第717話

「何かお飲みになりますか?」

 部屋に到着して私の上着を預かってくれたトリシアが、それを丁寧に掛けてくれながら問い掛けてくる。

「そうだね、一杯もらおうかな。トリシアが普段から飲んでるものがいいな」

 こんな注文をされるとは思っていなかったのか、トリシアはちょっと目を丸めてから、くすぐったそうに笑った。

「そうなると白ワインになりますが、宜しいんですか?」

「勿論。ジオレンの白ワインってだけで、特上のお酒だよね」

 尚も笑うトリシアに、一緒に飲もうと誘って一杯ずつ入れてもらう。当然のようにこれは有料です。飲んだ分だけ後払い。構わん。一番高い白ワインを入れたまえ。

「少し前まで、冒険者の方々が多くいらしていたので空きが少なかったのですが、よい時期いらっしゃいました」

「あー。唐突に彼らが来なくなったから、今はちょっと暇かぁ」

 率直な私の言葉に、トリシアは眉を下げて笑っている。

 おそらくレッドオラムからの流入が激しかった頃にはかなり混雑していた為、それを避けた地元民の足が遠ざかっている。少し前、唐突に冒険者が減ったものの、まだ地元の客足が戻っていなくて、つまり今は以前よりも逆に減ってしまっている隙間の時期なんだろう。

 店としては暇だと悲しいだろうが、私は門前払いを受けずに済んだので大変良かった。

「君が空いてたことも、私には幸運なことだったね」

「勿体ない御言葉です。ですが私はあまり予定の埋まるような女ではございません。いつでも歓迎いたします」

「えー?」

 心から意外な思いで声を返したのだけど、彼女の言葉には本当のタグが伸びた。何で?

「見る目の無い客が多いんだな。私は君の、柔らかい物腰と優しい笑顔が好きだよ」

「……褒め上手ですね」

「えぇ~本心なのに。照れ方も可愛いね」

 頬を染めて俯いた様子が可愛かったのでそう言えば、トリシアは一層恥ずかしそうに笑って、意味も無く髪を整えて赤い顔を隠そうとしていた。

 こういう掛け合いで照れてくれる娼婦は貴重だな。これで人気ないの?

 確かにめちゃくちゃ目立つ容姿ではないし、細身だからグラマラスでもないけれど、だからって……あ、そっか。もしかしたら『控え目だから』かな?

 酒場で知り合った時も、営業している他の女の子達にやや負けている様子が気になって私から声を掛けたのだ。結局、別の場所で営業していた同じ店の子とセットで買われていたので私は買えなかった。何にせよ積極的な営業ができない子は、余程目立つ容姿でもなければ娼婦としては不利なのかもしれないな。

「まあいっか。今夜、君が空いてて幸いだったってことで」

 あんまり照れさせ続けたら話も儘ならないもんね。私が話を区切ったらトリシアはちょっとホッとした顔をしていた。

「さて。白ワインごちそうさま。早速お願いしてもいいかな?」

「はい」

 そういう場なんだから当たり前だが、普段、女性をベッドに誘う際にはもうちょっと言葉を選ぶべきだよな……いや、私は大体こんなものだったかも。

 当然トリシアが誘い方を咎める様子は無く、二人でベッドに向かう。ベッド脇で彼女が薄手の上着を脱ぎ落とす瞬間が、扇情的でとても良かった。

 つい手が伸びて、彼女がベッドに上がるのを待たずに引き込む。私の方は、彼女を組み敷いてから服を脱いだ。

「……皺になりませんか?」

「いいよ、帰りは、新しいの着るから」

 私が適当に放る服を心配そうに見つめるトリシアの丁寧な気遣いには少し笑った。けどもうセックスの気分なので服のことはいいです。

 流石は娼婦、脱がしやすい服だ。でも薄い布なので一旦はそのまま身体を触った。同時に、トリシアの頬に幾つかキスを落とした。トリシアはちょっと照れ臭そうに笑っている。こんな戯れを、身体を売る時に求められるのは常ではないんだろうな。

 しかし私とてナンパを面倒臭がって、女性を抱く為だけに店に来ている。ありていに言えば『愛する』つもりじゃなくて『抱く』つもりってわけ。他の客と、何ら大差ない。

 会話少なく性急に求め、最低ラインの二時間はすぐに過ぎていった。

 気が済むまで抱くつもりだったので、トリシアが何度果てたかなんて数えてはいなくて、まだまだ終わらせる気も無かった。ただ。無理を強いたいとも、思っていない。

「……まだ大丈夫?」

 私の問いに、少し揺れる瞳で私を見上げたトリシアはふっと表情を緩めて小さく頷いた。

 言葉で答えてくれたら、嘘かどうか分かったんだけど。いや、むしろ都合が良かったかもしれない。嘘が出てしまったら気が削がれて、足りなくても私は行為を止めてしまうだろう。仕事としての嘘なら、見えない方がきっといい。

「トリシア」

 行為を再開する中で静かに呼ぶ私に、「はい」と答えるトリシアの声は掠れていた。

「痕を付けてもいい?」

「は……」

 返事が途中で途切れた。彼女は反射的に頷きそうになっていたものの、言われたことを反芻して、目を丸めている。

「酷い怪我をさせる気は無いし、痛め付けたい思いも無い。それに勿論、お仕事として都合が悪いことも知ってる。だからタダでとは言わない」

 少し上体を起こし、彼女に見えるように金貨を二枚取り出す。トリシアはぎょっとしている。当然だ。こんな大金、彼女は何度、客に身体を捧げれば稼げるのだろうか。此処は高級娼館じゃないから一晩買っても大銀貨で足りる。しかも店がマージンを取るんだから客が払ったそのままが娼婦の懐に入ることは無い。

 だけど私は、娼館に支払うものとは別に、彼女個人にこれをあげると言っているのだ。金貨二枚を、彼女の胸の上に置いた。

「了承してくれるならそのまま収納空間に入れちゃって。簡単にお店を休めないとか、他にも都合の悪い理由があるなら、諦めるよ」

 胸の上のそれを放置し、私は再び行為を進める。トリシアは小さく喉を鳴らした。そして一拍後。金貨を収納空間へと取り込んだ。

「ありがとう」

 私はそう言って、トリシアの胸に軽く噛み付いた。トリシアは身体を少し強張らせたが、流石に噛み付いて痕を付けると痛すぎるし、そこまではしない。一度歯を離して、同じ場所にキスマークを一つ。トリシアは静かに息を吐いていた。

「この程度の痛みだけ。これ以上、酷いことはしないからね」

 慰めるように一度トリシアを抱き締める。トリシアは私の腕の中で小さく「はい」と応えた。さっきより、ずっと弱い声だった。

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