち望み、たった1秒程度の時間が無限に長く感じられた。
そしてミノリは満面の笑みと共に、こう続けた。
「真一のことが支えられるくらい、強くなるって決めたよ!」
真一は、自分の中で何かが崩れていくのを感じた。
「お姉ちゃんを支えるためには、強くなった真一を支えられないといけないからね!お姉ちゃんはきっと、もっともっと強いから」
彼女はガッツポーズと共に、強く言い放った。
「強くなった真一を見て、私も負けてられないなって思ったの」
ミノリが言いかけた言葉は自分への告白ではなく、彼女自身が強くなろうと思ったという決意の言葉だった。しかし、ミノリが本当に気に病んでいる様子はなくて安心した。
「真一はね、私に新しい目標をくれたんだ。お姉ちゃんだけじゃない、私が支えたいって思う人を」
ミノリはそう言って、真一に手を差し伸べた。真一はその手を取り、そのままグイッと手を引かれた。
真一はそのまま立ち上がり、ミノリと同じ目線で見つめ合う。
「見て」
そう言うとミノリは夕日の方を指差した。つられて真一もそちらを見る。
そこに広がっていたのは森の景色。悪鬼との死闘を繰り広げた舞台の本来の姿。赤い空と、シルエットになった森の木々。赤や黄色に染まった雲に、飛び立つ烏がよく映える。
「・・・綺麗だ」
真一は、思わずつぶやいた。
「うん。これが私たちが、真一が守った景色だよ」
今までも、きっとどこかで見たことのある景色。しかし、それを自分が守ったと思うと、その景色は姿を変える。もしもあの時負けていたら、今この景色を見ることはできなかったのだ。
「ねぇ真一。真一はこんな素敵な景色を守って、アリスちゃんを守って、私たちも守ってくれたんだよ。すごいことだよね。誰でもできる訳じゃない。それは、真一だからできたことなんだよ」
ミノリは再び、笑顔で真一を見つめた。その笑顔は眩しく、瞳は澄んでいて、とても綺麗だった。
その笑顔を見て真一は、今の自分がどんな顔をしていたのか自覚した。泣きそうな顔をしていたのだ。ミノリが心配で、ミノリの言葉が想像と違って、悲しんでいたのだ。しかし、ミノリは言ってくれた。この素晴らしい景色を守ったのは自分だと。彼女の言葉と共に、自分が成し遂げたことへの実感が、真一の心の奥からふつふつと湧き上がってくる。
「僕が・・・この景色を守ったのか・・・」
「うん、そうだよ」
「・・・僕が頑張ったことは、無駄じゃなかったんだな」
「無駄な訳ないよ。あんなに頑張ったんだもん」
「そうか・・・よかった・・・」
真一の体はドンドン熱くなり、感情が溢れ出してくる。視界は次第にぼやけてきて、ミノリの輪郭が霞む。
「真一が頑張ってくれたから今の私がいる。元気にこうしておしゃべりできてる。笑っていられる」
ポタポタと落ちる涙を、もう真一は止めることができない。しかし、これは悲しんで泣いているのではないのだ。
「だからね真一、笑って」
満面の笑みを浮かべるミノリに対して、真一は涙でくしゃくしゃになった笑顔で応える。そして、例え報われなくとも、こんなにも素敵な人を好きになれてよかったと、心の底から思ったのだ。
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