第683話

 アキラが出て行った後の玄関扉を、女の子達はしばし無言で見つめていた。階段を下りる音が遠ざかったところで、ルーイが立ち上がってパタパタと軽い足音を響かせ、窓から外を覗いている。出ていく背をまだ見送りたいらしい。小さく手を振ったところを見ると、見送りに気付いたアキラが手を振ったのだろう。こうして追い掛けるように見送られても、後ろ髪は引かれないものなのだろうか。すぐにアキラは見えなくなったようで、ルーイはその後一分足らずでソファに戻った。

「うーん、呼び水になっちゃったかなぁ」

「なに?」

 ぽつりと呟いたリコットの声に、ラターシャが首を傾ける。

「ジオレンに来てから全然、夜遊びしてなかったけどさ。ちょっと前にあのと遊んだでしょ? あれでまた思い出したのかなぁって」

「しばらくお姉ちゃん達とカンナだけで満足してたのにね」

「言い方……」

 ラターシャが項垂れているが、この子ももう随分と三姉妹やアキラに毒されており、二人の言葉に対して大きな戸惑いは見せていない。冷静に指摘できるだけ、もう一般的に無垢な子とは言い難いだろう。教育に悪いことだ。

「気分転換になるなら、それでいいでしょう。『私達の傍ではだめなのか』とか、今更もう、そういう話をする気はないけれど……」

 妹達を宥めるようにナディアが言う。しかし後半は少し声が小さくなり、言葉に迷う様子があった。

「誰にどんな顔を見せられるとか、見せられないとか。あの人にも色々あるんじゃないかしら」

「私が止めに入らなきゃいけないほどアキラちゃんにブチ切れてた人が……」

「リコット」

 茶々を入れるリコットにナディアが項垂れた。ルーイとラターシャが思わずと言った様子で笑う。当然、ナディアは渋い顔をした。

 アキラはナディア達を『家族』と呼びながらも徹底して弱みを見せない。そんな姿勢に対して以前ナディアは酷く感情的にアキラを非難した。その時に止めに入ったのはリコットで。落ち着いて話をした結果、彼女らは互いの間にある、大きな価値観の違いを知った。

 アキラが頼ってこないことを、ナディアは今も完全に納得できているわけではない。

 けれど今日のアキラは女の子達のことを必要だと言っていた。見せてくれない顔も、心も沢山あるようだ。だけどアキラにとって彼女達が何かの側面で支えになっているなら、他の側面を別の場所で補ってくるくらい。責めることはないだろう。

「まあ、潰れちゃうよりはね」

「そうだね」

 不満はゼロではないが、仕方ない。という結論が女の子達の中で共有されたものの。その結論に導いたはずのナディアはまだ少し憂いを残し、溜息を一つ。

「……ただ、また何か変な目に遭ってこなければ良いのだけど」

 今夜以外で唯一、ジオレンで夜遊びに出掛けた時は、ヘレナとその家族を解呪すると言う負担を背負って戻って来た。

 しかしそんなこと、早々起こることでは無いだろう――と、続けてみんなで笑うくらいには。それが現実のものになるとは、流石に誰も想像していなかった。


* * *


「あー、飲んだ食った」

 この感想からも分かる通り、胃袋は満足しているのだけど。私の隣には引っ掛け終えた女の子という報酬が無い。今日はちょっとダメでしたね。店を三件ほど回り、夜の女の子達にも沢山挨拶できたけど。良い子は当たり前のように予定がございまして振られました。また暇な時があれば遊んでもらいましょう。お友達にはなった。

「どーしよっかな」

 このまま帰ってもいいけど。そんなことを考えながらぷらぷらと歩いていた私は、ふと目に入った落ち着いた雰囲気のバーの前で立ち止まり、ちょっとだけ迷った後で扉を潜った。

 入るまでは、一人でしっとり飲んで今夜の飲みを締めようというつもりだったんだけど。結局、私の目は女性の方へと向く。

「こんばんは。お一人の時間かな、隣に座ると邪魔しちゃう?」

 カウンターに一人で座っていた女性は、唐突に私から掛けられた声に目を丸めた。警戒されちゃうかなとドキドキしたものの、女性はそのままゆっくりと、笑みを浮かべる。目尻に薄っすらと入る皺が、優しげな雰囲気を強めた。

「いいえ、どうぞ、可愛らしいお嬢さん」

 了承が嬉しくてパッと素直に笑みを浮かべると、その反応が子供みたいだったからか、女性は更に楽しそうに笑った。

 私の母と同年代か少し下くらいの方だと思う。名前はミシェルというらしい。

「へえ、レッドオラムに居たの? 私も少し前に滞在してたよ」

 私がウェンカイン王国内を周遊している旅人であることと共に、ジオレンの前の滞在先がレッドオラムだったことを伝える。親近感を得てもらおうと思って言ったはずが、ミシェルの瞳はそれを越えて、何処か気遣わしげな色を宿して私を見た。

「あら、そうなの。……いつ頃いらしたの?」

 例の騒動の最中に私が街に居たかどうかを心配したのだと分かった。私は気付かぬふりで答える。

「夏から、翡翠の月の末頃――あの騒動の直後までだよ。連れの内二人がまだ子供だからさ、街を怖がるかと思って早めに離れたんだ」

 本当の理由はルーイ達じゃないんだけど、まるきり嘘ということでもないし、怒られはしないだろう。まさか「王宮から派遣される兵士の目を逃れる為」とか言えるはずがないからね。犯罪者の思考回路なんだよな。

 とは言え結局、この街に居ることはもう王様にバレているわけだが、王宮関係者にナディア達の顔を覚えられていないだけマシと思うことにしている。

 ミシェルはそんな私の事情など当然知るわけもなく、「そうなのね」とだけ言って、言葉を選ぶようにワインを傾けていた。

「恐ろしい出来事だったから、そうね、子供を離れさせるのは、良い選択だったと思うわ」

 何度も頷いて肯定してくれる。私個人の事情に子供達を巻き込んだのが実際のところだとは、とてもじゃないが伝えられない。いや、本当に子供達が心配だったのも理由ではあるんだけどさ。

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