第877話_目覚め
何より今のアキラの容態だが、安定はしているものの、レナや女の子達が懸命に処置を行っているから安定しているだけであり、それら全てを止めて此処から無闇に移動させて問題の無い身体ではない。
説明を一部伏せてレナを『村の医師』、女の子達を『村の魔術師』としながら、モニカはその厳しい状況を改めて伝えた。
「王家の面子など。アキラ様の御命の前では取るに足らないことでございます。お控え下さい」
「そのようなつもりで申し上げたわけではない、私は――」
弱々しい声でベルクが反論したその時、アキラの屋敷から村の者が一人、飛び出してきた。処置を担当しているアキラの女の子達はほとんど屋敷から出られない為、必ず村の誰かが補佐や連絡係として付くようにしており、今の時間の担当者だった。
音に応じて振り返ったモニカはすぐ、「何かありましたか」と声を張る。
「お目覚めになりました! レナさんを呼びに行きます!」
ベルクにも届いたその声に、また彼が前のめりになったが、油断していなかったケイトラントが前に立ち、それを止めた。我に返ったベルクが再び一歩下がり、居住まいを正す。
軽くベルクを見やったモニカは報告係に向き直り、「お願いします、私もすぐに参ります」と伝えた。
「改めて申しますが。この山ではアキラ様のご意向が全てでございます。お許可が下りない限り、此処をお通しすることはできません」
もうこの言葉に、ベルクは食い下がらなかった。アキラが目覚めたかもしれない。無事が確認できるかもしれない。その安堵が、彼の焦りを鎮めていた。
「……承知した。我々は近くで待機する。何日でも待とう。アキラ様の御容態が落ち着けば、面会を希望する」
いつの間にか、アキラの呼び名が元に戻っている。最初はおそらく、村に対してアキラがどのように名乗っているかを把握しておらず、『無為に触れ回るな』との指示に従い「クヌギ」と呼んだのだろうが、モニカが気にせず「アキラ」という名を扱っていた為、釣られてしまったか、もしくは呼んで構わないと判断したらしい。
「伝えて参りましょう」
モニカはケイトラントに後を任せ、アキラの屋敷へと向かう。
彼女の背に一礼をした後、ベルク一行は少し門から距離を取って、野営の準備をした。
たった四日の期間で、彼らはマディスの王宮から此処までを移動してきた。ヴァンシュ山が北部に位置するとは言え、かなりの強行軍でなければ到着できない。
それでも数日を要する道程だ。最低限の野営道具は持っているらしい。手早く火を起こし、それぞれが休息を取り始めている。その光景を眺めながら、ケイトラントは門番を続ける。アキラが完全に目覚め、彼らの処遇を決めるまで、彼女の仕事には区切りが付きそうになかった。
* * *
光の少ない海に漂っているような感覚が、ずっとあった。
どれくらいそこを漂ったか知らないが、不意に海面が明るさを持ち、光へ吸い寄せられるようにして、意識が浮上する。目を覚まして最初に思ったのは、左手がむずむずする、だった。
「くす、ぐ、たい」
小さく唸ると、左手に触れていた気配が息を呑む。
「アキラちゃん!」
すぐ傍で聞こえたのは、ラターシャの声だった。目が霞んでよく見えないが、影は二つあって、ルーイとラターシャと思われるシルエットが私を覗き込んでいる。
その二人の顔を見た後、私は部屋の中を忙しなく視線だけで確認した。
「ここは、アキラちゃんの屋敷の寝室だよ。自分で戻ってきたの覚えてる?」
「カンナは?」
丁寧に教えてくれようとしているラターシャの声を遮るように尋ねた。慌てて出した声は掠れていた。
「何処にいる? あの子に、怪我は」
「落ち着いて、カンナは大丈夫。今は休憩してるだけ。すぐに呼んでくるから」
私がパニック寸前なのを宥めるように、ラターシャが微笑みかけてくれる。その目に涙が滲んでいることも、傍のルーイが袖で目を拭いながら立ち上がってリビングに行ったことも、この時はまだよく分かっていなかった。ただ、すんなり「呼ぶ」ことが出来るだけカンナが近くに居て、五体満足なのだろうと分かって、少しホッとした。
数秒後、バタンという大きな音と共に魔力の気配がして、カンナが部屋に飛び込んできた。身体強化で速度を乗せてこなかった? とにかく、元気なのは間違いない。彼女の身体を視線で辿り、顔を見上げる。
私の最後の記憶と同じように、カンナは大粒の涙を零した。
「アキラ様……!」
縋るように傍に寄り添った子を、抱き締めようとして――。右腕が無いと気付いた。一瞬、息を呑んだけど。それよりも、優先はカンナだった。
「カンナは無事だね? 怪我は無い?」
「ございません、アキラ様から頂いた守護石が、守ってくれました」
「よかった」
そのままカンナは私の右肩に顔を埋めて泣いている。撫でたいけど、腕が無いからただ見守る。左腕は逆なのでちょっと遠い上、妙に身体が怠くて、上手く動かせなかった。あの戦いで片腕を失ったんだなと、改めて思う。でも痛みは無い。傷は塞がっているらしい。
ふとその時、魔力信号が私に断続的に送られていること、カンナの周囲でぱちぱちと小さく守護の魔法が反応し続けていることに気付いた。
「待って。カンナ、離れて」
「も、申し訳ございません」
パッと素早く身を離したカンナは、主人にしがみ付いている状況を咎められたと思ったようだ。でもこの時の私は気付いていなくて、フォローをするだけの思考の余裕も無かった。
「これ……瘴気か?」
自分の身体からじわじわと黒い靄が出ていた。色だけ見れば私の魔力とも似ているけれど、気配も質感も明らかに違う。
「モニカさん達が言うには、濃い瘴気で魔力回路が侵されて、『瘴気病』になってるんだって」
「……ああ。アレか。全く、死んだ後も煩わしい野郎だな」
攻撃を喰らった時、あいつの結界から逃れられないように魔力で『杭』を刺されていた。あの呪いが、機能を失った後に瘴気病の根源となっているらしい。あの野郎。死んだら潔く何も残さずに散れよ。
杭の呪いは女王らに掛けられたものと違ってシンプルで簡易な内容だった為、あいつの魂までは使っていなかったようだ。だから強い機能はないものの、死んでも消えずに動いている。こっちはむしろ、残す為に魂とは紐づけなかったとも考えられる。
「みんな、もうちょっと離れて。自分で瘴気を出すよ」
言う頃には、ナディアとリコットも寝室を覗いていた。多分モニカも来ている。玄関の方に気配があった。
あれ? 何か、魔法が使いにくいな。瘴気病のせいでもあるだろうが、腕が落ちたせいもあると思う。魔力回路は全身を巡って一つだから、『減る』と回路が縮小し、扱いにくくなるのだ。
まあ、使えなくなるわけじゃないのは幸いだ。
自らの身体から引っこ抜いた瘴気を、憎しみを籠めて握り潰した。
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