第775話

 首を捻ったり天井を見上げたりと奇怪な行動を繰り返したのち、居住まいを正す。ナディアとリコットが警戒するような顔で私を窺っている。別に爆ぜたりはしないんだが。

「カンナは知ってる? 写真機」

「存在は、認識しております。ナディアの言う通り、ローランベルで開発された特別な品で、発表のあった当時は貴族の間でも随分と話題となっておりました」

 知っていたのに口を挟んでこなかった理由は何となく分かる。今の『存在は』という言葉からも察せるというものだ。

「ですが、道具の実物を見たと言う話は聞きません。写真の方は、何点か私も拝見したことがございますが」

 やっぱり、そうだよね。カンナも写真機自体は見たことが無く、情報も持っていないのだ。

 その道具が発表された当初は、目の前の像がそのまま紙に出力されるという技術に、貴族も多くの者が驚嘆した。しかも現像の時間を含め、依頼から二、三日で仕上がる。絵を依頼した場合はそうはいかない。ただ、画素数の低さ……つまり、画像の粗さが気になった者も同じほど多かったと言う。

「あの粗さでは、『肖像画の代わりに』と願う者は貴族にはまだ居ないでしょう。いくら新しい技術と言っても、少々安価ですし、時間と費用を渋ったような印象が強くなります」

「なるほどなぁ」

 貴族なら、腕のいい画家にしっかりとお金を払って描いてもらった美しい絵を好むんだろう。……ちょっと美化もしてもらえるだろうし。

 私の世界にあったように鮮やかで美しく、時には美肌補正まで出来ようものなら、安価であっても話は違ったんだろうけどね。

 そして貴族の間でも写真機自体の形や大きさについては未だ情報が錯綜していて、実際のことは分からないそうだ。どうやらまだローランベルからは出されていないみたい。だから写真を求める者はローランベルに行く必要がある。……それを狙って、『ローランベルでしか撮影できない』としているのかもな。

 何にせよ、直接赴けるほど身軽な貴族も少ないことから、カンナを含むどの貴族も、人伝に聞いた内容が色々と混ざって、曖昧な情報しか持っていないとのことだった。

「ん~~~」

「あはは。不満そうな顔してる」

 リコットが笑った。私がこれでもかってくらい口をへの字にしたせいだ。

「欲しかったんだけどなぁ。写真機。ちょっと難しそうか」

 流石にこの件で自分の公爵位や、王様の立場を利用するほどの暴挙をする気にはならない。

 また、他の貴族らが現段階でも意のままに出来ていないのであれば、そこまでしたところで手に入る可能性も低い気がする。ローランベルという街を脅かした暴君と思われるオチがいいとこだ。

「なぜ欲しかったの? あなたにとっては、その……恋しいものなのかしら」

 少し気遣わしげにナディアが問い掛けてくる。その優しさが嬉しくて、思わず目尻が下がった。

「いやぁ、どうだろう」

 写真機という道具そのものに、恋しさはない。

「単に、みんなを可愛いなと思った時に、その様を残しておきたくなって」

 最初はただそれだけだ。この瞬間を写真に残したいなぁ、この世界にカメラは無いのかなぁって考えたことが、何度もあるから。

「そう思うのは、自分の世界を生きて根付いた感覚だけど」

 ずっと身近にあったから、単純にそう考える。ただ、この世界で扱える写真の技術では、少しもこの子達の愛らしさなど残せない。

「自分でも改造できないかって考えるのも、楽しいだろうとも思う」

 魔法技術が関わっているなら、私の規格外な魔力でゴリ押しできるかもしれないし。可能性がなくはないよね。

 こうして、いつもよりずっとのんびりなペースで話す私の言葉を、三人は黙って聞いている。

 相槌を入れたり感想を述べたり、話を区切ったりするタイミングは幾らでもあるのに。私をじっと見つめて、続きを待っている。

 私が心の内を少しでも話すのを、待っている。

「……今此処に、思い出の写真が残っていないから」

 召喚時に持ってきてしまったスマートフォンには、いくらかの写真はある。充電はとうに切れているものの、雷魔法の応用で電圧や電流を整えて流してやれば、多分、起動できる。ただ、大半の写真はクラウドや家の機器にバックアップしてあって、スマホ自体には残していない。違う世界に飛ばされた時点で、全て失ってしまった。

 それに。充電し直したスマートフォンを使えば、今でも鮮やかな写真が撮れるだろう。けれどクラウドもバックアップ機器も無い今、容量は限られている。撮って、撮って、いっぱいになった時に。先に入っていた元の世界の写真を一枚だって消せるだろうか。

 こっちの世界で愛しいと思って撮ったみんなの写真を、一枚でも諦められるだろうか。

 考えるほど、妙に悲しくて。結局、スマートフォンを鞄から取り出せていない。

 私は肩を竦めた。リコットとナディアが目を細める。こういう仕草が、心を見せる時の照れ隠しの癖だと気付いているから、一層よく見つめようとしている。うーん、また、逆効果だったな。

「多分、また失って恋しく思うのが怖いんだ」

 自分の記憶の中だけで鮮明な誰かは、堪らなく苦しくて、もう嫌だ。だから写真があるならそれを使って、みんなとの思い出を掻き集めておきたい。……そんなことをしたって、失う日にはどうせ苦しむくせに。

 いつかみんなが自分の傍を離れ、羽ばたき、居なくなってしまうとして。それが彼女らの幸せなら見送るけれど。今の私は、元の世界に居た私よりもずっと、惜しむ思いが強いのだと思う。

「つまり写真機が手に入ったとしても、少しも和らぐ思いじゃない。無茶するほどの理由じゃないよ」

 私は手元のグラスを傾けて、カンナの方に置いた。おかわりをくれ。

 何も言わなくてもカンナは察してくれて、もう一杯、作ってくれた。しれっと水割りにされたのも見えていたが、「濃い目」と言えば、変に薄めようとはしなかった。

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