第698話_我儘
この説明看板には、救世主が魔王と戦ったと思われる『地域』の『その後』について記載されている。
決戦地は、どの代も例外なく、しばらく人が立ち入ることが出来なくなるらしい。魔族との戦いでも似た状況になることがあるとか。
つまり瘴気の濃度が問題だ。本来、魔物を倒せば魔物の身体は霧状になって、後には何も残らない。その『霧状』になる成分内に『瘴気』と呼ばれている毒素が含まれている、とのこと。
一般的な魔物の瘴気なら、余程、大量かつ一気に吸い込みでもしない限りは人体に影響は無い。かなり弱っている怪我人や病人になら障ることがあるけれど、その程度だ。私が以前、大きな魔物被害を受けた村で浄化作用のある結界を張って、怪我人らを瘴気から遠ざけるように指示したのもそのせい。
しかし魔族や魔王のものは、段違いの濃度であり、しばらくは周辺の土壌や水も侵してしまって、草木も生えなくなるという。それを多く取り込んでしまうと、健康な人体でも影響が出る。機能障害や、最悪は死ぬようなことも。魔王になると更に広範囲に影響が出るだけではなく、完全にその影響が消え去るまでは百年近くが掛かるとか。
前にも読んだものだ。一言一句、私は忘れることなく覚えている。その内容を上から下まで、同じ内容なのを分かっていても読み直して、そのまま少し俯いた。
「……カンナ」
「はい」
用は無かった。傍に控えていることを確認しただけ。一度だけ頷いて、ゆっくりと振り返る。リコットも、離れることなく傍に居てくれていた。
「何でもない。帰ろうか」
「もういいの?」
「うん」
リコットは不思議そうな顔で問い掛け、一度、私が読んでいた看板を振り返ったけど。私が歩き始めたら、慌てて付いてくる。行きは迷いなく歩いたのに。帰りは、寄り道するかをどうか考えて歩調を緩めるなどして、後ろの二人を戸惑わせながら歩いた。結局は寄り道せず帰宅する。短いお出掛けだった。帰りが早すぎてお留守番の子らが目を丸めたほどにね。
私は帰宅後すぐ、工作部屋に入る。カンナにはお茶をお願いした。
「お持ち致しました」
「うん。部屋、閉めてくれる?」
「はい」
カンナは私の命令に淀みなく応じると丁寧に部屋の扉を閉ざし、改めて私の傍に来て、お茶とお茶請けを並べてくれる。
「ちょっとそのまま、そこに居て」
「はい」
普段であればすぐに下がらせるが、カンナを留めた。彼女はこの命令にも戸惑う様子無く従い、トレーを持ったままで脇に控えている。
温かいお茶を飲んで、小さく息を吐き出す。一度、ティーカップをソーサ―に戻した。動きに応じて揺れているお茶の水面を、ただ見つめた。
「カンナ」
「はい」
何度呼んでも、いつ呼んでも、カンナは必ず同じ調子で応えてくれる。
「……ずっと一緒に居て」
お茶を見つめたままで言った。多分ちょっとカンナは驚いたんだと思う。だけど戸惑いも一拍だけで、すぐに「はい」と応えた。
「私を、一人にしないで」
ただの懇願だった。他の誰にも言えない、『私のもの』だと宣言してくれた私の侍女だから言える、小さな子供みたいな我儘だ。
「私はいつでもアキラ様のお傍に居ります」
以前、クラウディアのせいで飲み込んだのはこの言い回しだと思う。改めて言葉にしてくれたそれに、ゆっくりと頷いた。それから目頭を押さえて、短く俯く。泣き出しそうだった。
「――今夜、王様に会いに行く。みんなにも伝えて。私は今から約束を取り付ける」
「畏まりました」
私の声はちょっと掠れて揺れていた。でもカンナは私からの命令を優先し、その場に留まることなく頭を下げて部屋を出て行った。
その夜。私は宣言通りカンナを連れて王城を訪ねた。突然のことでも王様が私からの要求を拒むはずもない。
「こんばんは。度々、唐突でごめんね」
「とんでもございません」
しかし以前こうして夜に突然押し掛けた時は、モニカの件を暴いて圧力を掛けた。そんな前例のせいか、部屋の中は妙にピリピリしていた。面子はいつも通りだが、クラウディアの姿は無い。カンナは前回同様、ソファの後ろに立たせておく。
「お願いしたものは用意できた?」
「はい」
大きなテーブルの上に幾つもの紙の束が広げられた。事前に告げてあったからだろう、今夜のローテーブルは、それらが並べられるだけ充分に大きい。
中央にはこの国の地図。その中には先日私がやっていたように、マディスからの侵入者らが張った魔法陣の位置が記載されていた。私の知らない印は、王宮側で処理したものだと思う。そして周りに広げられた紙の束には、魔法陣の模様が全て記録されている。
「私の方で個人的に処理した魔法陣の写しは、これね。位置は、此処と……」
ガロが見付けてきた魔法陣の詳細な位置は知らないんだけど。地図自体の縮尺が小さいから少しのずれはあんまり関係ない。私の伝えた通りの位置に、従者さんが丁寧に印を付けてくれる。
「この地図の話をする為の、前提の話になるんだけど」
諸々の準備が揃ったところで話し始めるが。ひと呼吸を置きたかったので淹れてもらったお茶を傾ける。みんなの緊張を引き延ばすという意地悪ではない。
「少し前、ひょんなことでエルフの里と接触した」
「……以前に、連絡が取りたいと仰っていましたね」
よく覚えているね。私は肩を竦めて頷く。あの時はラターシャの件で脅しを掛けるか報復したいと思っていたんだけど、方法が分からずに諦めていた。結果的にはちょっと脅しを掛けたことになるが、何にせよあれとは関係のない接触だ。まあ、王様達はどちらの事情も知る必要は無い。
「私のタグで入り口を見付けてね、接触できたんだ。里の
嘘ではない。ヒルトラウトは私のことを『在り方が違う』と言っていた。知恵を与えられた今、それがどういうことなのかも大体把握しているが……その辺りも今は関係が無いから説明はしない。
「別に仲良くする為じゃなくてちょっと知恵を拝借したくて頼っただけ。今も繋がりがあるわけじゃないから、その辺りは期待しないでね」
王様に限ってエルフに対する好奇心でそんなことを求めてくるとは思えないのだけど、これから話すことを考えれば、求められる可能性も大いにあるので前置きしておく。
「じゃあ、本題。……マディスらが敷いている魔法陣の中に、『エルフ固有の模様』が混ぜられてる」
部屋に居る者が一斉に息を呑み、テーブルの上に並ぶ魔法陣を食い入るように見つめた。
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