第837話_深夜

 でもそれは悪い可能性だけじゃなく、逆もまた然り。存外、あっさりと片付くことだってあり得る。考えすぎたって良いことは何も無い。

「ラタ、お手手が止まってますよ」

「あ、……うん、ごめんなさい」

 包丁持ったままでぼーっとしないでね。心配になるからね。

「とりあえず、明後日にスラン村も行けるし、その後も数日はのんびりみんなの傍に居るから」

 オルソン伯爵との約束も、初日に来なかったら三日間待つことになるがその猶予もある。今から不安になって緊張していたら身が持たないだろう。

「報告はこれくらい。駐屯地に到着する頃になったらまた連絡してくれるから、みんなにも伝えるね」

 ホッとさせてあげられる言葉は何も無いけど。これ以上、私に何を聞いても仕方がないと思ったのか、みんなは頷くと、改めて手元に集中し直してくれた。

「リコ、スープ大丈夫かな? 辛すぎる?」

「ううん、美味しいよ、ありがとう」

 今日はどうしてもスパイシーなスープを私が食べたかったから作ってしまったが、辛い物があまり得意じゃないリコットを少し心配した。でもちゃんと美味しく食べられるみたいで良かった。もしダメだったとしてもクリーム系のスープを楽しんでもらえたらと思って、二種の用意でした。

「私はこれすごく好き」

「それは良かった。レシピ残しておこうね」

 辛い物が好きなラターシャには大好評。みんなが自分でも作れるように、気に入ったと言うレシピは紙に書き出してあげることが多い。目分量も結構あるからざっくりだが。

 結局ラターシャは珍しく二度もお代わりをしてくれた。本当にお気に入りだったんだね。嬉しいね。

 夕食後はお風呂の順番が来るまで、工作部屋に居たんだけど。女の子達は代わる代わる、私の様子を覗きに来てくれた。依頼のことで気持ちが不安定になっていないか、心配されているんだと思う。みんなだって不安だろうに。優しいね。

 近くまで寄ってきた子はよしよしした。ナディアだけは扉前からチラッと顔を覗かせただけで立ち去った。そんなに機敏なヒットアンドアウェイしなくてもいいじゃないか……別に捕まえたりはしないよ。多分。可愛いから抱き締めたくはなるかも。……そのせいか。

 何にせよまだ時間はあるし、やらなきゃいけない作業も沢山あるから気も紛らわせられる。大丈夫だよ。ありがとうね。


* * *


 その日はいつも通りの時間にそれぞれ寝床に入り、アキラも夜更かしをする様子無く、あっさりと眠り就いた。

 彼女を心配していた女の子達は、彼女が寝息を立てるまで慎重に聞き耳を立てていたのだから間違いない。

 しかし、ナディアは深夜にふと目を覚ます。

 元より眠りの浅いナディアにとっては珍しいことではなく、何が原因で起きたかも分からずに微かに身じろぐ。薄っすらと目を開けたのはただ、何時だろうと思ったから。

 だからアキラがベッドに座っている姿を見て、少なからず驚いていた。最初はアキラのベッドの上に何の塊があるのかも分からずに目を瞬いた。

 彼女に動きはない。片手で顔を覆っていて、夜目が利いても表情は分からない。寝惚けてその姿勢になっているだけで眠っているかもしれないのに、何故かナディアには、彼女が泣いているように見えた。

 声を掛けるかどうかを迷い、息を潜める。

 普段のアキラの様子を思えば、ナディアが起きていることに気付けば強がって隠してしまうような気がしたからだ。

 だが、寝起きの悪いナディアはそうして様子を窺っている内に、眠気に負けて再び眠り落ちてしまった。結果あの後、彼女がどうしたのか、ちゃんと眠り直したのかさえも。ナディアには分からなかった。

「……アキラ」

 心配しながら二度寝してしまったせいだろう。

 起きた瞬間、ナディアは無防備にアキラの名を呟く。普段なら誰より早く起きてキッチンに居るアキラには聞き取られるはずもないのに、この時は不運にも何故かアキラが寝室に居て、拾われてしまった。

「ナディ、私の夢を見てたの!?」

 しかも大はしゃぎだ。反射的にナディアの猫耳はぺたりと下がる。

「やめてあげて、ナディ姉は朝が弱いんだから……」

 リコットもまだ起きていなかったのに、ナディアを気遣ってわざわざベッドから出て止めに入ってくれた。

 渋々と寝室から出ていくアキラの背中を窺う。夜中の姿などまるで夢であったかのように彼女はいつも通りだ。寝起きに騒がれたせいだけではない疲れで、ナディアは長い溜息を吐いた。


「――今日はなんか、よく歌ってるね、アキラちゃん」

 朝食も終え、リビングでのんびりと寛ぎ始めてしばらく。今日はやけに工作部屋から、アキラの鼻歌が漏れ聞こえてくる。たった一人で作業をしているはずなのに、賑やかな人だ。

 カンナと子供達は先程アキラにおつかいを頼まれて出掛けて行き、リビングにはナディアとリコットの二人しか居ない。リコットの言葉に返事は無く、視線で窺ってもナディアは難しい顔をして俯いている。リコットは目を細め、そんな彼女を見やった。

「昨日の夜、アキラちゃんと何かしてた?」

「ゴホッ」

 飲もうとしていたコーヒーを盛大に噴き出しそうになり、ナディアは慌ててカップをテーブルに戻す。その慌てた様子に、リコットは返事を聞かずとも察したような顔をした。

「す~ぐ二人で内緒の行動をする」

「ま、待って、誤解よ。何も無いわよ」

「嘘だぁ」

 事実なのだけど。どのように説明するかを迷ったせいでとんだ嫌疑を掛けられている。ハッキリと否定したのにリコットはまるで信じようとせずに眉を顰めた。

「変だと思ったんだよね。ナディ姉が寝言でアキラちゃんを呼ぶなんてさ。しかも二人揃って妙に眠そうにしてるし。私の目は誤魔化されないよ。っていうか多分カンナは気付いてるし、同じことが何度かあればルーイにもバレるよ」

 そのように指摘されてしまうとまるで本当に疑いが事実であるように聞こえる。疑われたことは仕方がないかのように感じ、ナディアは小さく項垂れた。

「まあ、ラターシャは……言われたら分かると思う」

「それは気付かないと言うのよ」

 付け足された言葉に少し笑ってしまい、ナディアの肩から力が抜けた。

「夜中にアキラが目を覚ましていて……どうしたのかと考えている間に、私は眠ってしまって。言葉すら交わしていないのよ」

 改めて丁寧に昨夜のことを話せば、リコットは再び工作部屋の方に視線を向けながら「そうなんだ」と静かに言った。今はアキラの鼻歌も聞こえない。気遣わしげに、姿の無い人を見つめようとしているリコットの横顔を見て、ナディアはまた溜息を零す。

「眠る間も見張らなきゃいけないのかしらね、あの人は」

「それは大変だなぁ」

 リコットが肩を落とすと同時に再び陽気な鼻歌が聞こえてきて、二人は揃って苦笑した。

 その後、リコットが様子を見に行って、優しく構ってみたのだけど。アキラの様子は普段とあまり変わらなかったらしい。

 結局、彼女に何があったのか、何を思っているのかを窺うことは出来ないままその日は過ぎ。翌日、スラン村に向かう日を迎えた。

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