第697話

「それにしても」

 軽く寝室の扉を振り返ってから、ラターシャが静かに声を出す。

「カンナ、後半は何かを話そうとしてくれたのか、眠くて混乱してたのかどっちだろうね」

「両方ありそうだねー。何か話がぐるってしてた気がする」

 最後はそのせいもあってラターシャが質問をしている。カンナの電池切れにより、答えも得られなかった。

「どうかしら。カンナのことだから多少の眠気でそこまで混乱しない気がするわ。話す順序を間違えたとかはあるかもしれないけれど。単に途中だったのでしょう」

 ナディアの予想に、みんなも軽く頷いている。貴族令嬢というものをよく知らなくとも、侍女というものをよく知らなくとも。少なくとも彼女らの知るカンナは「そういう人だ」と思ったからだ。

「次の機会を得るのは難しいけれど……無理に問い質すことでもないわね。少なくともカンナにとって今のアキラは、『救世主』であるよりも、『アキラ』のようだから」

「そうだね」

 カンナは、本人たっての希望で休暇が無い。その為アキラ抜きでカンナと話せる機会を狙って得るのは難しいのだ。もし内容が緊急性と重要性の高いものであれば、カンナだけを上手く連れ出して誰かが代表で話すなど、対策が取れなくもないだろうが。そこまでする必要は無い、という判断だった。

 話がひと区切りしたところで、ふと、ルーイが寝室の扉へ目をやった。

 カンナが魔力切れを起こしたことが、唐突に疑問に思えたからだ。アキラ以外の者にとって、高位の生活魔法とは一度使うだけでも魔力を枯渇させるくらいに大変な魔法だ。その点は理解できる。だが、カンナはアキラから、『魔力残量が一割を切ったら蓄積した魔力を持ち主に返す』という魔道具を与えられていなかっただろうか。

 返される速度があまり早くなく、その魔道具が作動しているにも関わらず不調は出てしまったのか。または有事に備えて魔道具の魔力を残したいと思って今回は外していたのか。それとも――あの魔道具を使っていたから、防音魔法という高位な魔法が使えるようになったのか。

 カンナが先程そのブレスレットを身に着けていたかどうかが分かれば、絞れそうなのだけど。いやそもそも、カンナ本人に聞いてしまえば確実な話だ。

 そう思ったものの、敢えて解き明かすほどのことでもないような気がして、ルーイはその疑問を飲み込み、口に出すこともしなかった。


* * *


 翌朝。

 女の子達が私をさり気なく窺っているような気がした。口止めをしなかったので、カンナからミシェルのことは伝わったかもしれないなと思う。あんまり悲しい思いをさせたくはないが、「ミシェルって誰よ」と気にされても困るからな。まあいいか。

「うーん。イライラするかもォ!」

「え」

 朝食を食べ終わって、カンナのお茶を飲みながら私が唐突に叫ぶと、みんなの目が点になった。反応と顔が可愛いからちょっと心は和んだ。

「珍しいね、どうかしたの?」

「うーん」

 優しいリコットの問い掛けにも唸り声を返すだけで、ソファの背に身体を預け、お行儀悪く姿勢を崩して天井を見上げた。

「大聖堂に行こうかな」

「えぇ?」

「カンナ~着替え~」

「はい」

 愚図るみたいな私の声が可笑しいのか、心配な顔をしつつもリコットとラターシャが苦笑いで私を覗き込む。カンナは相変わらず模範的な侍女様としてテキパキ働いています。

「ご用意が出来ました。どちらでお召し替えを」

「此処で!」

「駄目だよ向こう行って!」

「いやだ知らん!!」

 ラターシャに即座に怒られたけど拒絶して私は上着を放り投げ、シャツに手を掛ける。ルーイとリコットが声を上げて笑った。

「今日のアキラちゃんは駄々っ子だなぁ。ラターシャ、諦めてあっち向いてなって」

「もぉ~」

 不満たっぷりな声でラターシャが私に背を向ける。和やかな雰囲気の中、私はいつになく乱暴に服を脱いだ。

「せめて服を投げるのは止めなさいよ。カンナが可哀相でしょう……」

「問題ありません」

 私が次から次へと投げる服を、淡々と拾っているカンナが居る。しかもそれでも淀みなく私に着替えを渡してくれるので、すごい侍女様だ。こんな時の為に培った能力ではないだろうけどね。

 着替えによって少し乱れた髪も、最後にカンナが丁寧に結い直してくれた。お召し替え完了。

「行ってきます!」

「道端で脱がないように見張っておくからね~」

「騒ぎは起こさないでね」

「気を付ける!」

 当然のように傍に付いてくれているカンナ。それから今日の見張り役はリコットが来てくれた。私が急に脱いだせいかラターシャはあんまり私と目を合わせたくないんだって。悲しいね。可愛いけど。

 とにかく出発だ。先頭に立ち、ずんずんと大通りを進む。今のアパートは大聖堂と近いからすぐに到着できる。

 前の通りや周辺は賑わっていたものの、大聖堂の中に入れば騒がしさは無い。静まり返っているわけじゃないのに、会話に盛り上がるような人が居ないせいだろうか。はっきりと響くのは中央に居る司祭の語りくらいだ。

 私は祭壇に向かい、以前よりも少し長く祈りを捧げた。

 終えると再び歩き出し、迷いなく真っ直ぐに、ある説明看板の前に進む。小さくリコットが「前にも」と呟いた。誰かに語り掛けるような声量じゃなかったから聞き流した。

 何故そう呟いたのかは分かっていた。初めて此処へ来た時にも私はこの場所で長らく立ち止まり、リコット達が傍に居たのも気付かずにぼんやりしていた。リコットはそれを覚えているから、私がこの説明看板に何かしらの興味、または拘りを抱いていることに気付いたんだと思う。

 看板を見上げる。カンナとリコットは私の邪魔にならないように、一歩後ろで立ち止まっていた。

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