第792話
「わっ、アキラちゃん」
自分の首かカクンと下がったのと、ラターシャの驚いた声のどちらで起きたのかは分からない。目を瞬けば目蓋がやけに重いと感じた。
「寝てた」
「そうみたいだね。……大丈夫?」
眉を下げて微笑んだラターシャが、私の顔を覗き込む。可愛いお顔が寝ぼけ眼ではよく見えなかった。
目を擦りながら頷いて応えたものの。肯定を意味しているのかまだ寝ているのか、微妙な首の動きになってしまったかな。ラターシャがくすくすと笑った。
「さっきもお風呂で変にぼーっとしてたって、ナディアが心配してたよ」
「『心配』」
おうむ返しをする私に、ラターシャは眉を下げ、少し困ったように笑う。
「意外?」
「ん?」
背後からの声に振り返る。リコットが眉を軽く上げた。
「ナディ姉がアキラちゃんを心配することが、意外に感じる?」
「んー」
どうだろう。ナディアは優しいから、私のこともいちいち心配してくれている、と思う。言葉では違うと言う時もあるが。
ということを頭では考えたんだけど口に出さずにうんうんと頷いていたら、リコット達は囁くような小さな声で「まだ寝てない?」「やっぱり疲れてるよね……」と私の頭上で会話を始めた。ふふふと小さく声を漏らして笑ってしまった。
私の反応に、リコットが苦笑気味に私を覗き込む。
「ちゃんと聞こえてるの?」
「聞こえてるよ」
肯定したはずなのにリコットの眉は更に下がり、私の頬を両手で挟んで顔を揉み始めた。小顔マッサージだ。私の顔が歪んでいるのを見て、ルーイとラターシャが楽しそうに笑っている。しかし小顔マッサージとは一時的に不格好になってしまうものだから受け入れねばならない。思考が惚けているが、リコットに小顔マッサージのつもりが無いことは分かっている。遊ばれている。むにむに。
しばらく私の顔を揉みしだいたリコットは徐に手を離し、私を背後から緩く抱いた。項あたりに柔らかいものが乗っています。幸せな温もり。
「もう休む?」
リコットの声は甘くて、私を寝かし付けようとしているかのよう。でも私は首を振った。断じて、項に当たっているそれの感触を確かめようとしたわけではない。
「ううん、もう大丈夫」
「無理に起きなくて良いのに」
心配そうな顔を隠しもせず、ラターシャが言った。だけど無理をしたつもりはなかったから、もう一度首を振った。
「みんなの乾かし方が優しくて、眠くなっちゃっただけ。でももう今夜は作業しないことにするね」
今以上に心配させてしまうと、優しい子達は気になって眠れなくなっちゃうかもしれないからね。それに、こんな時間から改めて没頭しちゃうと、次の区切りは真夜中になるだろう。流石にナディアにごつんとされてしまいそうだ。
不意に、リコットが私の方へ体重を掛け、頭頂部に頬をぐりぐり擦り付けた。なんだなんだ。
「何かございましたか?」
掃除組が浴室から出てきた。声はカンナだけだったが、ナディアも戻ってきていて、リコットに抱かれている私を無言で一瞥している。そっと目を閉じることで冷たい視線から逃れた。その間、私の頭上で簡潔な状況説明が行われていた。
「リコ、動いていい?」
「うん?」
みんなの会話が終わると同時に声を掛ける。リコットは不思議そうにしながらも腕を緩め、一歩下がってくれた。私は彼女にぶつからないように、椅子からそっと立ち上がる。
全員が私の動きを警戒して見つめている中、素知らぬ顔でのんびりとキッチンに入り込んだ。
「何か飲むの?」
最初に問い掛けてきたのはナディアだ。
「うん。その前に、簡単におつまみを作る」
みんなが一斉に「なるほど」という顔になった。既製品のおつまみで良いならカンナに言い付けるだけだからね。でも今日はちょっとした調理をしたいのです。
厚切りハムやソーセージは簡単に火を通して並べ、アスパラみたいな野菜はベーコンを巻いてバターでカリッと焼く。そして残り物の野菜を千切りにして衣と合わせ、かき揚げに。
「簡単……?」
しっかり調理を始めてしまった私にリコットが何か言ったが。調理が楽しくなってきたので気にしない。さっぱりしたものも欲しいのでナムルと野菜スティック、ディップソースも作りました。
ふむ。今夜はこれくらいにしておこう。
「うーん、赤ワイン」
容赦なく大きな瓶をポンと開けた。しかしこれも今夜の内に無くなる予定。
なお、栓を抜いたと同時にボトルとグラスをカンナに横から奪われた。そうだね、主人が真横で手酌したら侍女様は嫌だよね。適量が注がれたグラスを、ありがたく受け取る。
「一緒に飲んだり食べたりしたい子いたら、好きにしていいよ。カンナも」
「食べはしないけど……飲もうかな」
「私も、ワインだけ少し頂きます」
リコットとカンナが晩酌に応じてくれた。ナディアと子供達もソフトドリンクを持ってきていた。結局、全員がテーブルに着いているので、付き合ってくれている気分。
それにカンナも、来たばかりの頃なら主人と同じボトルから自分の分を注ぐなんて絶対しなかっただろうけど。一緒に飲んでくれる方を私が好むと知って、最近は無理のない範囲で応じてくれている。
「夕食、あれじゃ足りなかった? もっと作れば良かったかな」
「ううん。おつまみは別腹」
「あなたの胃は何個あるのよ……」
間違いなく一つですが。おつまみとデザートと〆はそれぞれ別腹。
それにしても。夕食では「調理が面倒」という気持ちで品数が少なくてナディア達に気を遣わせてしまったくせに、急におつまみをいっぱい作るんだから、訳が分からないよな。やる気の湧くタイミングがちょっとズレたみたい。振り回してごめんね。
「この野菜のフライ、美味しそう」
ラターシャがかき揚げを見て言った。そういえば、まだ作ってあげたことなかったかも。
「食べていいよ?」
「もう入らないよ! ……私が食べられる時に、また作って」
「あはは。了解」
そっか、もうお腹はいっぱいか。食べたいと思ったら覚えている内に食べたいだろうし、近日中に作ってあげよう。
「普通のフライとは、衣が違うのね……何を使っているの?」
「軟らかい方の小麦粉とデンプン粉を合わせて、卵黄と冷水で溶いたやつ」
私の世界で言う、薄力粉と片栗粉のことだ。こっちの世界では通じないので、分かる言葉にして説明する。
とは言え、ぼーっとしてる時はあまり気遣わず『薄力粉』とか『片栗粉』って呼んじゃうから、女の子達は多分もうどれを指すか知ってくれているんだけどね。
「次は一緒に作ろっか。簡単だからすぐ覚えられるよ」
「ええ」
元の世界でよく食べていたもののレシピをみんなに伝えておくと、私が作れない時も作ってくれたりするのでこの共有はとってもお得なのだ。作ってもらえる未来を思い浮かべて既に機嫌が良くなった。
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