第782話

 日が暮れる頃には、縦穴の底が目的の海抜十八メートルに到着して、私は更に出入口方面に向かっても掘り進めていた。

 当然その段階になると空は見えず、内部は暗くて私の照明魔法が頼りだ。その為、全く時間の感覚が無かったのだけど。定期的に確認していたらしいカンナから「間もなくご帰宅の時間です」と声を掛けられた。

 私の侍女様はタイムキーパーとしても優秀だねぇ。無理なんてしようがないよ。

「ただいま~」

 自分の屋敷に帰ると、今日もキッチンで女の子達がわちゃわちゃしていた。はあ。癒し。

「おかえりー、……どしたの?」

 入口で立ち止まって癒しを噛み締めていたら、女の子達には首を傾げられ、私のせいで中に入れないカンナには後ろから心配そうに窺われた。

「はぁ……」

「な、なによ」

 急に項垂れる。躁鬱。意味不明な私の行動に、ナディアが怯えるみたいに猫耳をぺたんこにして怪訝な声を向けてくる。その様子は可愛いんだけど、ちょっと変なことをしただけで怯えないでほしい。

「この光景に慣れちゃったら辛いな……いつかは一人の家に帰るんだ……」

「自分で勝手にそうしたんでしょう」

「その通り……」

 誰が何処に住むかを決めたのは私自身だ。他の誰の意見も一切無い。

 まあ、何にせよまだまだ先の話だけどね。

「ご入浴の準備をして参ります」

「うん、お願い」

 些細な理由による立ち止まりだと分かったら安心したのか、カンナは私を追い抜いて浴室の方へと向かって行った。

 その背を見送った後、一度は大人しくダイニングテーブルについていた私。お風呂の準備が終わるまでのんびり待っていればいいだけなのに、ものの数分で、そわそわと立ち上がる。

「どうしたの? アキラちゃん」

「んー、暇だからカンナに甘えてくる」

「えぇ……?」

 困惑しているラターシャを振り返ることもなく、のたのたと浴室に向かう。脱衣所を素通りして、浴室に入った。人の近付く気配を察知していたらしいカンナは既に此方を見ていたが、私とは思っていなかったようだ。姿を見止めた瞬間、くるりと目を丸めた。可愛い。

「もう間もなく準備が出来ますが、何かございましたでしょうか」

「ううん」

 首を振るものの浴室へと入り込んでくる私に、カンナは頻りに目を瞬いて戸惑っている。

「抱き締めてもいい?」

「は……はい」

 反射的に軽く仰け反っていたが。ゆっくり腕を回す私を拒むことはなかった。

 小さい身体をぎゅっと腕の中に閉じ込め、側頭部にぐりぐりと頬擦りをする。カンナは緊張で固まっていた。それを含めて全部が可愛くて仕方ない。むしろ腕の力を強めた。

 そうしてしばらく堪能していると。徐にカンナの手が、優しく私の腕を撫でる。

「……何かございましたか?」

 心配そうな声だった。私が不可解な動きをするものだから、こんなことをしたくなるほど辛いことでもあったのかと、案じているらしい。

「ううん、何も。唐突に君に甘えたくなっただけ」

 本当に意味はない。と思う。少なくとも私は自覚していない。

「嫌だったら、押し返してね」

 この言葉の意味をカンナが汲み取るより早く。小さな身体に覆い被さるようにしてキスをした。抱き締めた時の比じゃないくらい身体を固めていたが、手が私を押し返してくる気配はない。抵抗が無いのを良いことに、好きなだけ深く、長く。キスさせてもらった。

 でも、私が満足するまでというほどの長さではなく。不意にカンナの手がぐっと私を押す。

「ごめん」

 流石に長かったか。すぐに唇を解放して謝罪したら、微かに震える声でカンナが「いえ」と言う。そして珍しく、私の腕をぎゅっと掴んだ。

「違うのです、その」

「おー、そっか。ごめん」

 私は一度カンナを支えるように抱き直し、彼女の後ろに椅子を出した。そしてゆっくりとそこに座らせてあげた。立っていられなくなってしまったらしい。それは本当にごめん。

 腰を落ち着けて、少しホッとしている様子のカンナと目が合う。この状態であれば倒れることはないし、続きを……と思わなくはないんだけど。やや涙目になっているので、これ以上追い詰めるのは可哀相だな。慰める意味で軽く目尻にキスを落として、身体を離した。

「少し休憩してて。脱衣所で脱いでくるから、お風呂、手伝って」

「……畏まりました」

 脱がすところからお世話をしたいらしく、僅かに返答を渋ったカンナだったが。何も言わず了承してくれた。きっとまだ立てなかったんだと思う。正直、腰を砕くほどのことをした覚えは無いんだけど。唐突だったからびっくりしちゃったんだろうな。

 いや。一日中立ちっ放しだったせいか? 疲れていた可能性も考えられるか。

 脱衣所に戻った私はいつもよりのんびりと脱いで、服を無駄に丁寧に畳むなどしてから、浴室に戻る。

 二分程度だったはずだが、カンナは私を見ると椅子から立ち上がった。慎重な動きではあったものの、ふら付く様子は無い。

「もう大丈夫?」

「はい。申し訳ございませんでした」

「ううん、私が急に甘えたせいだから……疲れもあるのかな。此処の所、あんまり座らせてあげてないね」

 考えてみればスラン村の作業中、カンナは私以上に立ちっ放しだ。私は作業の関係で脚立の上とかに座っていたこともあるのに。足元に椅子を置いてあげれば良かったなぁ。

「アキラ様はいつもお気遣い下さいますが、頻繁に休憩を頂いておりますので、そこまで疲労を感じておりません。もっと長く立ち続けた経験は数えきれぬほどにございます」

 優しい声でゆっくりと、カンナが応える。

 前にも確か、言ってたな。主人がお茶会を開くとか参加する場合は座る暇が無いって。そうじゃなくても私が王宮を訪れる時、座っている侍女や執事の姿を見たことは一度も無い。

「失礼いたします」

「ん」

 私の髪を梳き終えたカンナが、髪にお湯を掛けてくれる。

 まあ、カンナが大丈夫って言うなら、いいかぁ。お湯を掛けられたせいか妙に緩んだ思考でそう思った。何故カンナの腰が砕けてしまったかという疑問は何処かへ飛んで行った。

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