第805話_無心

「お茶をお淹れいたしますか?」

 ふらふらとカウチに向かう私の背に、カンナが優しく声を掛けてくれた。

 彼女の声は背後からのものでも絶対に私を脅かさなくて、柔らかい音をしている。これも侍女様としてのスキルの一つなのかな。

「うーん、また後で」

「畏まりました」

 今は特に喉も乾いていないし、お茶はいいや。

 カウチに座って、外を眺める。別段、変わった景色があるわけではない。大通りを人が行き交っているだけ。

 とりあえず、ぼーっとする時間なのだ。無心。

 ん? あのお姉さん、高い位置から見下ろすと谷間が見え過ぎだな。……これ無心の内に入る? まあ、難しいことを考えているわけじゃないから良いよね。もう行っちゃったし。

 そのようにしばらくは上手くいっていたんだけど。ふと思考が動いて、パッと立ち上がる。

 ソファに居たラターシャとルーイとカンナが一斉に私を見た。

 彼女達を目が合い、短い静止の後、そのまま座り直す。私の奇怪な行動に目を瞬いた子供達が、一拍を置いて笑みを零した。

「どうしたの?」

「作業しようとして立っちゃった」

「あはは。もう癖なんだね」

「そうみたい」

 無心って難しいなぁ。ふるふると頭を左右に振って思考を払い、改めて座り直して窓の外を眺める。今度は空でも見てみるか。うん、薄雲は掛かっているけど、概ね晴れ。

 空を見上げた三秒後、また私は流れるように立ち上がって、みんなの視線を集めてからハッとして座り直した。今度こそ子供達が声を上げて笑った。

「本当に落ち着かないねー」

「今度はどうしたの?」

「晴れてるから、カウチのシーツを洗濯しようかと……」

「……私の方で行います」

 カンナが素早く立ち上がって棚から新しいシーツを取り出し、交換してくれた。そして回収したシーツを抱えて、浴室の方へ消えていく。私の思い付きで、カンナの仕事を増やしてしまった。

 でも新しいシーツに替えてくれたカウチ、いい匂いがする。ごろん。

「あれ、えっ、もしかして寝た?」

「え?」

 意識が遠のく寸前に、子供達の声が聞こえた。私は横になった瞬間に眠り落ちてしまったみたいだ。太陽の匂いがするシーツ、睡眠導入剤として強力すぎるな。


「――もう、本当に赤ん坊じゃないんだから、この人はっ」

「大丈夫です、ナディア、私の方で」

 間近で二人分の声が聞こえ、意識が浮上した。足とか腰とか触られている。何ですか。

「んんむ……」

 もぞもぞと寝返りをしたら、下半身がガクッとカウチから落ちた。わぁ。

 でも床まで転げ落ちることはなく、落下途中でふんわりと持ち上げられてカウチに乗せ直してもらった。カンナがまた細い腕で私を抱えてくれたようだ。

「ごめん、変なとこで寝てたぁ……?」

 寝入りの時点から、そもそも位置が悪かったな。眠るつもりじゃなく横たわっただけだったせい。そうして私が不安定なところで眠ったから、心配した女の子達が位置を変えようと非力ながらも頑張ってくれていたところに、洗濯を終えたカンナが戻ったという状況らしい。ふむ。私が無為に眠ったせいで大騒ぎ。

 起きようかなって思ったけど、カンナが上手に乗せてくれたみたいで、居心地がいい。そしてまた眠気のビッグウェーブが来た。

「ね……むい……」

「好きなだけ寝なさい」

 呆れた声だったけれど。ナディアは頭を撫でてくれた。手付きが優しくて嬉しい。力を抜いて、そのまま、ふわふわと微睡まどろんだ。

 完全には眠り就かず、心地いい浮遊感を味わう。女の子達は何やら談笑しているが、認識できた話は途切れ途切れだったから、寝たり起きたりしていたのだと思う。だけど私の意識が浮上する度、まるで宥めるみたいナディアが撫で続けてくれているのを感じた。

 幸せだなと思うのに。

 同時に、途方も無く悲しくなった。

「……アキラ?」

 優しい声が私を呼んだのに応じて、目を開けた。視界が歪んでいてよく見えない。瞬きをしたら、ぽたりと涙が零れ落ちる。既に目は濡れていて、幾らか先に溢れていたんだと思う。だからナディアが私を呼んだのか。視線を向ければ、心配そうな目が私を見つめていた。

「どうしたの。悪い夢を見た?」

「ううん……なにも」

 目を擦ろうとしたら、カンナの手がそれを制して、ハンカチを当ててくれた。甘えてそのまま拭ってもらう。鼻をぐずらせると、女の子達が心配そうな顔で私を見つめたのが分かった。

「何か出てきた、だけ」

「あはは。何ともないならいいよ」

 応えるリコットの声がソファより近い。様子を見に近くに来ていたみたい。

 シーツからはまだいい匂いがする。でももう魔法は解けたようだ。耐え難い眠気は無くなっていた。のんびりと身体を起こす。

「甘くて温かいやつ……」

「はい」

「相変わらずの雑な要望」

 それでも一切動揺せずに受け入れるカンナも含め、もはや名物ですね。ソファに移動して待っていたら、カンナが紅茶を持ってきてくれた。

 今までは「甘いの」と求めるとミルクティーが多かったのだけど、今回は透き通った茶色――つまり普通の紅茶色だ。ふむ。でもカンナのことだからきっと私の要望には完璧に応えてくれているはず。迷わずそれを傾けた。

「あまい~~~おいしい」

 一見すると何の変哲もない紅茶で、香りも特殊なものじゃない。質感も普通のサラサラな液体。なのにまるで蜜を口にしているかのような甘さだった。

「沢山の砂糖が入ってる甘さとは、ちょっと違うねぇ、不思議だねぇ」

 いっぱい飲んでも胸焼けしなさそう。すっきりとしているのに……濃厚でコクのある甘さを感じる。メープルシロップの風味にも似ているかなぁ。紅茶の香りとも喧嘩していない。

「これは何の甘みだろう、カンナ?」

「茶葉そのものでございます」

「ほう」

 説明を促すように頷いたら、カンナは小さく会釈をして、説明をする時のキリッとした顔になった。

「本日ブレンドしている茶葉の一つは、かつて砂糖の代わりとして利用されていた時代がございました。砂糖が安価に流通するようになって、少なくなりましたが」

 カンナが言うには、昔の砂糖は貴族すら中々手を出せないほどに高価で希少だった。その為、安価な代用品が多く存在したらしい。今回使った茶葉もその内の一つなんだとか。

「実際の糖度は高くありません。しかし、香りによって甘みがあると錯覚します」

「なるほど。だから舌触りは軽くてサラッと飲めるのに、妙に甘い気がするんだねぇ」

 確かにバニラの香りが付くだけでお菓子はすごく甘い気がするもんな。甘さにも色んな感じさせ方があるってことかぁ。カンナのお茶を飲むだけで色んな発見があって楽しいね。

 うきうきと飲んでいる私を見て女の子達は「いいなー」と言っていた。また今度、朝食後に同じものを淹れてもらおうね。

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