801話以降
第801話_不調
ふっと短く息を吐いてから、アキラがゆっくり目を開ける。
「もう、だいじょうぶ。もうちょっと寝る」
大丈夫と告げられても到底信じられない。しかし休ませたい思いの方が強く、その点に食い下がるのは今ではないことは明らかだった。
「夕飯に起こす? 食べられそう?」
「うーん、お腹減ってきた」
「ほ、本気で言ってる?」
吐いた直後に食欲があると言われるとは思っていなかった女の子達は、大きく目を丸めた。勿論、食べられないよりは食べられた方が良いのだけど。反応が可笑しかったらしく、アキラがくつくつと笑う。
「まあ、お腹はびっくりしちゃうかもしれないから。あんまり濃くないもので、みんなと同じ量」
「そ、そっか、分かった」
いつもほど元気には食べられないと分かり、女の子達が少し納得の顔を浮かべる。食べられると言うだけで信じられないのだから、本当に『少し』だけの納得だが。
「今度は、お目覚めまでお傍におります」
「……そう。なら、安心して眠れるね」
一瞬だけ、アキラは困った顔を見せた。不調を見せたくない性質だけに、傍に付いていられるのは本音ではあまり嬉しいことではないのだと思う。けれど心配させてしまっていることを彼女なりに理解しているから、抵抗する様子は無く、そのまま目を閉じる。ナディア達はカンナを残して静かに寝室を出た。
しかしアキラは眠らなかった。
目を閉じて身体を横たえているものの、眠り落ちる気配がない。カンナはその横顔を、ただずっと見つめ続けた。
* * *
「……本当に普通に食べるんだね」
夕食の席に着き、躊躇なく食事をする私を見て、ラターシャがぼそりと呟く。吐いた直後に食べられる生き物が怖いみたい。折角元気なのに、怯えられているのはちょっと傷付く。
「みんなが優しいものを作ってくれたおかげだよ」
事実、今日の食卓はいつもよりずっと薄い味付けで、且つ、消化にいいものを選んでくれていた。ありがたい。みんなには物足りないのでは、と心配したものの、味を後付けできるソースも合わせて作っていて、女の子達はそれを使っていた。気になったのでちょっと貰った。美味しいね。でもみんなが不安な顔で見つめてくるから一口でやめておいた。
正直に言えば、いつも通り食べられそうでもあった。でも女の子達を怯えさせたくもない。今日は控え目に済ませておこう。
「寝起きで吐いたのは、十年ぶりくらいかなぁ」
食後のお茶を飲みながら呟く。小さい頃には何度かこういうことがあったけど、頻繁じゃない。これを珍しいケースだと伝えることで、私が転寝する度に心配させないようにと思った。でもどうだろう、うちの子達はみんな心配性だからあんまり効果はないかも。
さておき、淹れてくれたお茶も後味がスッと爽やかな感じ。カンナからの心配を感じる。
「アキラ」
「ん?」
難しい顔をしたナディアが私を真っ直ぐに見つめてきた。もしかして説教かしら。手に持っていたティーカップをテーブルに置いた。
「嫌なことがあったら自分を忙しくして、他のことで頭をいっぱいにしようとする癖」
それを言語化されちゃうのはちょっと恥ずかしいんだが? 文句を言いたくなったが、大人しく口を閉ざした。まだ何か続きがあるようだから。
「ずっと頭を回し続けているせいで、結局は神経が疲弊してしまっていない? 夢見が悪かったのも、そういうことなんじゃないかしら」
「……あー」
昨日も風呂場でぼーっとしちゃったし、確かに、私の脳が限界を訴えているという可能性は否めないな。
「ふむ。分かった」
素直に応えたはずなのに、女の子達は何かを疑う目で私を見ている。酷くない? いや、日頃の行いか。
「ちょうど工事もひと段落しているから、手は止めるよ。思考は、うーん、『努力する』としか言えないけど」
考えないようにする為に『他のことを考える』という策をずっと取っていたので、その策を捨てた状態で『考えない』なんて本当に可能なのか、私にはよく分からない。だから約束はできないけど。賢くて鋭い我らが長女様からの助言なら、試してみましょう。そういう気持ちです。
「じゃ、試しに無心でお散歩してこようかな~」
「え」
女の子達から漏れた戸惑いの声はそれぞれ小さくとも全員分だった為、立ち上がる音で掻き消えなかった。しっかり聞き取ったからには無視も出来ず、足を止める。
「みんなはお風呂でのんびりしてていいよ。その辺ぐるっと散歩するだけだよ」
「いや」
「それはちょっと……」
「うん?」
とても険しい表情で女の子達が俯く。何が不安なんだろう。スラン村の周辺は私の結界から出ても魔物が居ないし、何の心配も無いはず。村人以外は誰も居ないんだから、ジオレンのような大きな街でふらふらするより、女の子達にとっては安心なのでは? 首を傾ける私を見て、ナディアが溜息を零す。
「体調の心配をしているのよ」
「おお」
そうでした。ごはんも普通に食べられたから、『もう大丈夫』の証明をし終えているつもりだった。まだダメだったか。
「散歩の後、また入浴するの?」
ナディアが尋ねてくる。私は迷わず頷いた。
「そうだね。さっきも汗かいちゃったし。流すだけでも」
「なら私も散歩に付き添って、そのタイミングで入ることにするわ」
驚いて目を瞬く私の方を一瞥もせず、ナディアが立ち上がった。慌てて彼女の視界に入る範囲で手を振った。待って待って。
「いや、そんなに気を遣わせるなら、いいよ、此処に居るよ。困らせてごめん」
誰かを巻き込んでまで決行したいものじゃない。ただの気まぐれだ。一人でダイニングに居たら『何も考えない』が上手くいかない気がしただけ。
だけど慌てる私にナディアはちょっと呆れた目を向けていて、逆にリコットはくすくすと笑う。
「アキラちゃんこそ、そんなに気を遣うことないよ」
穏やかなリコットの声に私はただ目を瞬いて、彼女を見つめ返す。
「ナディ姉も面倒くさかったらこんなこと言わないし、本当に嫌だと思ってたら他の誰かが行くし、もし全員が嫌だと思ってたら『やめて』って言うよ」
そうだろうか。そうだとして、それでいいのか?
振り回しているのは否定しようのない事実だ。でも、受け止め切れない程の迷惑じゃない、と言われているらしい。
しばらく首を傾げた後、私は「じゃあ、御言葉に甘えて」と小さな声で返すことしか出来なかった。
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