第808話_軋轢
曰く、ウェンカイン王国内にはハッキリとした派閥が無いらしい。事実上はあるものの、派閥としての名前を持たないそうだ。能動的にそのようなものを形成すると『王族ではなく自分が指揮を執りたい』つまり『王族の統率力を認めていない』と疑われてしまう可能性があり、避けられているという。救世主や王族への妄信的な側面が目立つ国家だからな、色々と特殊な文化だ。
「よって、派閥としての名がある集まりではございませんが……オルソン家とオドラン家はどちらもアグレル侯爵様と近しい関係であった為、同じ派閥と考えて頂いて大きな間違いはございません。つまり『家』としての
そういえばカンナの言い方も『オルソン家の当主』と『父』だったな。つまり二人の個人的な軋轢なのか。
納得して頷いたところで、珍しくカンナが小さな溜息を零した。驚いて様子を窺ったが、体調が悪いわけでも、気分を害しているようでもない。ちょっと困った顔で首を傾けていた。
「あまり大きな声で話すのは、恥ずかしいことなので……出来れば御心に秘めて頂きたいのですが」
「ふふ、分かった、内緒話だね」
今の流れを思えば、二人の諍いの詳細は、カンナ個人としては『家族の恥ずかしい話』なんだろう。わくわくしてきた。
「オルソン卿と我が父は、若い頃どちらもモニカ様のお母様に片思いをしておりまして」
導入部分でもう面白いよ。笑い声で話を止めてしまわないように堪えたら、身体が少し震えた。
軋轢ってもしかして、そういう争い? カンナが、眉を下げて小さく頷く。多分、笑いを堪えた私に気付いていて、今の私の考えを肯定した。
「当人のおらぬ場で何度も下らない張り合いをしていたそうです。しかし結果からもお分かりの通り、どちらも実っておりません」
そうだよね。モニカのお母さんがアグレル侯爵家に居て、最後の当主がモニカのお父さんだから、お母さんは嫁入りしているはずだ。オルソン伯爵ともオドラン伯爵とも結ばれていない。
「勿論、両親がこのようなことを家で話すはずもございませんので、直接は聞いていません。ただ、父と同年代の中ではかなり有名な話らしく、何処かで聞いてしまった姉から、私もこっそり聞きました」
私はもうずっと笑っている。人の口に戸は立てられないよね。
ただ、これは他人事だから笑えるが。家の外から聞かされる父親の恥ずかしい話、しかも恋愛の話なんて、子供としては嫌だよねぇ。カンナがずっと困った顔をしているのも頷ける。
「二人の間に勝敗などありませんし、無駄に競い合っている間にアグレル侯爵様が射止めていらっしゃるわけですから……似た者同士、仲良くすればいいという意見が多いのです。私もそのように思いますが」
「本人達は、競い合った当時の関係が払拭できないわけだ?」
「そのようです」
可愛らしいおじさん達だねぇ。今後の見る目が変わってしまうな。神妙な顔をしているだけで笑いそうになると思う。あと、ちょっと項垂れているカンナも珍しくて可愛い。
そして逆に、モニカのお母さんを射止めたアグレル侯爵さん、つまり勝者でありモニカのお父さんとは、二人共、特に軋轢は無いらしい。むしろ生前は最後まで仲良くしていたみたいで、複雑な男心だね。いっそ二人にとって、『敵わない』と心から思い、慕ってしまうような御方だったのかもな。
「それにしても、君のお父さんはすごく情熱的なんだね。カンナはそういうところある?」
「どうでしょうか……姉達は、とても情熱的です。どちらかと言えば、母に似た情熱ではございますが」
「えぇ、お母さんも情熱的なの? カンナの御実家は激しいねぇ」
ご両親共に情熱的で、お姉さん達も情熱的かぁ。……それでカンナだけは違うって言われてもかなり無理があるんだけど、うーん、普段のカンナは冷静沈着だから、よく分からない。
ところで、カンナとモニカの年齢差を考えると、二人の親の間で恋愛事情が発生するのはちょっと違和感――と一瞬思ったが。
「カンナって、かなり歳の離れた末っ子だっけ?」
「はい。一番上の姉が私とは十二の差です。それに父は、……失恋の影響もあって婚期が遅れまして」
また声を上げて笑った。お父さんは初婚が三十歳だったのこと。失恋したのは二十歳だったらしいので、十年も引き摺ったんだ。悲しいね。
それで一番上のお姉さんとモニカが十歳くらいの差か。なるほど、計算がぴったり一致した。悲しい歴史を知ってしまった。
「母は父と九の歳の差がございますが、それを気にして渋る父を熱心に口説き落とし、半ば強引に結婚まで持ち込んだそうです」
「あはは、格好いい! 恋に臆病になっちゃった人には、きっとそれくらいの熱が必要なんだねぇ」
私の言葉にカンナは可笑しそうに目尻を緩めて、「そうかもしれません」と柔らかな声で応えた。
「姉三人の結婚もやや強引で積極的な逸話が多く、母に似たのだと家では専らの話題です」
なるほどなぁ。お姉さん達の武勇伝……と言っていいのか分からないが、その『逸話』もまた詳しく聞いてみたい。しかし、笑みの深まる私と違い、カンナは何処か寂しそうに視線を落とした。
「その点で私は、母や姉達のようにはなれません」
声にも微かに憂いの色があった。うーん、この子は前から少し劣等感が強い気がしていたんだよな。自己評価が低いというか。侍女としては色んな部分で高い矜持と自尊心を持っているけど、恋愛とかその辺りになると唐突に萎んじゃう。
「カンナは恋をしたことがある? ああ、いや。彼氏が居たんだっけ……愚問だったね」
「いえ」
あまりにも馬鹿な発言をしてしまったと焦ったが、カンナは憤った様子も無く目を瞬いた。その「いえ」は何に対する否定だろう。
「お相手には申し訳の無いことですが……あの方に『恋』らしい想いはございませんでした。ただ、少なからず私を想って下さいましたので、応えたいと、お付き合いをいたしました」
曰く、元々カンナの方からはあまり愛想のいいアプローチが出来なかったにもかかわらず、彼氏の方が熱心に交際を求めてくれたので、それに応じたと言う。……この流れとカンナの自意識の低さを思えば、結局は向こうから別れを切り出したのでは? ハ? 処すか?
胸の奥底からぐっと怒りが湧き上がった直後、今の自分の幸せを想って、溜息と共に項垂れた。
「君の魅力に気付けない男達はどうしても腹立たしいけど、そうじゃなかったらこうして今、私の侍女様をしてくれてないんだなぁって思うから……複雑だなぁ」
この子の愛らしさが誰にも見付からなかったから、私が囲ってしまえたんだ。だけど、過去にカンナが悲しい思いをしたのかもしれないと考えると、やっぱり憎まずにはいられない。ううん。私の内で感情がせめぎ合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます