第695話

 ただ、問わないことを選んだ為、場にしばしの沈黙が落ちる。言葉を選ぶ時間を作るようにそれぞれ手元の飲み物を傾けた。カップをテーブルに戻しながら、最初に口を開いたのはナディアだった。

「そういえばカンナは、この国を『宗教国家』だと言っていたわね」

 カンナの手が、ぴくりと震えた。

「……聞こえていたのですね」

「話自体が興味深くて……ごめんなさい」

「いえ。扉は閉ざしておりませんでしたので」

 あの話をしていた時、カンナはアキラと二人、工作部屋で会話をしていた。その際、ずっと工作部屋の扉は開いていて、アキラも消音魔法を掛けていなかった。

 貴族社会で口にしてしまえば相当危ない発言だった為、本来は知られるべきではない。だが平民であるナディア達がこの思想を知ったとして、カンナの立場が変わることは考えにくかった。おそらくアキラはそのようなことも頭に入れた上で消音魔法を使わなかったのだろう。

 今のカンナもつい反射的に身体を強張らせてしまっただけであり、彼女らを警戒する様子は無かった。

「救世主様や王族に対して盲目的な信仰心があれば、あれは発想のしようがない感覚ではない? あなたは、元々だったの?」

「……どうでしょうか。始まりを考えたことは、ございませんが」

 むしろこの話は、アキラよりも女の子達への方が、気軽に伝えられるのだろうか。あの日ほどの緊張を見せず、単に質問について思考するようにカンナは目を細めた。

「救世主様を召喚する儀式の準備が進められていた中、それに対し、反対意見を零された方がおりました」

 クラウディアのことだ。此処にアキラが居れば察しただろうが、流石にこの件はナディア達には伝えていない為、みんなはぴんと来ない。王宮に居る『貴族の誰か』という感覚で、耳を傾けていた。

「私はそのような考え方もあるのかと、驚きの思いが強く。憤りを感じはしませんでした。……むしろ、憤りを感じる方が居たことに驚いていたほどです。しかし本来あるべき信仰心……」

 淡々と述べていたカンナは急にそこで言葉を止め、パッと顔を上げる。静かに耳を傾けていた女の子達はちょっと驚いた様子で目を見張った。

「失礼いたしました。『あるべき』というのは、貴族社会で求められている、という意味です」

「分かっているわ。ありがとう」

 アキラを想うナディア達が気を害さぬようにと思ったらしい。丁寧な心遣いに、みんなはちょっと表情を緩めて頷いた。そもそも『信仰心』の言葉すら、救世主を愛すこの国の一般人であれば眉を顰める言葉だ。

「とにかく、強い信仰心を持っている者は、憤るのです。その時点で私は、周囲とは異なる感覚があったのだと思います」

 起源は明らかではないものの、アキラと出会うより前からカンナの中の『救世主様への信仰心』は、やや希薄であったということだ。

「そのような私でも、初めて遠目からアキラ様を拝見いたしました時……」

 報酬の候補として、カンナがアキラの前に出された日ではなく。アキラが召喚された当日。アキラが城から立ち去るべく城門へと案内されている道中に、カンナは彼女と鉢合わせた。カンナは侍女長と共に数名の侍女らと廊下を移動しており、アキラ達の列に気付いた瞬間、全員が素早く廊下の端へと移動した。アキラのことを『見知らぬ者』と思ったとしても、国王が共に居る。その上、案内役や護衛役以外の者が国王よりも『前を歩く』ということが、この国のルールとして救世主以外は有り得ない。

 つまり、居合わせた者達は瞬時にアキラが救世主であることを察していた。

「信仰心と呼ぶのかは定かではございませんが。近い感情は、あの時に最も強く感じました」

 目を細めたカンナは当時のことを思い返しているのだろうか。その瞳に、『恐れ』が宿った。普段ずっとアキラの傍に付き従い、アキラに尽くしているカンナが宿すにしてはあまりにも不自然な色を、ナディア達は食い入るように見つめる。

「貴族は必ず魔法の教育を受けますので、魔力感知が出来ぬ者はほとんどおりません。アキラ様をお見掛けする少し前。……息をすることも許さぬような強大な魔力が城全体を覆い、城中が大きく揺れました。そして全ての者がその場にました。揺れのせいではあるのですが。……教え込まれたような、心地でした」

 城を揺らした魔力が救世主アキラのものであったことは、誰も口にしていない。カンナも誰かからそれを聞いたわけではない。それでもあの日に城に居た全員がそれを知っている。

 カンナの言う通り、魔力感知が出来ない者はあの時、城には居なかった。あれほどの、この世には他に存在しないと言い切れるほどの強大な魔力の気配。疑いようもなく、救世主のものだった。

「拒絶したとは聞いてたけど、そこまでしたんだ……」

「おそらく、城そのものを、脅しに使ったのだわ」

 まだラターシャとも出会う前のアキラだ。城と不和を起こしたことだけは、みんなもアキラの口から聞いていたが。ウェンカイン王城全体を揺らすという無茶までしていたとは聞いていない。とてつもない脅し方だ。国王が折れるしかなかったのは、その情報だけでもよく分かる。

 アキラが時折見せる冷酷な一面を思い出し、女の子達は微かに身体を震わせた。

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