第693話

 カンナがお茶を持ってきてくれるのを待ちながら、魔法陣関連の紙を片付けた。勉強会の準備はもう出来た。折を見て女の子達に教えてあげよう。さておきこの作業中に思い付いた別の工作があるので、次はそれをやります。こうしてどんどん連想ゲームをしながら作業を増やしていく私である。

 工作用の材料を取り出して並べていたら、リビングの方で扉の開閉音が聞こえて、すぐにカンナの「おかえりなさいませ」という声が続く。昼からお出掛けしていた子供達が帰ってきたみたいだ。

「アキラちゃーん」

「うん?」

 ただいまの声もそこそこに、何故かすぐ私が呼ばれた。顔を上げたらもうルーイが工作部屋に入り込んでいた。

「お手紙が入ってたよ。ミシェルさん……わっ」

 私は手に持っていたものを全て放して勢いよく立ち上がる。小さく驚きの声を上げたルーイを含め、全員がびっくりして私を見ていた。

「ごめん、ちょうだい」

「う、うん」

 驚かせたことは悪いと思っていたけれど。今は手紙が優先だ。ルーイが差し出してくれるそれを受け取って、急いで封を切って中身を取り出す。

 そこに書かれていたのは、短い、別れの言葉だった。

「……っ、出掛けてくる!」

「えっ」

 手紙だけを持って工作部屋を出て、そのまま玄関を飛び出した。

 ジオレンの中央通りを駆け抜ける。人が沢山居て、ぶつからないように走るには苛立ちが募った。焦る気持ちの中、転移も飛行も使わず我慢できたのは自分では偉かったと思う。こんな当たり前のこと、誰も褒めてはくれないだろうけど。

「ミシェル!!」

 北門の近く、馬車の車列の一角。私が探しているから、タグが教えてくれた。遠くから呼ぶ。女性が振り返った。駆け寄る私を見て、目を丸めていた。

「まあ、こんなに息を切らしてまで……お見送りに来て下さったの?」

 大きく肩で息をしながら、頷いた。呼吸が整わなくってまだ声が出なかった。ミシェルは眉を下げて少し困ったように笑う。

「ごめんなさいね、急に移動が決まったものだから、事前にお伝え出来なくて」

 手紙には今日の夕方に街を出ることが書かれていて、私とのランチが出来なくて残念だという、優しい言葉が添えられていた。

 ミシェルは馬車の準備をしている人達に声を掛けてから、改めて私に向き直った。まだもう少し、挨拶を交わす猶予があるみたいだ。

「先日は本当にありがとう。私ね、本当はもう、どうなってしまってもいいと、自棄になっていたの。あの人が教えてくれたジオレンを見て、だけどあの人は何処にも居なくて」

 分かっていた。だから、私は怖かった。次の約束を強引にでも取り付けてしまいたくなった。

 最愛の人の居なくなった世界を生きることが辛いって気持ちを、理解できないわけじゃない。あの夜に出会っただけの私が、ミシェルにそんな世界を生きろと言うのはあまりに無責任だ。だけどそれでも嫌だと思った。それが上手く伝えられなくて、祈るように次を願った。偏に私の我儘だった。

「でもね、あの夜。泣きそうになっていたアキラさんのお顔を見てね、……レッドオラムで私を見送ってくれた家族や友人も、同じように、悲しい顔をしていたことを思い出したわ。おかしなことね。ずっと見えなくなっていたの」

「家族……」

 確かめるように呟いた私の声はまだ乱れた呼吸に揺れて掠れていた。だけど正しく聞き取ったミシェルが丁寧に頷いて、肯定する。

「ええ。うちは両親もまだまだ元気だし、アキラさんと同じ歳くらいのね、息子が居るの。お嫁さんをもらったばかりだから、そうね、いつかは孫も見られるのかも」

 何だかドッと倦怠感が襲ってきた。ミシェルにまだ家族が居るのだという事実と、彼女がそれを想って寂しさではない笑みを浮かべたことに、安堵していた。

「街を守るのと引き換えに私達を置いて行ってしまったあの人に、これからのことを沢山、自慢しなくちゃいけないわよね」

 私は目を細めた。本当はきっとまだ、全ての気持ちが切り替えられているわけじゃないと思う。それでも、この言葉の通りに生きて行こうと決めた彼女の覚悟が、美しいと思った。

「だから大丈夫。本当にありがとうアキラさん。いつかまたレッドオラムに来ることがあれば私に会いに来てね」

 強く頷いた。大きく息を吸って、今度こそ、情けなくないちゃんとした声を返した。

「うん。必ず」

「約束よ」

 ミシェルはレッドオラム内での連絡先を教えてくれた。一晩一緒に飲んだだけの仲だが、この辺りはお互い様だね。私も、冒険者ギルドの協力者だから何かあればギルドに手紙を届けてくれたら私と連絡が付くことを伝えておく。

 三十分ほどすると全ての馬車が移動の準備を終えたらしく、ミシェルはその内の一つに乗って、ジオレンを離れて行った。

 冒険者らがジオレンでは仕事を受けにくいと悟り、団体で離れることになった為、ついでにレッドオラムに移動したい者達が寄り合った集団だったようだ。ミシェルも此方に来る時に一緒だった冒険者に声を掛けられ、急遽、戻ることに決めたらしい。

 戦う術の無い一般人は、冒険者らの移動と合わせるのが一番安全だからね。女性も多かったし、子供連れも居た。滅多なことはないだろう。そう予想した通り、半月後にはミシェルから無事にレッドオラムに戻ったという知らせと、お嫁さんの妊娠が判明したって報告が届くことになるが。今の私はまだそんなこと何も知らないで、ただミシェルの旅路の無事と、未来の幸せを願いながら、小さくなる馬車の影をいつまでも門の傍で見守っていた。

「……カンナ?」

 すっかり馬車が見えなくなった時。帰ろうと思って振り返れば、少し離れた位置に、私の侍女様が立っていた。少しばつが悪そうに、俯いてしまう。

「勝手をして、申し訳ございません」

 追って来ていたのか。全然、気付いていなかったな。そしてずっと待機していたらしい。

「ううん。傍に居るのが、君の仕事だもんね」

 傍に付いていることがデフォルトなんだから、私が明確に「付いてくるな」と命じていないなら付いてくる方が正しい。

「急に走らせてごめん。体調は大丈夫?」

「はい、問題ございません」

 それなら良かった。軽く頭を撫でてから、「帰ろう」と声を掛けて、共に帰路に就く。足取りは気持ちに関係なく重たかった。疲れた。

「ただいま。……お騒がせしました」

「本当にね」

「おかえりなさい」

 帰宅した途端、女の子達の振り返りの速さと言ったら。ナディアの憎まれ口も、いっぱい心配してくれた裏返しだと思う。

 その日の夜は予定通り、夕飯のビーフシチューに合わせるパン作りをルーイと一緒にやって、みんなで焼き立てパンとビーフシチューを食べたのだけど。

 いつもと違って私は一番にお風呂を頂いて、早々に寝室に下がった。

 昨日あんまり寝ていなかったのにお昼寝は短く、加えてさっきの北門までの猛ダッシュで疲れちゃった。私の言い分に、みんなは呆れたように笑いながらも「ゆっくり休んでね」と言ってくれた。

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