第4話

 仕方がない。仕事だ。

 アタシは書類を受け取り、二人と別れて、ヤマトタケルの方へ向かった。隣のスツールに腰掛け、カウンターに頬杖をつく。

「改めて、こんばんは。アタシは町田八重子。よろしくね。ヤマトタケル

「ああ。タケルでいい」

 差し出された手を取る。軽く握った指先は手練の手だった。

「今からアタシとタケルは恋人同士。初めての夜だけど、どうする?」

 一瞬、タケルの表情が固まった。言い方がお気に召さなかったようだ。冷たい気配が漂ってくる。

「明日は引越しだ。早く帰って寝た方がいい」

「別々に行動するの?」

「おれの部屋にはなにもない」

「じゃ、アタシの部屋にくる? ベッドもお風呂もあるし」

 ヤマトタケルはジッとこちらを見る。何を考えているのかわからない。表情からなにも読みとれない。

「……それは、性行為の誘いか?」

「はァ!? 何勘違いしてるの!? 入浴と睡眠は人間生活の基本でしょ!?」

「ずいぶん平和でのんびりした生活を送っているんだな。町田八重子」

 またしても鼻で笑われた。どうせアタシはアンタに比べれば全然修羅場くぐってないでしょうね! ぐうぅ〜! 悔しいぃ。なんでアタシが“どうせ”とか卑屈にならなきゃいけないのよ〜っ!

「お前の荷物はどうするんだ?」

「向こうで揃ってるんじゃないの?」

「もちろんだ」

「だったら、なにも持っていくものなんてない」

「そうか。じゃあ、出発するぞ」

「は?」

 ヤマトタケルは答えない。一瞥して席を立った。アタシは口をつぐんでヤマトタケルの後を追った。

「食い逃げ?」

「もう払った」

 赤い扉を出た瞬間、ヤマトタケルに後方へ突き飛ばされた。尻もちをつく前に体勢を持ち直して踏みとどまる。その間に奴は前方と左右から襲ってきた男たちを気絶させた。

 なるほど。店内は殺戮禁止だけど、この町は組織のものだから何が起きてもかまわない。この町の住人は。神話ネームを倒したらそれこそ次の神話になれる。

 男たちが倒れたかと思ったら、次は猛スピードの車がハイビームを向けてこっちに来た。鋭い急ブレーキ音を立てて回転しながら、ヤマトタケルの真ん前に止まった。メタリックブルーのダッジバイパー。しかも、前にいた一人潰した。えぐ。

 運転席からフューシャピンクの髪の男が出てきた。白い縁の大きなサングラスで顔は分からない。手足は長いけど、すごく痩せてて棒みたい。首には南京錠のチェーンネックレスと五連パール。両腕にはスタッドのブレスレット。蛍光イエローのニットにズタボロのスキニーなブラックジーンズ。ウォレットチェーンもパールとゴールドが三連に繋がったチェーン。変な趣味。

「ハローベイベー、ごきげんいかが?」

「最高に最低だ。おれの車でゴミを潰すな」

「勝手に湧いてきたんだろ。Shit! オレのせいじゃない。文句は兄貴のネームバリューに集ってきたゴキブリどもに言えよ」

 というと、男はアタシの前にやってきて、サングラスを外した。めちゃくちゃ顔がいい。神がかって顔がいい。けど、趣味が悪い。男は腰をかがめて、アタシを上から下からジロジロ眺め回す。

「鶏ガラみたいな女だな」

 と吐き捨てた。お前が言うな。棒きれ。

「bitch、オマエの友達に百キロ越えの女はいない? 理想は四百だけど、外国人は体臭がどうも合わねえ」

「いない」

「Shit! 使えねえな。友達も鶏ガラか」

「は? 喧嘩売ってんの? 買うよ?」

「悪い。コイツはおれの弟で、心臓に爆弾を抱えてるんだ。刺激しないでやってほしい」

「だったらまず他人への口の利き方を教えてあげてよ、お兄ちゃん」

「どうみたって今さら無理だろう。おれがいない間にこんなふうに育ちあがってたんだ」

「それはご愁傷さま。この可愛い弟も一緒に町を出るの?」

「コイツはこの町から出さない。というより出られない。心臓がよくないからな」

「生まれた時から今までオレの家は病院だ。兄貴はこのオレの役立たずの心臓の為にこの仕事をしてるんだ」

「余計なことを喋るな。迎えを呼んだ。早く帰れ」

「見送りにきたっくらいいいだろ。お互い次に会えるかわかんねー身の上なんだから」

 ちょっと胸がじんとした。程なくしてサイレンの音がした。救急車だ。神話ネームの身内は扱いが手厚い。

「それに兄貴のパートナーがどんなのか見ておきたかった」

 救急車から降りてきたのは軍隊みたいな動きをした救急隊員で、羽交い締めするようなかたちで弟を担架に拘束して収容していった。


 ……手厚い……?



「……今の心臓に大丈夫なの?」

「アイツは強い子だからな。ちょっと暴れると厄介なんだ」

 タケルはそういうと車に乗り込む。

「飲酒運転! ダメ絶対!」

「おれたちは治外法権だ。それにテキーラを舐めただけだ。ひと汗かいたら抜けた」

「この町を出て捕まったら一発免停だからね! 罰金百万だけどアタシは払わないからね!」

「おれはそんなヘマをしないし、自分の責任を弱い者に押しつけたりしない」

「弱い弱い言うな!」

「しかし、町田八重子、お前は弱……」

「うっさい!」

 ヤマトタケルは黙って、アタシは助手席に乗った。

「これ、めちゃくちゃ馬力あるやつだよね?」

 外観もだけど内装もピッカピカ。

「高速ぶっ飛ばして」

「その前に洗車だ」

 バックするとがっこんと嫌な音と振動がした。

「町田八重子。今夜はお前の部屋に泊まる。出発は明日だ」

「ですよね」

 赤黒い轍が闇夜に消えた。

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