第791話
しかしあまり長く遊んでいたら長風呂すぎるってみんなが心配しちゃうね。ぐるっと回って洗い場に戻った。
髪を解いて、手櫛でざくざく適当に整えてからお湯を流す。
桶を使って湯を汲み上げて使うことにもようやく慣れてきて、シャワーの開発は正直もう、どっちでもいいかなという気になっていた。
便利に慣れた人間は、なかなか不便な生活には戻れない。私が良い例だ。
この世界のみんなは折角、少ない水量でお風呂に入る生活様式があるのだから、わざわざ無駄遣いさせる方に舵を切る必要も無い気がした。水不足にならないよう対策を講じてから考えるつもりではあったが、魔力が別の資源になるなら、消費が重たくなるのは間違いないのだから。
だから私が慣れればいいだけだ。――そう考えると必ず、胸の奥がじくりと痛む。もう戻らない。いつかは、慣れなければいけない。元の世界を忘れまいとしがみ付くほど、自分が辛くなるだけだ。頭では分かっているのに、どうしても胸は痛む。
一度手を止めて、ふう、と息を吐き出した。
結局、ごちゃごちゃ考えてしまうんだよな。
考えごとをする時間を減らそうとして、自らを忙しくさせているはずなのに。こうした隙間時間に、留めていたものがぶわっと噴き出してきて頭を占領する。
効果があるのやら、無いのやら。
自らの膝に頬杖を付き、蛇口をぼんやりと眺める。
意味はなかった。何故か、頭を空っぽにする為に、今の私は動きを止める必要があっただけ。
「……アキラ、まだ入ってなかったの?」
「ん?」
声に顔を上げたら、ナディアが怪訝な顔で入口に立っていた。しかも長いワンピースの裾を持ち上げ、そのまま中にまで入ってきてしまう。え、濡れてしまいますよ。
「どしたの?」
「こっちの台詞よ。何をしていたの?」
「何って……別に何も。少し、ぼーっとしてただけ」
ナディアが呆れた顔になる。え、そんなに時間が経ったのかな。
あまりにも近くに立たれてしまったので、思わず仰け反った。低い風呂椅子に座っている私からナディアの顔を見上げるのが辛かったせいでもあるが、彼女の服に触れて、濡らしてしまいそうだったからだ。
「手伝いましょうか。それともカンナを呼ぶ?」
「いや、大丈夫。あと顔と身体洗うだけ」
「まだ髪しか洗ってなかったってこと……」
やっぱり自分で思うよりずっと長く、ぼーっとしていたらしい。呆れた声が居た堪れなくて、慌てて洗顔用の石鹸を泡立てる。
「ナディ、尻尾が湿気ちゃうよ? 私は大丈夫だから」
石鹸を触り始めたところでナディアは少し離れてくれたんだけど、浴室からは出ようとしない。既に湿気は感じているのだろう、やや煩わしそうに前髪をかき上げていた。
「その『大丈夫』が信頼できるなら、何も言われなくても出ているわよ」
「はい……」
あらゆる心配と世話を掛けている身なので何も言えなかった。少しでも短い滞在で済むように、手早く自分の顔と身体を洗う。
しかし焦ったあまり、私は、ナディアの尻尾問題をすっかり忘れていた。いつもの癖で小さい方に向かい、「そっちじゃないでしょ」と低い声で指摘された。
「ご、ごめん。わざとじゃないよ、さっきまでは覚えてたんだよ……」
「もういいから」
大きい方の浴槽に身を沈めながら言い訳すると、ナディアには溜息を吐かれた。信じてくれているのかどうかちょっと分からないが、声はあんまり怒っていなくて優しかった。
「本当に具合は悪くないのね?」
「うん、本当。手を動かしてると、何だか頭も一緒に動いちゃって。頭を空っぽにしたいなと思ったら手も止まっちゃったんだ」
何故そこが連動しているのか私にも分からないが、手を止めたら思考が止まってくれたので、それ幸いとじっとしていた。
「……ややこしい性質ね」
そうだね、それは同意する。黙って頷いていたら、ナディアは繰り返し小さく息を吐いただけで追撃はしてこなかった。
「のぼせてしまわないようにね。多分、後でカンナも様子を見に来るわ」
どれだけ心配をさせているんだ私は。大丈夫なんだけどなぁ。そう言いたいものの、信用できないと先程告げられたばかりなので、「はい」とだけ応えておいた。ナディアは私に一瞥をくれて、その後は何も言わずに浴室を出て行った。
彼女が来た本当の目的は多分、小さい浴槽に私が入っていないのをチェックする為だったんだと思う。慌てたせいで本当に入ろうとしてしまったのは事故だ。多分慌てていなければ途中で思い出したはず。
ふう。
長めの溜息を吐き出し、努めて無心でいるようにしながら温まって、しばらく。ナディアの予想通り、今度はカンナがやってきた。
「……私、長く入ってた?」
「ナディアが戻ってからであれば、通常の入浴時間です。お手伝いすることがあればと参りました」
「んー」
洗い場でぼーっとしていた時間を含むといつもより長いけど、湯船に浸かっている時間は普通だったってことだね。
「手伝いはいいよ。もう上がる。お風呂掃除、任せていいんだよね?」
カンナが頷いたのに応じて私も頷く。ナディアも確か掃除担当だから、上がった時に私から伝えておきます。彼女はどうしても尻尾の毛を自分で片付けたいようなので。
獣人族である彼女の感覚全てを私達は理解してあげられないから、「気にしなくていい」を押し付けるのも違うと思う。好きにさせてあげよう。
脱衣所で手早く身体を拭いて服を着ていたら、呼ぶまでもなくナディアが来た。
「カンナはもう掃除中?」
「うん。私の手伝いは要らないから、掃除をお願いした」
「そう」
頷いたナディアはまだ動かなくて、身体を拭いている私の傍に立っている。
「私はリコ達に構ってもらうから大丈夫だよ?」
目を離すのが不安なのだろうと思ったからそう告げる。ナディアは微かに眉だけを動かした。
「……あまり困らせないであげてね」
「んん。ぜんしょします」
深く頷いて答えたが。この回答が気に入らなかったらしく、はっきりと顔を顰められた。表情の変化が可愛くて思わず笑ってしまう。揶揄われただけだと察したらしいナディアは、顰めっ面のまま浴室に行った。不機嫌そうに尻尾がぷんっと強く揺れていた。
「髪、乾かしてあげるよ。座って~」
着替えて出たら、リコットが笑顔で迎えてくれた。癒し。
促されるまま椅子に座る。リコットが風を出し、ラターシャが櫛とタオルで丁寧に乾かしてくれた。女の子達はいつも手付きが優しくて嬉しいんだ。
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