第875話_門番

 昼食後すぐにアキラの様子を見に来ていたモニカは、対応中のラターシャとルーイに軽く挨拶をするだけで屋敷を辞去する。

 二日目からは女の子達の処置も安定し、アキラの容態も安定した為、モニカもレナも、適宜休息を取っていた。

 屋敷から出たモニカは、そのまま、門番をしているケイトラントの元へと歩み寄る。

「お疲れ様です、ケイトさん。状況は如何でしょう」

「大きな変化はありません。ですが、本日はこのまま、私が門番を続けようと思います」

「……分かりました。お願いします」

 あれ以来、ケイトラントは普段通りのスケジュールで門番をしていたのだが、今日だけは変更を申し出た。その理由を察し、モニカは多くを語らずに受け入れる。二人は一度、門の向こうを黙って見つめた。

「アキラの」

 不意にケイトラントがぽつりと呟いた。しかしすぐに続きが紡がれない。モニカは顔を上げて首を傾けた。ケイトラントは少し考え込む顔をしていた。

「傷が塞がるより前、魔法札と呼ばれるもので治療をしていた時に瘴気が出なかったのは、何か仕組みがあるんでしょうか」

 当時の状況を思い起こしながら、言葉を選んでいたようだ。

 もし、あの時点から瘴気が溢れていたとしたら、レナが彼女に触れて診察することも、間近で傷を観察することも難しかっただろう。脈拍や体温は今も女の子達が測ってレナに知らせている状態で、女の子達とケイトラント以外は触れることができていない。モニカは小さく「そうですね」と呟いた。

「おそらくアキラ様が、自力で抑えていらっしゃったのだと思います」

「意識の無いあの状態でですか?」

 ぎょっとしているケイトラントとは対照的に、モニカは穏やかに頷く。彼女も既にこの疑問を抱き、考えた後だったのかもしれない。

「傷を見て、ケイトさんもおかしいと感じませんでしたか? あれほどの傷に対し、アキラ様の出血量は明らかに少ないものでした」

 魔法札による治癒後にレナが診察した時点で、アキラには貧血の症状がなかった。

 回復魔法札によって少し解消されたこともあり得るが、それでもあの傷を思えば、怪我をした後からスラン村に来るまでの何処か早い段階で、アキラの出血の一部が止まっていなければあり得ない。

「……自力で、または無意識的に、最低限の治癒を怪我の直後に行っていたのですね」

「そう考えるのが妥当でしょう」

 互いに納得して頷き合いながらも、いつの間にか二人は顔を見合わせておらず、やはり、門の外へと目をやっていた。

「同時に、自らの体内に含まれる瘴気を抑えるような措置も行っていたのかもしれません」

「生存本能だったとすれば、あり得ることですね。瘴気が強ければ、傷の治りが遅くなると聞いたことがあります。だから傷が治った時点で抑えが緩んだと……」

 会話の途切れを待たず、二人の間に少し強い風が吹き付ける。

 ざあざあと音を立てて揺れる木々をしばし眺めた後、ケイトラントはモニカに向き直った。

「呼び止めてしまってすみません。今の内に少し、モニカさんは身体を休めていてください。……日が暮れる前には、騒がしくなりそうです」

 モニカはその言葉に少し目を細めた。傍で控えている従者二人も、やや緊張した面持ちになる。

「分かりました。見張りを宜しくお願いします」

 ケイトラントが軽く会釈するようにして頭を下げると、モニカは従者らを伴い、村の最奥にある自らの屋敷へと戻って行った。


 モニカが門を立ち去ってから、三時間と少し。

 空の色は少し変わり始めているが、まだ夕暮れと言うには遠い。門の柱に背を預けていたケイトラントは徐にその身体を起こす。そして門のど真ん中に立ち、背筋を伸ばした。

 村の中の空気も、やや張り詰める。木々のざわめきとは違う音が、徐々に、村に近付いていた。

「――此処はクヌギ公爵領、スラン村です。領主の意向により、関係者以外の立ち入りは認めておりません。お引き取り下さい」

 近付いたが名乗りを上げる前に、ケイトラントは硬い声でそう言い放つ。一行は僅かに戸惑った様子だったが、足を止め、敵対する意思が無いと伝えるように、穏やかな声を返した。

「立ち入る意志は無い、聞きたいことがあるだけだ。私はウェンカイン王国第一王子、ベルク・マルス・ウェンカイン」

 前に出た明るい髪の青年を見つめ、ケイトラントは少し目を細めた。

 背負ったマントは立派な装飾だが、今は薄汚れていてその高級さが霞んでいた。鎧も同じく、綺麗な状態とは言い難い。

 傍に居る兵らはおそらく第一王子を守る任務を与えられるに足る精鋭なのだろうが、ヴァンシュ山の麓は、魔物が強い上に、数も多い。その中を、今此処に居る十数名のみで上がってきたのであれば、絶えず激しい戦いになっていたことだろう。数名は明らかに負傷していた。

「此処に、領主のクヌギ様はいらっしゃっているか?」

 不安を隠し切れない声で、ベルクが問い掛ける。しかしケイトラントは表情を変えなかった。

「領主の所在はお答えいたしかねます」

 感情少なくぴしゃりと言い放てば、ベルクが息を呑む。その横で、一人の兵が目を吊り上げた。

「王子殿下の問いに答えられぬとはどういうことだ! ウェンカイン王国内に居る以上、セーロアの者であろうと許される行為ではない! 今すぐ貴様を不敬罪で――!」

 その兵が剣の柄に手を添えて構えると同時に、他の兵らも各々の武器を抜く準備をして臨戦態勢となる。ベルクが「よせ!」と彼らを抑えた為に武器を抜くまではいかなかったものの、構えを解く様子もまた無かった。

 その状況でも、ケイトラントは眉一つ動かさない。槍を構える様子も無い。むしろ一層冷ややかな目を、彼らに向けた。

「繰り返しますが、此処はクヌギ公爵領です。……し、王子殿下の御言葉が優先されるべき、と仰っているのでしょうか?」

 瞬間、激高した者も含めて全員が押し黙った。

 クヌギ公爵が『救世主』であることを、兵らも知っているのだろう。

 この国で、救世主よりも尊く、優先されるべき存在は何も無い。言葉を返せる者は居なかった。

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