第715話_白い夢
「さておき。カンナ、疑問は晴れたかな」
「はい。ありがとうございました」
突発の魔法陣講座も、これで終了かな。解散を告げたら、女の子達は礼儀正しくそれぞれ私にお礼を伝えて部屋を出て行った。いい子達である。
何にせよ、こういうこともみんながやりたいと思うなら、発動しないままの大きめの魔法陣を幾つか持っておいた方が良さそうだ。
そう思った私は工作部屋に留まり、黙々と魔法陣を量産した。そのせいで夜更かしをして、みんながすっかり寝静まってから一人、床に入る。
そんなことが原因だったのかは、全く分からない。理由など無かったのかもしれない。その夜、私は白い夢を見た。
魔法の反動で寝込んだ時に何度か見た、不思議な夢。
だけど今まで見たものとは違っていた。ただの影だったものは鮮明となり、知らない人々が、目の前を行き交っている。
此処は何処だろう。元の世界の、何処かの街の片隅みたいな場所。人々は私に見向きもしないで、忙しなく通り過ぎていく。私はただそれを眺めている。
そうやってしばらく、見覚えのない顔ばかりを見送っていた中、誰かが息を呑む声がした。
「アキラちゃん!」
最初はただ大きな声に反応して、びくりと身体が震えた。その次に、音が自分の名前であったことを認識して改めて驚き、振り返る。
「……桃花ちゃん?」
駆け寄ってきたその姿は間違いなく、私が良く知る女の子だった。元の世界でずっと仲良くしてくれていた子だ。彼女は走った勢いのまま、私に抱き付いた。衝撃も温もりもあまりにリアルで、泣き出しそうになった。喉が震えて。
互いの体温がいつもみたいに馴染んだところで、顔が見たくなって腕を緩める。桃花ちゃんは身じろいで、私が求めるより先に顔を上げてくれた。目が潤んでいて、胸の奥が締め付けられる。
「アキラちゃん、今は何処に居るの? どうして急に居なくなっちゃったの?」
これは本当に夢なのだろうか。
いや、夢なんだろう。元の世界がどうなっているかとか、心配をさせているかもしれないとか、憂えている私にとってはこんな風に、面と向かって説明できる機会は喉から手が出るほど欲しいものだ。
私は包み隠さず説明した。
元の世界じゃ、実際にこんなことを説明すれば頭のおかしな奴だと思われるだろうから、きっと言えない。それでも桃花ちゃんは、驚いた顔をしながらも信じてくれた。私にとって都合の良いだけの、ただの夢だから。
「もう、戻れない」
私の声は震えていた。戻れない。本当の桃花ちゃんを抱き締め、こうして事情を打ち明けることも叶わない。桃花ちゃんは私に寄り添いながら、悲しそうに眉を下げる。だけど一度俯いた彼女は、次に顔を上げる時、ちょっと悪戯っぽい顔で笑っていた。
「アキラちゃんのことだから、どうせそっちでも女の子がいっぱい居るんでしょ?」
思わず笑ってしまう。「否定はしないけど」と返した私に、桃花ちゃんもくすくすと笑った。
「でも、桃の代わりは居ないよ」
笑みを浮かべようとしても上手くいかなかった。桃花ちゃんも、笑みを消して沈黙した。
「何処にも、桃が居なくて、もう、会えない」
桃花ちゃんは同級生だ。私達が中学一年の時に同じクラスになって、仲良くなって、それからずっとの縁。
違う高校や大学に行っても、社会人になっても、長く連絡が途絶えたことは一度もない。ずっと傍に居てくれた人だった。……だから私が此方の世界に飛ばされてしまった時に初めて、途絶えた。きっとすごく驚かせ、心配させていることだろう。
「ごめんね」
私の言葉に、桃花ちゃんが少し笑う。
「アキラちゃんが悪いわけじゃないよ」
それは本当にそうなんだけど。他の言葉が出てこない。桃花ちゃんが私を抱き直して、慰めるみたいに背中を撫でてくれた。
「さよならかもしれないけど。ずっと大好きだよ、アキラちゃん」
「……私も大好きだよ」
「離れても、ずっと覚えてる、ずっと想ってるから」
「私も忘れないよ、想ってるよ」
この夢の終わりがいつで、どんな風だったのか、よく分からない。
長く抱き合っていたようにも思うし、ほんの短い時間だった気もする。温もりを逃したくないと必死に掻き抱いても所詮は夢の出来事で。目を開ければ太陽の光がカーテンの隙間から入り込んで、ウェンカイン王国の朝を告げていた。
腕には当然、何も残っていない。抱いていた感触さえ朧気で、胸の奥から湧き上がる強烈な寂しさに、しばし呼吸を止めた。
「――なんか、元気ない?」
朝食の席で、リコットが尋ねてきた。そんな、あからさまにしょんぼりしていたつもりはないんだけどな。少し口数が少なかったかも、と思うくらいで。私の女の子達はいつも鋭くって、優しいね。
「夢見が悪かったからかな。……寝る直前まで細かい作業なんて、するもんじゃないねぇ」
「あはは」
昨夜、なかなか眠ろうとしない私に何度もナディアとリコットが声を掛けてくれていたから、余計に笑われてしまった。
「二度寝する? 添い寝したげよっか?」
「うーん、嬉しいお誘いだけど、やめておくよ。もう夢を見たくない」
私の言葉にみんなはちょっと心配そうな顔をした。
分かりやすい理由だと思ったからこう言ったんだけど、良くなかったみたい。心優しい子達を気遣うのは難しい。何処で胸を痛めてしまうのかが、悪党だからぴんと来ないんだ。
眠ってまた桃花ちゃんに会えるなら、何度だって眠りたい。だけど目覚める度に腕の中に居ないことを確かめて悲しむのはあまりにも辛くて、もう嫌だ。
会いたいと思うのに何度も失うのは怖くて、複雑だった。
それに。折角リコットが添い寝してくれるなら、他の子のことで頭がいっぱいである今じゃない方が良いよ。とか。色々考えはするものの一つも言葉には出来なくって、みんなからの視線を曖昧な笑みで受け止める。ちょっとだけ呆れた顔もされた気がしますが。まあ、それ以上は問われなかったので良しとしよう。
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