第696話

 ただし召喚直後はアキラにとって城に対する憤りが最も強かっただろう瞬間だ。それを咎める気にもなれない。脅すだけで誰一人として殺めず、傷付けもしなかったのだから、アキラは我慢をした方だろう。

 ……とは言え、『怪我人は無かった』というのはカンナが知る限りの王宮内の報せであり、隠蔽されている可能性もゼロではないが。

「その圧倒的な力を全身に感じた後で、アキラ様のお姿を拝見いたしました」

 カンナが他の侍女らと共に移動していたのはその騒動の後始末の為。つまりまだ恐怖と動揺が心身に残ったままの状態で、アキラと遭遇した。

「全身から漂うあの魔力の気配が、美しいお姿を際立たせるようで。味わったことの無い存在感を目の前に致しました。思わず惚けて見つめてしまった私はおそらく、ただ感覚が鈍かったのです。他の者らは本能による反射のように、素早く頭を下げておりました」

 端的に言えば、恐ろしかったのだ。魔力によって押さえ付けられ、城を揺らされた直後にその張本人が目の前に居ることを、魔力感知で知ってしまったのだから。

「魔力の高い相手には、人は本能的に『魅力』を感じる傾向があるのだそうです。『比較的』というだけであって、それだけで心を奪われると決まっているものでは、ないのですが」

 不意に入り込んだ知識に、リコットがナディアを振り返る。ナディアは視線を受けて首を振った。知らないらしい。女の子達は誰も知らぬ知識だった。おそらく、高い魔法教育を受ける貴族らの中で伝わる話なのだろう。カンナは小さく頷いて、先を続ける。

「しかしアキラ様ほどの魔力量の場合、そのような生易しい影響ではありません。『畏怖』が近いのでしょう。……あまり大きな声では申し上げられませんが、国王陛下含め、どの王族の方に抱くそれとも比べ物にならぬほどの、畏怖です」

 救世主と比較してしまえば、例え王族を落とす言い方をしてもこの国では咎められはしないだろうが、それでも流石に、堂々と声高に言いたい表現ではない。そして貴族として生まれ落ちた者は平民よりもずっと、王家に対する畏怖の感情は強いだろう。その彼女が、『比べ物にならない』と断言した。

 召喚直後のアキラは、おそらく魔力制御も曖昧だった為、特に影響が強かったとも思われる。

 だから二度目以降に会ったアキラに対しては、もっと冷静な思いで対面することが出来たともカンナは補足した。

「確かに出会った頃からあの人は妙に……そうね、存在感があったわね」

 ナディアの言葉に、他の子らも同意するように何度か頷く。ナディアにとってアキラとの初対面はカフェだ。唐突に人族からナンパをされて驚いた印象も強かったけれど、それよりも前。二人が店へと入ってきた瞬間、連れているラターシャと共に見目の良さもあって、やけに目立つ二人組が来たとは思っていた。

 リコットやルーイという、娼館内でも特に美しい容姿を持っていた二人を見慣れているナディアも一瞬驚いたのだ。アキラとラターシャは確かに美しいが、妹達と比べて『圧倒的』とは思っていない。しかしそれでも目を惹いた。それは、無意識下で感じていたその巨大な魔力によるものだったのかもしれない。

 召喚後しばらくは王都に留まっていたアキラだから、ラターシャやナディア達と出会う頃にはもう幾らか魔力も抑えているはずだ。それでももし影響しているのだとしたら、『畏怖』ほどではなくとも『妙な存在感』くらいの影響は、おそらくは今も誰に対しても与えてしまっている。

 それが、救世主という存在なのだろう。

「でも、王宮でアキラちゃんに無礼をした人って居たんじゃなかったっけ?」

「元より感知が鈍い方や、察しの悪い方。もしくは何かしらの興奮状態にあって、感知が働いていない場合では、意味はございません」

 鈍い者というのは、どの場面でも鈍い。アキラと敵対しておきながら怯えない者は一様に、そもそもの危機管理能力が低いのだろう。

 また救世主召喚の儀の直後は、『興奮状態だった』が当てはまる。アキラがまだ状況把握の為にやや大人しかったこともあり、召喚に成功した興奮によってアキラに気を配らない者も多かった。アキラをしばらく魔法陣の床の上に放置していたのがいい例だ。

「そんなに怖い思いっていうか、畏怖を感じたのに、今のカンナはアキラちゃんを救世主様と思ってるわけじゃない、の?」

 救世主の魔力によって影響を受けた話が続いているが、結論は違う方向へ行くはずだ。先程、二度目以降はもっと冷静に対面できたとも言っていたけれど、それだけで影響が抜けるものなのだろうか。少し混乱してしまってラターシャが首を傾ければ、カンナは何かを答えようと唇を動かした後、一度それを閉ざして沈黙する。次に口を開いたのは、五秒ほど経ってからのことだった。

「申し訳ございません。……あの」

「あれ? もしかしてカンナ眠い?」

「え」

 リコットの言葉に全員がカンナの顔を凝視する。カンナはみんなの視線から逃れるように目を閉じた。

「防音、魔法が……」

「魔力切れか! いやもういいから、無理しないで寝て!」

 少し頼りないカンナの声に、みんなが息を呑む。こんなカンナの声は聞いたことが無かった。つまり王宮書庫で徹夜した時以上に、今のカンナは疲弊している。

 アキラのような規格外を見ていると感覚が分からなくなるが、防音魔法は生活魔法とは言え、かなり高位の魔法だ。魔術師でない一般人が扱うには負荷が高い。再び「申し訳ございません」と言ったカンナをみんなで宥め、寝支度をさせた。

 いつもよりずっと早い時間ではあるが、カンナももう就寝した方が良いだろう。彼女が急いで伝えたかった内容はおそらくミシェルの件であり、後者は、ナディア達が求めたことに応じて話していた蛇足とも言える。

「この魔法って、えーと」

「間もなく自然と消えます。結界魔法と同化させでもしない限り、生活魔法が永続的に残ることはございません」

「あれってアキラちゃんの無茶だったんだ……了解。じゃあ気にしないでいいね。ありがとう、おやすみ」

「はい、おやすみなさいませ」

 更に呼び止めてしまいそうだったが飲み込んで、みんなはカンナが寝室に入るのを見送った。

「結界魔法は、解くまで永続なんだよね」

「あと罠と、防御魔法も」

「でもそういえば生活魔法で、永続って無いっけね」

 つまり消音や防音魔法、そして消臭魔法も、本来は籠めた魔力の分だけ続くものだ。アキラの場合は結界魔法をわざわざ発動してそれにオプションとして生活魔法を組み込むことで、時間制限のない機能として使っていたらしい。本人はわざわざそのようなことを説明せずにぽんぽん使うので、傍で生活しているナディア達は混乱するばかりだ。改めて認識を正しい方向へと調整しながら、彼女らは苦笑を交わした。

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