第810話_寝坊

 私がとろとろ微睡まどろんでいる間にカンナは先に身支度を済ませ、私の為の着替えなども用意してくれている気配を感じた。終わったら、ベッド脇――つまり私の傍に静かに座っている。むにゃ。あと五分。

「お茶、淹れられる……?」

「はい。すぐに」

 部屋に湯を沸かすくらいの設備はあるので、お湯もカンナの方で準備してくれた。私はまだベッドで動かない。

「アキラ様、本日の買い物は中止にいたしましょう」

 紅茶の香りが近付くと同時に、優しい声が私を甘やかす。でも私は愚図るみたいに唸って、少し身体を丸めた。

「だいじょうぶ、起きたら……」

「いえ、雨が降っております。まだ小雨ですが、強まるかもしれません」

 ああ。なるほど。異常に眠いのは、そのせいか。

 また小さく唸り、シーツに額を擦り付けてからのんびり身体を起こした。

「午後にも止まなかったら、明日にしよっか~」

「はい」

 一生懸命に伸びをしてみるが。うーん。眠気はマシになったものの、いつもの調子が出ない。ぼやっとしている私を、少し首を傾けたカンナが見つめてくる。今日も可愛いねぇ。

「カンナにたっぷり癒されて、緩んでいる可能性もあるな」

 寝惚けたままだったから思ったことが何のフィルターも通らずに口から出た。カンナのきょとん顔も可愛くて余計に頭がほわほわする。カンナは何度か目を瞬いてから、戸惑った様子で応える。

「……ええと、良い方向なのであれば、嬉しく思いますが……とにかく、ご無理なさらないで下さい」

「はぁい」

 とても心配されている。ごめんね。昨夜は執拗に求めたのでカンナが疲れているはずなんだけどな。じっと見つめてみるも、カンナはいつものカンナにしか見えない。体力があるのか、隠すのか上手なのか。

 さておき顔を洗う為のぬるま湯までベッド脇にご用意して頂いたので、ベッドの上で身支度を整えました。

「お茶もありがとう。ああ、美味しい。ほっとする」

 私の言葉に、カンナの方がずっと安堵した顔になる。私が緩むとカンナも緩む。呑気で穏やかな主従関係。バカなこと考えながらまた美味しいお茶を傾けた。温かくて香りがいい飲み物は、それだけで心が奥から癒されると思う。

「そういえば、この国にも雨期はあるんだっけ?」

 寝坊している立場なのに、雑談を始める最低な主人である。それでもカンナは顔色一つ変えないで頷いた。

「地域によりますが、多くの地域が今より二、三か月後に雨期を迎えます。薄藍うすあいまたは琥珀の月に始まり、一か月から二か月ほど」

 薄藍の月は五月、琥珀の月は六月のことだ。

 つまり地域差はあるけど大体が五月から六月に雨期に入って、八月までに終わる感じか。日本の梅雨に近い期間だね。

「ジオレンは?」

「南西部は長い雨期になりますので……おそらく薄藍の月から、二か月近く続くのではないでしょうか」

 はあ……。とても憂鬱。

 前にも思ったが、この世界の雨は、私に対する弱体効果が少し高い。

 日本に比べたら雨は少ない方だしそれは良いんだけど。建築技術が日本ほど高くないせいで、降った時に『雨の気配』から逃れる術が少ないのだ。今回だってまだ小雨なのに、部屋の中にもう微かな雨の匂いが入り込んでいる。無意識下でも感じ取ってしまえば私の身体からは力が抜けてしまう。

 そんな状態で、日本の梅雨レベルの『雨期』がきてしまったら。……私の心身は、形容しがたい状態になるだろう。

「始まる前に雨期から逃げて、移動したいねぇ」

 ウェンカイン王国は日本と違って大陸にある国だから、きっと逃げ場があるだろう。そんな期待を胸に呟けば、またカンナが頷いた。

「それも宜しいかと思います。スラン村であれば北の内陸部ですから、雨期と定義される期間はございません」

「おー。それは嬉しい」

 スラン村、全てにおいて都合のいい逃げ場だな。偶然だけどありがたい。

 その代わり北部は乾期があるらしい。ただ、災害級の干ばつはウェンカイン王国内では滅多に発生しないとのこと。いい気候だな、ウェンカイン王国。

「次は海鮮が豊富だっていう、西のクオマロウに目を付けてたんだけどな。雨期が過ぎてからの方がいいな」

 ジオレンの前に滞在していたレッドオラムでは唐突な事情で離れることになって、慌てて『次』を決める羽目になったから。学習した私は次の行き先を既に決めていた。しかし雨期のことが全く計算に入っていなかった。一度スラン村の方に避難し、雨期が過ぎてから向かうことにしようかな。

 頭の中でそのように予定を変更していたら。カンナが「いえ」と微かに戸惑った声で呟く。

「クオマロウ、でしたら……雨期であっても、ジオレンほどの強い雨は無い、と存じます」

「え?」

 びっくりして顔を上げたら、その拍子にカップとソーサーが軽くぶつかってしまってカチャンと音が立った。紅茶が揺れて零れそうになったが、何とかセーフ。二人揃ってカップを見つめてから、零れていないことを確認して、改めて顔を上げた。

「此処から真西にある街だよね? そんなに気候が違うの?」

 今日一番の元気な声が出た。驚きによりちょっと目が覚めたかもしれない。カンナは一拍静止し、瞬きを一つ挟んでから答えてくれた。

「クオマロウの西から南には、小さな内海を挟んでダラン・ソマル共和国の大陸がございます。山が多く、そちらへ雨雲が集中するそうです。結果、クオマロウは激しい雨を逃れることが多いと聞いています」

「はぁ~、へぇ~」

 海とのアクセスは良好なまま、激しい雨が少ない地域ってことか。そんな都合のいい立地だからこそ、クオマロウには人が集まって、大きな街になったのだろう。

「すごく助かる情報をありがとう。参考にします」

 私の言葉にカンナが小さく会釈した。色んなことを知っているいい侍女様だ。

 雨期までにジオレンから移動するのは大前提として、行き先はクオマロウでもスラン村でも、どちらでも良さそうだね。

 避けられるのはあくまでも『激しい雨』だから、普通の雨は降ると思うけど。それはスラン村も変わらないしなぁ。一旦はクオマロウを行き先として決めてしまって、良いかもしれない。

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