第688話

 目を覚ましたのは、お昼頃。「アキラちゃん」と柔らかな声が私を呼び、頬をむにむに撫でられた。

 ぼやけた視界がなんとかクリアになった中で見えたのは、楽しそうに笑うリコットと、難しい顔で私を見下ろすナディア。

「んん……?」

「起こしちゃってごめんね。お昼ごはん出来たよ、食べられそう?」

 目を瞬きながら、リコットの言葉を聞く。それから難しい顔のナディアを見た。うーん。

「ごはん……?」

「そう、お昼ごはん」

 目を擦りながらやや唸るように「たべる」と返したら、リコットがくすくす笑いながら私の頭を撫でた。

「私、なにかしゃべった?」

「ん?」

 カンナが用意してくれた水の桶とタオルで顔を洗い、まだまだ頼りない声で尋ねる。リコットは何を問われているのか分からない顔で首を傾けた。む。違うのかな。

「ナディが、難しい顔で見てたから、なんか変な寝言でも言ったのかと。あとは、うなされてたとか」

 言うとナディアが眉を更にきゅっと寄せた。どうして。

「体調が気になって、よく見ていただけよ。静かに寝ていたわ」

「げんき! ……いやそうでもないな。ちょっと怠い」

「あのね」

 元気アピールに両腕を上げてみたが、その瞬間、身体にぐっと倦怠感が来た。へにょ、と腕を下ろしたところで、リコットが笑いながら肩を撫でてくれる。ナディアは呆れていらっしゃる。

「心配を掛けてごめんなさい」

「……謝る姿勢だけはいつも達者なのだから」

 長女様が、怒るに怒れないみたいな声を出している。怒らないでほしいなぁ。自分が悪いのだということはよく分かっているつもりなんだけど。それでも、怒られたくないなぁ。どきどきしながらお言葉を待った。

「もういいから、食事にしましょう」

 身構えたものの、特に怒られず。思ったより優しい声が掛けられた。

 食卓に並んでいたのは、あっさり系のパスタとサラダとスープ。食欲が無いって言ったから、献立は結構悩ませてしまったんだろうな。

「無理そうなら、サンドイッチも作れるよ」

「ううん、これでいい。でも量は少なめでお願い」

「私らと同じくらい? もっと減らす?」

「六割」

「微妙なところを……」

 ナディアがちょっと困った様子で呟きながら、パスタを取り分けてくれる。他の子達は笑ってた。

「これくらいで大丈夫?」

「うん、ありがとう」

 食事中も、食事を終えても、みんなは私に何も聞いてこない。ただ、カンナに淹れてもらったお茶をのんびりと飲んでいたら、「アキラ」とナディアが呼んだ。優しい声だったから、あまり心を固くせずに顔を上げられた。

「あなたが辛いなら話さなくていいけれど、我慢はしないでと以前に伝えたのは覚えている?」

 覚えている。

 というか、今の言葉で思い出した。

 地中に埋められ隠された魔法陣のせいで、色んな村が被害に遭った時だ。最後に向かった村では大勢が亡くなった。その時のことを私は未だに女の子達へ、詳細を語っていない。語るつもりもない。ただ「無辜むこの民だった」とだけ。その時に、ナディアが掛けてくれた言葉だった。

 つまるところ、私が辛いなら無理に話せって言わないよって、改めて伝え直してくれている。

 頷いたら、ナディアも頷いた。それ以上は女の子達も何にも言わなかった。

 話さなきゃいけないとか、何か聞かれるかもしれないとか、沈んだ顔を見せたくないけど顔を作る自信がないとか。色々考えてすぐにみんなから逃げてしまうんだけど。

 多分、『大丈夫だから逃げなくていい』って教えてくれているんだよね。

 そろそろ頭ではみんなのそういう気遣いや優しさも分かってる。だけど心の根っこのところがまだ少し怖い。

 私としてはリコットの手を借りて甘えて寝た辺り、少し成長なのですが。褒めて下さいと言えるほどのものではないという自覚くらいはあるので、触れることは出来ないのである。

 お茶の後もしばらくはリビングでのんびり過ごしていた。でも飽きたら工作部屋に移動した。

 ちらりと此方を窺った女の子達の視線はあったものの、止める言葉は特に上がらない。扉を開けたままにしたのも止められなかった理由の一つかも。

 工作部屋で最初に手を付けたのは、クラウディアから借りた本だ。先延ばしにするほど嫌な気分が長続きするだけだから、さっさと片付けることにした。

 そもそもこれは魔法に関する本であって、私の気分を害した元凶ではない。ただこの本を見るとあの日のことを思い出して、気の悪さが蘇るだけだ。

 あの日、書庫開放をしてもらった本来の目的は、魔法に関する知識を得ることだった。それに関しては、完全ではないものの少し収穫があった。

 まず、回復魔法に関すること。

 現在ウェンカイン王国内に回復魔法の使い手が一人も居ないというのはタグでも既に確認している。また特殊魔法の使い手はほぼ全員が宮廷魔術師として招かれることもあって、宮廷魔術師の登録記録がこの国の記録と思ってほぼ差し支えないのだと思う。

 となると、この国で確認された回復魔法の使い手は、六十二年前が最後だ。

 大体、長くとも百年に一人くらいは使用者が記録されている。

 私が使うほどの無茶な回復魔法は記録には無い。でも軽傷なら痕が少し残る程度まで回復させられて、重傷だとしても回復を早めて全治までの期間を大幅に短縮させていたらしい。勿論、術者によって程度の差はあるようだけど。

 ただし国の方で気を揉んでいるのは、術者の発生に予測が付かないこと。貴族ならば教育課程で容易に見付かるが、平民の中に産まれてしまったら見付けるのは難しい。魔法と縁が無いあまりに、使用方法も何も知らず、術者が自らの力に気付かない可能性があるからだ。

 しかしそれでも記録に並べられている回復魔法の術者の内、四割が平民出身だった。

 教育を受けない中でその数なら、ともすれば平民の方が回復魔法の使い手になりやすいという説があるくらい。

 まあ、単純に平民の方が圧倒的に人口が多いので、『本当はもっと使い手が居るものの、見付からないままだった』というのが実際のところだと思うけど。他の特殊魔法もきっとそうだろう。

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