第691話

「ナディも多分起こしちゃったよね。ごめんね」

 全員が起きてきてテーブルについたところで、昨夜のことを謝罪する。ナディアはちょっと眉を寄せてから「別に」と言った。

「一瞬だけ目が覚めた程度で、私はすぐに眠ったから。……それよりも、カンナは眠れたの?」

 急に水を向けられたカンナは目を瞬き、口元を押さえて食べているものを飲み込みながら、二度頷いた。

「眠りました。侍女として働いている内に、短時間でも眠れるようになっております。問題ございません」

 本当の言葉ではあるみたいだけど、この言い回しは、私を庇う意味もあるのだと思った。ナディアは眉を軽く上げて私を一瞥したけど、「そう」と言うだけで、叱ろうとはしない。カンナの意図を汲み取り、彼女を立てた形だろう。ありがとうカンナ。怒られずに済みました。

「ところで――」

 あ。怒られそうだった張本人が話題を変えても大丈夫かな。ハッとして一度止めたが、女の子達は私の言葉の続きを待って視線を向けてくるだけ。特に気にしていないようだ。続けて良さそう。セーフ。

「今日、工作部屋に用事ある? 今、作業台を占領しちゃってて……ちょっと集中もしたいから、籠りたいんだけどさ」

「あー、彫刻板はリビングでも出来るからいいよ。道具だけ移動したいかな」

「私も別に構わないわ。今日は休憩にするから」

 普段から工作部屋をよく利用するリコットとナディアがそう答えてくれる。ナディアは靴の型紙を作っているところだったはずだから、リビングでは狭くて難しい為、『休憩』を選ぶのだろう。「ごめんね」と言ってもナディアは軽く肩を竦めるだけで、何でもないことだと伝えてくれていた。素っ気なさがこの子の優しさです。

 朝食後、リコットは道具の移動の為に工作部屋に来たが、作業台に広げられている魔法陣の紙の束を見て「これは大変だ」って笑った。

 カンナにはお茶だけ運んでもらって、後は下がっていてもらう。

 扉を閉ざし、消音魔法を掛けてから、一人になった部屋で大きく息を吐き出した。

 今回はこちらの音だけじゃなくて、向こうからの音も入ってこないように術を張った。女の子達の気配が遠くなったように感じる。魔力感知で存在は認識できていても音が聞こえないって、こんな感じか。普段なら寂しくなって秒で解きそうだが、今は何も気にせず集中できそうだ。

 改めて、作業台に広げた紙を頭の中で整理すべく眺めた。

 私が今見つめているのは、マディスの侵入者らが敷いた魔法陣の情報だ。

 王様達が私に頼らず処理したものについては詳細を聞いていないし、私は全てを把握してはいない。でも私の直感が正しければ、『多いほどいい』ものの、全ての情報は『必須ではない』。

「――これか。やっぱり、エルフの知恵が鍵だったんだ」

 思わず、苛立ったような声が出た。

 エルフの知恵から得た『人の世では語られなくなった歴史』によれば、エルフが他種族との交流を断絶したのには、段階があり、順序があった。

 例の亜空間にエルフらが居を移したのは、二代目救世主がこの世界に来たよりも後のこと。国は多くあったが、現存する国の中でエルフと関わりのあった国はウェンカイン王国とマディス王国のみ。

 エルフを含めどのような種族にも『救世主を信仰する限り』分け隔てなく接していたのがウェンカイン王国。一方、他種族に対してあまり好意的ではなかったものの、魔法陣や魔道具といった知識分野において情報共有の為に、エルフとだけは頻繁に交流を行っていたのがマディス王国。

 そしてエルフらから秘宝を奪おうとしたのが、その知識共有会に参加していたマディス王国内の有力者とその協力者らだった。結果、すぐさまマディス王国とエルフ族の交流は断絶されることになる。

 しかしその強奪はマディス王国そのものの意志ではなく、一部の貴族らによる企みであったらしく。マディス王家からは謝罪として多くの物資を贈られた。交流の再開には至らなかったものの、秘宝の強奪騒動に関する報復はもう行わないということで示談。騒動はそれで収束した。

 ただその後も、里を亜空間へと完全に移すまでの間、ウェンカイン王国との交流が続いていた。その際に当時のウェンカイン国王が、人里離れた場所なら出入り口を作って構わないとエルフに伝えたのだ。

 エルフらはその厚意に感謝はしつつも、亜空間に居を移して以降、ほとんど人族の前に現れていない。最後まで敵対の無かったウェンカイン王国でもそうなのだから、マディス王国内では特に記録など皆無だろう。

 それでも、マディスの魔法陣の知識はエルフと深く関わりがあり、今更失われてしまうものではない。

 そしてマディスは、ウェンカイン王国はまだエルフらと繋がっていると思っている可能性がある。彼らの知る限りずっとウェンカイン王国とエルフ族は友好的だったせいだ。

 だからエルフが協力すれば、魔法陣内に紛れ込ませた言葉、『隠された意味』にすぐにと信じた。

 ただの、賭けでしかない。それでもマディスは此処までしなくちゃいけなかった、いや、……それくらいしか出来なかった。

「『悪しき力』の、『拡大』……かな」

 エルフには、何の効力も無い『おまじない』の模様が沢山ある。

 いずれも神事に利用されるだけで普段使いはされておらず、エルフでも若い子は一部しか知らないはず。うちのラターシャも教えられていないみたいで、少なくとも私が年始のまんじゅうに焼き入れた模様は知らなかった。

 全てを把握しているのはおそらく私と、私にエルフの知恵を分け与えたヒルトラウトだけ。彼女くらい長く生きているエルフならもしかしたら、ほぼ同じくらい知っているかも。

 何にせよウェンカイン王国ではそんなもの一つも分かりようがない。しかしマディスの侵入者らが敷いた魔法陣の中に、それらがひっそりと書き含まれている。

 ただ、私も容易には読み取れない。意味がどれも曖昧で、組み合わせから何となく読み取らなきゃいけないせいだ。

「こっちは『汚染』、あと『浸食』」

 似たような意味の模様が多い。そして一番多かったのが。

「……『救い』を強く望んでる。これは」

 場合によっては『救世主』という意味として読むことも出来そうだ。エルフ固有のこの模様は初代の救世主が来るよりも遥か昔に作られたもので、起源は知恵の中にも無いほど古い。だから明確に救世主を表すものが存在していない。その中で「救世主を指そうと思えばこの表現かな」と思う模様が、『救い』だ。

 全ての魔法陣からエルフ固有の模様を確認し、私は椅子に座って頭を抱えた。

 助けを求める声は、もう、聞きたくなかった。

 この世界に来て、強大な力を得て。私が手を取れば助けられる範囲があまりにも広く。それでも全部を助けるには手が足りないのに、助けられなかった誰かを、もしもその時に私が『選んでいれば』助けられたのだと。それを突き付けられる度に、……息が上手くできなくなる。

「誰か、」

 零した声は掠れていて、泣き出しそうに震えていた。

「……助けて」

 そう言いたいのは私の方だ。だけど私の声は、願いは、誰も聞き届けてはくれない。

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