§2母からの一言

 七海が寮の前で黄川田に甘えている所を、千宙は電柱の陰から見ていた。彼女と連絡が取れない事を気にして、寮の前で帰りを待っている時だった。千宙は悄然しょうぜんとしてその場を立ち去り、翌日、七海に別れのメールを送った。

<七海を怒らせたままで、誤解を解くために昨夜寮の前で待っていた。そしたら男とタクシーで帰って来て、仲良くしているのを見た。二股とは思いたくないが、付き合ってる人がいるなら正直に言って欲しかった。俺はショックで立ち直れない>

 私は彼のメールを読んで、このままではいけないと思ってすぐに電話を掛けた。

「もしもし!昨夜の彼は何でもなくて、ただ送ってくれただけだよ。」

「それにしては、抱き合って仲が良かったように見えたけど!」

「そんな、抱き合ってなんかいません!それより、千宙こそあの日、女の子を抱きながらアパートに入って行ったでしょ!わたし、見てたんだからね!」

 私たちはお互いに言い訳をし、押し問答を繰り返していた。

「わたしが自暴自棄になっていたのは認めるけど、原因は千宙にあるんだから、ストーカーみたいなことは辞めて!」と私は取り返しの付かない事を言ってしまった。


 二人は意思疎通そつうができず、後味の悪い別れとなった。七海は東京にいても仕方なく、冬休みに入るとすぐに静岡へ帰省した。家にいても気が晴れず、傷心の日々を送っている彼女に、母親は恋の悩みだと気が付いていた。

「東京で何かあったの?中学の同級生だった立松君とは、会えたの?」と図星を突かれ、私は母の勘の鋭さに驚いた。

「うん、会えたけど…。上手く行かなくて、中々難しいね!」

「そうか、恋愛には発展しなかったのか。転校でお別れした時も、ずっと落ち込んでたもんね。お互いに好きだと分かっていても、いざ恋愛となると違うものよ。」

「どういうこと?好きと恋愛とは、どこが違うの?」と母の話にいついた。

「好きは一方的な思いなのに対して、恋は相手に自分を受け入れて欲しいという願望が働くの。そうしてお互いの気持ちが一致して、受け止め合った時が愛なのよ。」

 体験談なのか耳学問なのか気になったが、母の恋愛論には説得力があった。

「恋すると相手を束縛したくなって、多くを求めるようになるの。自分の方を向いてほしくて、ちょっとしたことでも疑ったり、誤解したりするのよ。」

「それって独占欲なの?どうしたら良いのか、分からないよ。」と私は泣き出しそうだった。そんな気配を察してか、母は教え諭すように話を続けた。

「好きの気持ちが膨らんで恋に発展するんだけど、恋すると心に余裕がなくなるの。だから思いを伝えようとケンカもするし、相手の思いを探ろうとするのね。」

「何となく分かるような気がするけど、心が通い合うまでは気が気でないよね。」

「心だけでは、なくてよ!心が通じ合うと、それだけでは物足りなくなるのが恋なの!つまり、肉体的なつながりを求めるようになるの。」

 

 今までは一般的な恋の話をしていたが、具体的な話に切り替わっている事に、七海は動揺していた。しかも、実直な母から、男女の欲求について話を聞くとは思ってもいなかった。それは娘というより、女としての心構えを伝えるものだった。

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