第778話

 目を瞬くことしか出来ない察しの悪い私に、リコットは仕方ないなという顔で少し笑った。

「昨日の続きは?」

「は……」

 至近距離で見つめる薄緑色の瞳は、昨夜、私の理性を焼いた時と同じくらい甘かった。

 ようやく彼女の言わんとしていることを汲み取り、腰へ回した腕に力を籠める。昨日は長女様に怒られて諦めた唇へのキス。ぎゅっと押し付けてくる胸が柔らかくて嬉しい。

「この為に、待っててくれたの?」

 唇を離して尋ねれば、リコットはあっさり「うん」と応えた。確かにこうでもしなければ二人きりでイチャイチャ出来るタイミングは無いけど。そこまでする理由がまるで分からない。勿論、私は嬉しいが。

「行こっかー。起こしてくれてありがと~」

 しかし、理由の説明などは全く無く。去り際にはまた頬へキスを落としてくれたものの、リコットは躊躇なく立ち上がってしまう。本当に、これだけの為だったのか。

 気が済んだらしい彼女はもう後ろ髪を引かれる様子もまるで無い。さっさと立ち去って行った。だけど私は温もりと柔らかさの余韻で立てない。名残り惜しい。もう寝室を出てしまった彼女は後ろ姿すら見えないのに、未練がましいな。

 開け放たれた扉の向こうからは、女の子達の穏やかな朝の挨拶が聞こえた。

「どうしたの?」

「なんにもー」

「すーぐイチャイチャする~」

「あはは」

 可愛い会話だ。このまま聞き耳を立てていたい気持ち。しかしそろそろ、お弁当作りに戻らなければ。重い腰を上げ、私も寝室を出る。

 その後は平和に朝食とお弁当作りを終え、ルフィナ達と合流して工事の再開だ。

「今日もよろしくねー。休憩はこっちに来るから、何かあったらその時に教えて」

 スラン村側の作業者は今日もルフィナとヘイディとロマ。そこへうちのリコットとラターシャを加えて、合計七名で麓に下りた。

 私とカンナはこの後、別行動になる。だけど今の言葉通り、休憩の度に此方に戻る予定だ。困ったことがあったら出来るだけ早く対応できるようにね。

 まあ結界の中だし、うちの子らの守護石もあるし、午後にはケイトラントも来る。滅多なことは無いと思う。……頭ではそう思ってもやや心配しているのが見て取れたのか、みんなには苦笑された。

「――まずは位置を確認しなくちゃな」

 テーブルの上に地図を広げ、現在地に印を付ける。

 縦穴は最終的に今のトンネルと繋がるんだから、適当な位置に掘ってはいけない。馬車を通すことを考えると、曲がり角やカーブの少ない、真っ直ぐなトンネルが良いだろう。下手に曲がり角を作っちゃうと通りにくいだけじゃなく、馬車と人が鉢合う可能性も出てしまうからね。

 入口付近に魔法石をちまちま埋めて、遠くからでも正確な位置を把握できるように準備した。大木の根元にもまだ埋めてあるから、これらの石によって街道とトンネルの位置が別の場所からも感知できる。

「よし。カンナ、飛んでいくよ」

「はい」

 転移だと不安なので、真っ直ぐの位置を確認しながら飛行し、スラン村側の位置を探す。

 いつもより少し遅く飛行する私の腕の中で、カンナはじっと大人しい。こうしていると本当にお人形さんみたいなんだよな。愛らしい。……という余計な思考を挟んでしばらく。スラン村が見えてきた。

「ふむ、この位置か。悪くないね」

 スラン村の北西側。正門は東側にあるが、西と北側に裏門があって、山菜取りなどで出る時に使われている。どちらの裏門からも、此処は五十メートルも離れていない。

 一度地面に下り立って、改めて位置を確認する。自分の魔法石までの距離と角度を測り、ズレが無いように慎重に探知しながら、目印の杭を打った。

「此方も、道を作られるのですよね」

「うん、そのつもり」

 この場所から、村へと繋がる道も整備しなければいけない。馬車でも麓へ下りられるようにしたいから、馬車が通れる程度の道が必要なのだ。

 スラン村の外周を添うように回って、この場所に伸びてくる形がいいのではないだろうか。荷を積んだり下ろしたりする為にはそれがきっと便利だ。表からも裏からもアクセス可能という感じ。

「とはいえ、道に関しては、本当に急ぎじゃないから」

 今回は作らなくていいだろう。この場所の周辺だけは作業の為に伐採して地面を均すけども。

 それに、計画を伝えておいたら次に来る時までにケイトラントが勝手に作ってそうでもある。あの人には出来てしまうからねぇ。

「モニカ~」

 とりあえず。一度、縦穴の位置を村長に相談だ。

 どの入口も利用せず、飛行でフェンスを飛び越えて侵入する悪い領主です。近くの畑で作業していたレナが私達を見上げて笑っていた。

「徒歩で一、二分のところだけど、ちょっと来てくれる?」

「ええ、問題ございません」

 唐突なお願いでも快く受け入れてくれる。優しい村長だなぁ。女の子達が此処に居たら「先に用件を教えなさいよ」と目を細められるだろうが。とにかくモニカと共に従者二人も連れて、裏門から杭を立てた位置にご案内した。

「この辺りに昇降機を設置しようと思うんだけど、どうだろう? もうちょっと奥がいいとか、近い方がいいとかある?」

 数メートルの調整くらいは、縦穴付近の道だけ緩やかなカーブにすればいいだけだから問題ない。村長の意見に従おう。合わせて、私とカンナが勝手に考えていた今後の道の整備についても説明しておく。

「いえ、良い位置だと思います。何かあった際の避難場所にすることも考えれば、正門ではなく裏門から近い方が融通も利くでしょう」

「そっか、確かに」

 避難の理由が災害か襲撃かは分からないが、後者の場合に正門から避難するって中々無理があるよな。

「ありがとう。此処に作ることにする。掘削中は周辺を立入禁止にするから。不便があったらごめんね」

「問題ないと思いますが、村の者には周知しておきます」

 この場所は、誰かがうっかり落ちないように、完全に封じちゃうつもりだ。邪魔になることもあるかもしれない。とりあえず、みんなに知っててもらえると助かる。宜しくねと伝えて、モニカ達は村に戻した。

 それではまず。掘るべき場所に杭打ち……いや、掘る予定の範囲を十センチほど掘ってしまえば目印は要らないか。一段下がります。ほい。

 次に。穴から約三メートルの幅を取って、私の身長ほどある石壁をドンと立てる。これで立入禁止の措置は完了。無駄にジャンプして飛び越えない限り、この穴に落ちちゃう人は居ないはずだ。

「此処から、海抜十八メートルまで。約二四〇メートルを掘ります」

 私が何をしているかが傍に居るカンナにも伝わるよう、口に出しておく。彼女は黙って頷いてくれた。

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