第793話

 いつもより早いペースでワインを飲み進める。おつまみがあるから余計に早い。空のグラスをカンナの方へ寄せる度、当然カンナはちゃんと注いでくれる。しかし彼女にしては反応がやや遅く、まず私の顔色を確認してから注いでいた。熱とか測定されている気がする。

「アキラちゃん、大丈夫? 今日は疲れてたのに」

「げんき。だいじょうぶ」

 流れるように答えたのは本当にそう思っているからだ。でも問い掛けてきたラターシャは少し眉を下げ、困ったように笑う。

 ふむ。さては、私を心配しているな? 偉いから気付いたぞ。

 自己評価ではそうだが、きっとみんなは「遅い」って言うんだろうな。

 入れてもらったばかりのグラスを傾け、二口。グラスから口を離す度に女の子達がじっと私を窺う。段々楽しくなってきた。

 かき揚げの最後の一つを口に入れる。野菜の甘みとほんのりの塩気。これは白ワインにも合う気がする。でも赤も悪くない。また二口。美味しい。

「飲むペースが早い、一口が大きい、絶対に二回ずつ飲む。これは良くない飲み方の代表だから、大人になっても二人は真似しないように」

「はーい」

 リコットが真面目な顔でラターシャとルーイに向かって語り掛けている。面白くてワインを零しそうになった。ずっと厳しい顔をしていた長女様も少し表情を緩めた。リコットと子供達の愛らしさ様様だ。

 お口直しにナムルを頬張り、またワインを傾ける。

 意に介さず飲み続ける私を見て、リコットがやや拗ねた顔をしていた。子供達に教える振りで苦言を呈したかったらしい。可愛くて口角が上がる。何も言わずまたワインを傾け、グラスを空けた。カンナ含め全員が何か言いたげな顔をしていて愛らしい。

 私はそのグラスをカンナの方へと寄せないまま、スッと立ち上がる。女の子達はおそらく予想していなかったその動きに反応が遅れ、ただ無防備に私を見上げた。

「ボトルちょうだい」

「あ……はい」

 カンナからワインボトルを回収し、私はそのまま台所へ。後ろからカンナとナディアがついて来た。厳戒態勢。可愛い。緩む表情を隠さず、ニコニコしながら残っているワインを全て手鍋に流し込んだ。

「……ホットワインにするの?」

「うん」

 アルコールを完全に飛ばしてしまえば、どれだけ飲んでもみんなが心配することはないだろう。

「何か入れる?」

「んー、いや。今日はこのままでいいかな」

「なら、私がやっておくわ。座って待っていて」

 お言葉に甘えて任せておいた。ナディアの手で徹底的にアルコールを飛ばしてもらった方がみんなも安心する気がしたので。私は信用されていないし。自分で言ってて少し切ない。

「カンナ、お水ちょうだい」

「はい。すぐにご用意いたします」

 テーブルに戻って座り直すと、リコットが隣の席に移動してきた。先程まではカンナが座っていた場所だ。しかし席を取られちゃったカンナは特に戸惑う顔も見せず、私に水を出した後、リコットが元居た席に移動している。事前に打ち合わせでもしたのかってくらい自然な座席交換。

「アキラちゃん、こっち向いて」

「うん?」

 促されるままリコットを見れば、私の頬に手が添えられた。ラターシャが慌てた様子で目を逸らしているのが視界の端に見えた。

「リコット」

 台所から不機嫌そうなナディアの声。私とリコットは同時に笑った。キスしちゃダメだってさ。

 だけどリコットはまだ私から離れようとも視線を外そうともしないで、そのままの形で瞳じっと見つめ、親指の腹で目尻を撫でた。

「体調は問題ない?」

「平気だよ」

 目の様子を見ていたらしい。触れてきたのも、熱を測る為だったんだろう。

「みんな心配してるんだからね」

 教え込むようにリコットが言った。

 勿論それが分かったから、アルコールを止めてホットワインにした。

 ただ、改めて言葉で、瞳の優しさで伝えられたそれが、身体の奥にじんと染み込んでくる。応じて震えた心臓が、私の心を軟くした。

 笑ったつもりだった。でも間近で見つめ合うリコットに、目が揺れたことを隠せるわけもない。彼女が目を見開いたのを見て、すぐに俯いてしまった。そのまま、リコットの肩に額を押し付ける。これ以上、表情が崩れるのを見られたくなかった。

「寂しい、気持ちは」

 微かに言葉尻が震えて、泣いているみたいな音になった。涙は零れていない。だから泣いていない。……今の私は本当にそう言えるのかな。飲み込もうとしても、声の震えは抑えられなかった。

「いつになったら、消えるんだろう。みんなが、いつも居るのにね」

 少し酔ってしまった。こんな風に心の内を、優しいみんなに零してしまうなんて。

 やっぱり、疲れているのだろうか。この気持ちはずっと私の中にあるもので、今、生まれてきたわけじゃない。だから時折それを重く思うのは、疲れていたり弱っていたりする時なんだと思う。

「……消えないよ」

 リコットは私を強く抱き締めて、掠れた声で呟く。

「失ったら、もう、どんな風に埋めたって、ずっと寂しいよ」

 それはきっと彼女自身の想いだった。彼女は今も、お姉さんを亡くした痛みを変わらずに抱えたままだから。「そっか」と応えた私の声はリコットの腕の中に隠されてあまり響かない。

 ガチャンと台所から音がした。ナディアが火を消したようだ。

 私の世界のガスコンロと違って薪による火だから、スイッチオフで火を消せない。その代わり、レバーを引いたら蓋が閉まって空気を遮断し、それ以上燃えないようにする仕組みになっていた。ジオレンのアパートがその仕組みだったのでこの屋敷に持ち込んだ。あのアパートは割と新しい建物だから、この世界でも最新に近い仕組みが取り入れられているのだ。

 何にせよ、ホットワインが出来上がったようだ。私が頭を上げる頃には、テーブルに運んできてくれていた。わざわざ深さのある片口に入れ直してくれている。注ぎやすいね、助かる。カンナが。

「ありがとう。……リコも、ありがとね」

「ううん」

 私のせいで悲しい気持ちにさせてしまったのか、少しだけリコットの目が赤い。さっきの彼女を真似るように、親指の腹で目尻を撫でた。リコットはくすぐったそうに笑った。

 子供達がおやすみを言って先に眠る時以外、私は視線をテーブルの上に落としたまま、誰の顔も見なかった。愚図ってしまったから気恥ずかしいです。

 ナディアが温めてくれたワインは、作ったつまみと共に空にした。

 晩酌のせいで今夜は少しだけいつもより夜更かし。けれどナディア達は誰も席を立たず、最後まで私に付き合ってくれた。本当にみんなは優しいな。何度でも、泣きたくなるよ。

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