第777話

 スラン村滞在三日目の朝。

 リコットさん、私の頭をしっかり抱えたままでうつ伏せ気味に寝ている。つまり私がちょっと潰れていた。でもとても幸せ。この時間をもう少し堪能しよう。起こさないように静かな動作で身体に腕を回す。

 しかし幸せな時間はいつだって過ぎるのが早いもので。うとうとしていたらルーイが先に起きてしまった。

 彼女の位置から私は見えないが、リコットの背中の角度で、私が潰れているのは察したんだと思う。ちょっと笑っている気配がした。そしてすぐに寝室を出て行っちゃう。うーん、先を越された。仕方ない、起きましょう。

 朝食の料理長がキッチンに立とうというのに、昼食のお弁当担当が遅れるわけにはいかない。リコットをしっかりと抱き締め、身体を反転させた。

「ううん~~~」

 愚図るみたいな声を出すリコットが可愛い。

「おはよう、リコ。添い寝ありがとうね。先に起きてるね」

 昨日のお返しのつもりで頬に口付けたら、寝ぼけ眼で私を見上げたリコットが、条件反射みたいに伸び上がって頬へキスを返してくれた。これじゃ負けっ放しじゃないか。しかしそれで足を止めているとキリが無い。頭を撫でて、ベッドを離れた。

「……なんぎだなぁ」

 数歩離れたところで、小さくそう聞こえた。

 なんぎ? ……難儀か?

 以前にも、誰かに言われた覚えがあるな。ガロだっけ。でもどうして今のタイミングで言われたんだろう。首を傾けて振り返るも、リコットは上掛けを私の頭の代わりに抱え込んで背を丸めていて、私の方は見ていない。まるで寝言か独り言だったかのように。

 気にはなったものの。おそらく戻って問い掛けても教えてもらえないだろう。そのまま寝室を離れた。

「難儀って、なんだろうねぇ」

「うん?」

 切り替えたつもりが。どうしても頭から離れなくて、一緒にキッチンに立っている末っ子に問い掛ける。ルーイはくりっと目を丸めて、私を見上げた。

「さっきリコが呟いてた。多分、私のことだと思うんだけど」

「うーん」

 話しながらも手は動かす。豚肉に似ている肉に下味をつけ、お弁当用のトンカツ準備。カンナとラターシャはさっき起きてきたばかりで、今は洗面所に居る。残る二人はまだ寝室から出てこない。

「難儀なひとしか此処には居ないから、誰が誰に言っても、返ってくるだけだと思う」

「あははは」

 末っ子からの鋭い指摘である。

「私は、アキラちゃんみたいにややこしい人は、真っ直ぐに伝えるのが一番だと思うんだけど」

「ややこしいかな……」

 自分では自分のことをとっても単純明快と思うのですが。私が小さな声で疑問を差し入れるも、ルーイは「そこは議論の余地ない」って言った。ひえ。酷いや。

「お姉ちゃん達がそれをしないっていうか、出来ないのも、うーん、いろんな経験とか、辛い思いが重なってきた今までがあってのことだから」

 ルーイが一生懸命に言葉を選びながら伝えてくれる。この子は幼いけれど語彙はそんなに少なくない。だから今こうして言葉を選んでいるのは、むしろ、私にも分かるように易しい表現を選んでくれている気がした。うーん、私の方が幼いかも。

「ぜーんぶまとめて、難儀だなぁって思うよ」

「そっかぁ」

 末っ子には何やら俯瞰された全容が見えているらしい。私は今の彼女が見ているものの半分も理解できている気がしない。そもそもの前提に異議を唱えてしまったし、ナディアとリコットのことも、ルーイほどの深さで分かってあげられているなんて烏滸おこがましいよな。

「そういう意味で一番、アキラちゃんの弱点になるのはラターシャだと思うんだけどなぁ。せっかく捻くれてないのに、あんなに恥ずかしがり屋だとなぁ……」

「え、なに、私?」

 洗面所から出てきたラターシャが、目を瞬く。あらあら。いいタイミングというか、悪いタイミングというか。

「賢いルーイから、女心を教えてもらっていました」

「えぇ……?」

 更に混乱した顔をするラターシャに、私達はちょっと気が抜けて笑い合った。

 カンナもほぼ同タイミングで出て来ていたが、素知らぬ顔で手伝いを始めている。分からないから加わるのを避けたようにも見えるし、色々と察しているからこそ、控えたようにも見えた。

 女の子って、みんな深いねぇ。とりあえず私の頭の中ではそんな帰結でこの話は終わっていた。

「――あれ?」

 調理を進めていると、寝室の扉が開く音に続いて、ラターシャが不思議そうな声を上げる。手元に集中していた私とルーイも、同時に振り返った。

 すると、寝室から出てきていたのは、ナディアだった。あら? 普段なら必ずリコットが先に起きてくるのに。

 しかし首を傾けた私の横で、ルーイは一拍置いて「あー」と何だか察した声になり、カンナも目を瞬いたのは最初だけで、「おはようございます」といつもの朝の挨拶をナディアに向けていた。

「リコは?」

「……責任を持って自分で様子を見たら」

「えっ、私のせいってこと!?」

 またですか!? ……って言いたいのは、私より女の子達の方だと思う。

「ちょ、ちょっとカンナ、鍋を見てて」

「はい」

 慌てて手を洗い、火にかけたままの鍋をカンナに任せて寝室へ走る。何したっけ~~~朝起こしちゃったことかな。寝てるリコットを無理に引き離して置いてきたからかな~~~。

 とはいえ、大きな音で押し入ったら驚かせるかもしれない。寝室の扉前までは猛ダッシュしたものの、一度そこで急停止し、そっと扉を開けて、静かに入室した。

 そろりそろりと、リコットの丸い背を目指して奥に入る。

「リコ……? どうしたの、ごめんね、何かしちゃったかな。それとも具合が」

 静かな声で呼び掛ければ、リコットが身じろぐ。ごろりと仰向けになって、目を擦っていた。まだ眠いのかな。

 しかし予想と反し、私を見上げた彼女の表情に不機嫌さは無く、両腕を私の方に伸ばしてきた。求められるまま身を寄せたら、腕が首に絡みついてくる。

「おはよ」

 寝惚けたままの声は少し幼くて、愛おしさが湧き上がった。

「うん、おはよう、リコ」

「起こしてー」

「はいはい」

 リコットの身体に腕を回し、引き上げてやった。ベッドに座って、リコットを膝に乗せる。

「甘えん坊?」

「んー」

 座った状態になってもリコットの腕は私を離さない。むしろ腕の力は強まって、ぐりぐりと擦り寄ってくる。

「どうしたの? 眠い?」

「ううん。待ってたらアキラちゃんが来ると思って」

 そう言ったリコットが首元でくすくすと笑う。えーと。え?

 困惑している間に、また少し目を擦ったリコットが、私の頬にキスを落とした。

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