第802話_夜の散歩
お風呂の準備を始める子達の横で、私とナディアは外出着に着替える。まだ心配そうな顔はしていたが、付き添い役は、我が家で最高の信頼を得ている長女様だ。飲み込んで、見送ってくれた。
つい先日、この世界はようやく三月を迎えた。
それでも夜はまだ冷える。特に此処は北部にある山の中だからな。まあ、凍えるほどじゃない。私はカンナに温かい上着を着せてもらっているし、ナディアも、もこもこと温かそうな服だ。
ただ、こんな寒い日は尻尾を服の中に隠してしまうから、それだけはちょっと寂しい。
「ケイトラント、お疲れ様」
「ああ。どうした?」
正門に向かって歩くと、今夜も門番をしていたケイトラントが私達を見て、不思議そうに首を傾ける。
「ちょっと散歩。ぐるっと歩いてくる」
「そうか。気を付けろよ」
「はぁい」
私のような規格外なやつにもそんな風に声を掛けてくれるのは優しいね。
ナディアは会釈だけで済ませたのか挨拶しなかったのかは知らないが、何も言わなかった。
門を出て、スラン村を背に歩き進めると、後ろからついて来るナディアの足音だけが聞こえる。進むにつれ次第に、今まで歩いたことも無い場所へと入り込む。新たな道の開拓だ。
それでも流石に木々に覆われて鬱蒼としている場所は歩けない。後ろにナディアが居るし、私も素手で掻き分けたくはない。出来るだけ障害物の少ない場所を進む。目的地は無いし、目指したい方角も無かった。
とにかく何も思考せず、のんびりと木々だけを眺める。
無作為に歩いたつもりだったが、いつの間にか平原を見下ろせる場所に出た。無意識に風の流れを追っていたのだろうか。遥か遠くに灯りは見えるものの、ほとんど自然しかない。何にもない大きな平原が、月明かりに照らされていた。
いい眺めだな。昼間にも見てみたい。
しばし立ち止まって景色と緩い風を堪能してから、再びのんびりと歩き出す。
次に足を止めたのは、後ろから小さい「あ」と言う声が聞こえた時。振り返れば、ナディアのふわふわのワンピースが木の枝に引っ掛かっていた。すぐに彼女の手で取り払われる。
「破れてない?」
「目立った傷はないわ、大丈夫」
軽く頷いてから周囲を確認する。
ふむ。木々の種類が変わって、低い位置にも枝が伸びている。ちょっと歩きにくかったらしい。私は広がりの無い服を着ていたから、彼女のような不便や被害が無くて、気付くのに遅れてしまった。
「ごめんね。帰ろっか」
無許可でナディアを抱き寄せ、目尻辺りに口付ける。
唐突に意味も無くキスをしたから怒られるかもしれないと思ったが、ナディアは怪訝に目を細めただけで、何も言わない。そのまま、正門近くに転移した。
「明るいところで見ないと分からないな……
屈んでナディアのスカートを確認してみるけれど、村の外だと灯りが無くてよく見えない。家に戻ってからちゃんと見るか。頭ではそう思うのに、気になって仕方なかったのでしつこくスカートの表面に触れて目を凝らす。しばらくすると、ナディアが私の頭を小突いた。イテ。
「私の夜目のことを忘れているでしょう」
「あ」
「解れていないことは確認できているわ」
「そうなんだ……」
ホッとして、ようやく身体を起こした。すると今度はナディアに頭を撫でられた。慰められている? さっき小突いたのごめんってことかな。何だろう。まあいいか。何でも嬉しいので。
「ただいま~」
「おかえり」
ケイトラントに挨拶をして屋敷に戻る。この為だけに、屋敷じゃなくて門の外に転移したのである。行ってきますを言ったんだから、ただいまも言わなきゃね。
女の子達はとうにお風呂を済ませていたらしく、髪も乾いた状態でダイニングに居た。
口々におかえりと言ってくれるのに応えつつも、まだナディアのスカートが気になる私。家に入って数歩で振り返って屈み、ナディアのスカートをわしわし触る。するとリコットがやや引き気味に「何してんの……」と言った。
「待って、違うよ、痴漢じゃなくて」
慌てて顔を上げて弁明する。そんな私の様子をナディアはちょっと可笑しそうに見守ってから、代わりに事情を説明してくれた。話を聞いたリコットが声を上げて笑う。
「服は私が見とくから。二人とも、お風呂入ってきなよ」
「そうするわ。ほら、アキラ」
「はーい」
リコットが見てくれるなら安心だねぇ。お任せして、私達は浴室へ向かう。カンナはお手伝いをしようとしてくれていたんだけど、宥めておいた。大丈夫、自分で出来るよ。
そもそも夕方に一度入っているし、浸かることもしない。頭と身体を軽く洗って、さっさと立ち上がった。
「お先~」
ナディアから返事は特に無かった。髪が長いので、洗髪だけでも大変そう。聞こえてなかったかもな。でも私の気配が脱衣場に向かったことは、過敏なナディアには分かったと思うのでそれ以上は触れない。手早く身体を拭いて服を着て、脱衣場も出る。すると心配そうにしているカンナが扉前で待ち受けていて笑った。可愛いな。大丈夫だってば。
「リコ~、ナディの服、大丈夫だった?」
「うん、何ともなってなかったよ。何処を引っ掛けたのか分かんなかった」
真っ先に聞く。ずっと気になっていた。リコットは笑いながらもすぐに教えてくれた。良かった。私の散歩に付き合わせたせいでナディアの可愛いワンピースが破れちゃったら泣いちゃうよ。私がね。
「アキラちゃん、今日はもう寝たら?」
私の髪を乾かしてくれた後、リコットが言う。うーん、確かに、今すぐやらなきゃいけないことも特に無いし、それがいいのかも。大人しく頷いて寝室に向かう私に付き添ったのはカンナだけで、他の子らは何かうろちょろしていた。寝室の扉が閉まる直前、リコットはお風呂掃除がどうのって言ったように思う。
「洗ってないかも……」
ベッドに横たわってから呟く。カンナが不思議そうに首を傾けた。
「自分の使った、洗い場」
「……おそらくナディアが気付いていると思いますが、私からも改めて伝えておきます。お気になさらず、お休みください」
「んん」
申し訳ないな。後片付けをナディアに押し付けちゃったよ。「お先~」じゃないんだよな。明日謝ろう。目を閉じて力を抜いたところで、「伝えて参りますね」とカンナが離れた。すぐに戻ってきそうだ。傍に付いていなくても、別にいいのに。
誰にも心配を掛けたくないから、いつだって元気でいたい。そう思っても私はいつも空回りして、心配ばかり掛けてしまう。
ずっとそうだ。小さい頃から。
薄っすら目を開けて、暗い部屋の天井をぼんやりと眺めた。
少しすると不意に扉がゆっくりと開き、部屋に光が差し込んだ。誰かが入ってくる。多分カンナだ。その光の動きを見つめているだけで、どうしてか泣きたくなった。潤んだ目が見付からないようにと目を閉じる。
そのままじっと目を閉じていたら、いつの間にか眠っていた。今度は、朝まで夢を見なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます