第841話_身分
「アキラ様は絵の心得もおありなのですね。学ばれたものでしょうか?」
ちょっと落ち着いたらしいカンナが、いつもの冷静な声で問い掛けてきた。私は二枚目の絵に手を入れながら応じる。
「少しだけ絵は習ったけど……こういう絵ではなかったから、どうだろう。まあ基礎は作ってもらったかも」
小学校の間だけアート教室みたいなところに通っていた。デッサンから始まり、色んな種類の画材に触れ、工作もあったけど。途中からアクリル画ばっかりだったかな。私がそれを一番気に入ったから。兄さんは油彩だった。
教養の一つとして学んだだけで、将来何かに利用するつもりだったわけでもない。それでも教室が対象年齢の上限としていた十二歳まで通い切った私達は、それなりに絵が好きだったのだ。
中学生になった後でも時々、趣味で描いていた。兄さんも描くから、家の中に共同のアトリエルームを作ってもらった。自室だと汚しちゃうかもしれない上、手狭になるからね。広い家で幸いと言うか。本当、恵まれた環境だったな。
偶に絵を描こうとアトリエルームを訪れると、兄さんの描いためちゃくちゃ綺麗な油彩画が飾ってあって笑っちゃうことも。厳つい見た目に似合わない、繊細で優しい絵ばかりだった。
……何だか、思い出を辿ってしまったが。
とにかくちゃんと習ったのはアクリル画だけ。今回使っている色は水彩だし、ほんのちょっと色付けしている程度だから、学んだものとはやはりジャンルが違う。ただ、大別して「絵を描く」という点では慣れ親しんだ方なので、コツは掴みやすいのかもしれない。
それに私の世界じゃ、今描いているデフォルメのイラストは漫画などで良く見かけるものだ。参考になる記憶が沢山あるのも大きいね。
ということを、色々補足しつつ掻い摘んでカンナに伝えた。
「……平民だけの世界になれば、そのように、誰でも絵を趣味にできるような世界になるのでしょうか」
私の国では子供も大人も絵を描いて遊び、それを職として生きている人も多く居る。少し語ったその話の方が、カンナには気になったようだ。
「そうかもしれないね。この国は貧困層の割合が高すぎるから。絵は、ちょっと贅沢な遊びになってしまうよね」
小さい子供の内なら許されるかもしれない。だが働く子供も珍しくないようなこの世界じゃ、未来の職に繋がる、または家計の助けになる実用的な趣味――ナディアの服作りとか。そういうものじゃなきゃ許容されないのだろう。働ける年齢になっても多くの時間やお金を絵に費やしてしまったら、家族からはひんしゅくを買うのかもしれない。絵で食べて行ける平民は、日本以上にほんの一握りだからね。
ウェンカイン王国は豊かな国だとは思うし、魔物って脅威はあるけど戦争で国内が荒れているわけじゃない。それでも、貧富の差があまりに大きい。
貴族達が私の実家と比べても遥かに贅沢な暮らしをしている一方で、貧困層は自分の子供を売らなければ食べていけない。中間層の少なさ、貧困層の過酷さが、私の知っている世界のそれじゃない。
「ただ、身分を失くすことがそのまま解決に繋がるわけじゃないから、一概には言えないよ。貧困層をどうするかが問題だろうねぇ」
貴族が消えれば解決するなんて単純な話じゃない。貴族は貴族で、平民達の職を作っている側面がある。贅沢をする彼らの食べる物、住む家、着る服。直接じゃなくても、その原材料は間違いなく平民が作っている。
その末端まで、真っ当な報酬が行き渡る仕組みが必要なんじゃないかなと思う。
「興味深いお話です……貴族から直接注文を受ける商人ら、またはその下請けで流れが止まり、その先に流れていない……」
そう。貴族から支払われている大金が、何処かで止まっていなければこんなことは起こらない。貴族は『面子』があるから、多くの場合はきちんと支払っているはずだ。それを『誰か』が止めていて、貧困層に届いていない。
その事実を知り、どうアプローチを掛けて堤防を壊すか。
「でも貴族がその状況を打破するようなルールを作るかな? 平民が貧しいというのは、貴族にとって都合がいいよね」
豊かであるということは、力や知恵を得やすいということだ。
人や武器を集められる。今はギルドがそれに近い『組織』ではあるものの、人や武器はギルドの資産ではなく、結局は個々人でしかない。そもそも、ギルドからの『協力要請』はあっても『命令』が登録者に下ることは無いし、登録者達もギルドの部下になっているつもりじゃないから、自らの意志にそぐわないことを命令されたら離れていくだろう。
だけどもし、そんな緩さではなくてあれが一つの意志で、一人の指示によって一方向に動くとしたら。王侯貴族を脅かす力に、充分なり得る。
貴族お抱えの商人達にも平民は含まれるのだろうけど、直接貴族と契約して甘い蜜を吸っている人達も同じく、貴族と自分達だけが裕福である方が、やっぱり都合が良いんだろうな。
「勿論バタバタと人が死んじゃうくらい追い詰めたら、自然と平民の意志が一つになって反乱が起きちゃうけど。一定のラインを保ちながら、豊かにし過ぎない。自分の立場を守ろうと思うと、そうなる気がするねぇ」
静かに私の話を聞いていたカンナは、少し表情を曇らせて俯いた。
「……自らの考えが足りていないことを、日々、痛感いたします」
「ふふ。カンナは考えてくれている方だよ」
平民らと触れ合うことはおろか、彼らの生活を慮る機会すらなく一生を終える貴族なんて、ごまんと居るだろう。貧富の差や貧困層について考えてこうして落ち込んでいるカンナは、その中では平民に寄り添っている方だ。
「結局は『そういう仕組み』なんだよ、身分制度ってのは。身も蓋もないけどね」
私はそう思う。
身分というものを作るのなら、高い身分の者が全て『正しい為政者』であり続けなければならない。
その為には制度を作るよりも『前に』、平民を守る仕組みも一緒に考えておくべきだ。しかし多くの場合は身分設定が先にある。高い身分に生まれた者達は自分と家族の立場をずっと守っていきたいから、それが守れる範囲でしか制度を変えない。永遠に、平民にチャンスは回ってこない。
ごく稀に正義感の溢れる貴族が居ても、保守的な別の貴族に邪魔をされるだけ。
ウェンカインは国王の一強だから、まだ強引に話が進められるとは言っても。前にもカンナが教えてくれた通り、無茶を進めれば結局『別の王族』に信が移り、国王下ろしが始まる。
クラウディアですら自らの立場を守る為、救世主に対する考えを公言できないんだから、八方塞がりだよね。
「……二匹目のネコ、描こうかな」
難しい話をしていたら、嫌なことを思い出してしまった。頭を振って新しい紙を取り出す。カンナが「お邪魔をしてしまいました」と申し訳なさそうにしたが、話自体は楽しかったからいいんだよ。撫でたいけど……今は向こうの目があるから、一応、後にしましょう。こっちなんて別に見ていないとは思うけどね。
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