第859話

 そんな会話をしている間に、大きな馬車はゆっくりと動き出していた。

 うちのサラとロゼは動く指示をした瞬間「イエーイ!」って楽しそうに走り出すから、この落ち着きよう、流石は軍馬だと感心する。まあ、今回の馬車は本体が大きい上にほとんどが金属製で重たいのも理由だとは思うけど。ちなみにこの馬車を引いている馬は四頭も居る。

「あ、そうだ。この戦いが終わった後の話になるんだけど」

 普通に気安く雑談し始める私に、二人はちょっと戸惑った顔をしつつも顔を上げ、言葉の続きを待ってくれた。

「そっちの国で作られている『伝統的な調味料』の輸入をしたいって交渉が、こっちの王様からあると思う。私からのお願いなんだ。良い方向に計らってもらえると助かるよ。私の生まれ故郷の調味料と似てるっぽいんだよね。ウェンカイン王国で手に入らなくて泣いてたからさ」

 調味料の名称は今、王様の方で調べてくれている。多分、戦いが終わった後にちゃんとした交渉があると思う。王様からもその際に「救世主様の要請で」と説明はするだろうけど、証明のしようが無いから下手をしたら私をダシにしていると考える可能性もゼロではない。でも今の内に私から女王へ話しておけば、無駄な争いが生まれることを防げると思ったのだ。

 そのようなことを説明すると、女王は少しの沈黙の後、ふっと微かに声を漏らして笑った。

「マディスの女王、二十六の要人、そして国そのものまで救おうというのに。褒賞に調味料とは欲がないな。我が国からも領地および爵位を献上することを検討していたぞ」

「あはは、それは光栄だね。でもいいや、持て余しちゃうから」

 私に身分をくれるということは、私がマディスに住むこともできるんだろう。今回の詳細を知る人達は理解してくれるかもしれないが、それ以外のウェンカイン王国民は「マディスに救世主を取られた」と思いそうな展開だ。本格的な宗教戦争が始まりそう。無駄な軋轢あつれきを生み出されても困る。

 それに、もうウェンカイン王国にはスラン村とか、女の子達が居るし、カンナなんかは大事な御実家もある。容易く亡命は選べない。もう私一人の身体じゃないんです……。ふと頭を過ぎった軽口は言わないでおいた。

「我々の魔法陣から、秘めた意味を読み取ったのも貴殿であると聞いている。魔族との戦いがどのような形となるかは分からぬが。……我々が完全に滅びでもしない限り、大恩は消せぬ。貴殿に望むものがあるのなら、無下にはしない」

「……そう? じゃあ、楽しみにしているよ。その時の為に、お互い生き残ろう」

「ああ」

 大恩、と言われたのが少し引っ掛かったというか、結局『救世主』のようだなと、苦い思いが浮かんだけど、彼女らに言うことでもない。

 その後の雑談は特に無く、駐屯地に到着した。

 あんまり揺れない丈夫な馬車だったな。六人乗りの大きさだからか、私達を乗せるものとして上等なものを用意してくれたのか。

 今回ばかりは、「気を遣い過ぎ」とは言わない。夜には長距離移動が必要なのに、乗り心地が悪かったらどうしようかなと思っていたので。大変助かった。

 そんな呑気なことを考えているのは当然私だけで、馬車内も周囲も、ずっと緊張感に包まれていた。

 中立地帯に明らかに軍用と分かる大きな馬車が入り込んできたのだ。そりゃピリ付くよな。

 コルラードが馬車の扉を開いたので、先に私とカンナが下りた。全ての目が此方を見ているのではないかと思うほどに注目を浴びている。

 満を持して女王が降りてくると、マディス側の空気が変わった。明らかにどよめきが広がる。しかしその直後、必死に動揺を押し隠していた。敵国の軍が居るからだろうか。それとも、女王を前に騒ぐのは無礼になるからだろうか。

 行方不明であることは、もしかしたらまだ箝口令かんこうれいが敷かれているかもしれない。だけどそれを差し引いてもこんな場所に女王が居るなんて、異常なのは間違いない。しかもウェンカイン王国軍の馬車から下りてくるんだから、異例中の異例だよな。周辺の緊張感は一層増している。

「女王ヴァレリーである。代表の者を此方へ」

「じ、女王陛下が何故、ウェンカイン……」

「機密事項だ。証ならばある。確認の魔道具を持て」

 そう言うと女王は右手の長手袋を取り、手の甲を晒した。そこには鉱石が埋め込まれていた。

 うわ。証って、これか。

 ネックレス型で首から下げてでもいるのかと思っていたが、そのレベルじゃない。身体に埋め込まれている。確かにこれは置き忘れも紛失もしないな。少し、ゾッとするが。

「確認が済み次第、一刻も早く妾の指示を真っ当せよ」

「は、はい!」

 ウェンカイン側は既に話を通してあるのだろう。静まり返っていて、動揺はない。ただ、この中立地帯で争いが起きるのではないかと、緊張している様子があるだけ。

 マディス側の代表者が来て、魔道具で女王の証が確認されると、異常なほどに話は早かった。本当に女王陛下が絶対の国なんだな。誰一人として異を唱えないし、最初みたいに「どうしてウェンカイン王国側から」という疑問すら口にしない。女王が「いずれ発表される。今は内密に」と言えばそれだけで全てを飲み込んでいる。

 結果、何の揉め事も無く、マディス軍旗が用意された。

 流石に女王が居てもウェンカイン王国内に持ち込むのは問題がある為、私達が出発する際にすぐに受け取れるよう、マディス側の門の脇に並べてもらった。そして本来は日暮れ前に閉ざされるこの門を、今夜に限り開放することの合意が成される。

 勿論、今回の件は箝口令かんこうれいが敷かれた。

 多少は漏れるかもしれないけれど、早馬や伝書、通信の魔道具などでわざわざ伝えようとでもしない限り、私達が王都に着くより早く噂が届くことはないはず。

「……順調だな」

 誰にも聞こえないくらいの声量で、小さく呟く。音に反応してカンナは顔を上げたが、多分聞き取れなかったと思う。

 マディス王国が二進にっち三進さっちも行かないくらいに追い詰められていた状態から、今はやけに……私達の計画に沿って、特に障害なく物事が進んでいる。

 転移魔法という無二の能力で女王を攫うチートをやってのけたお陰ではあるし、流石にその手は魔族にも想像が出来なかったはず。

 それでも、『順調すぎる』ことには一抹の不安を覚えてしまうものだ。

 まあ、考え過ぎても仕方がない。話が終わって馬車に乗り込んだところで、不安を振り払うように小さく頭を振った。

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