第680話

「その後しばしアキラ様は不機嫌なご様子でしたが、次第に落ち着かれ、禁書の小部屋から離れられました」

 一階で私が気分転換に読んでいた本のジャンルをカンナが告げていく。よく覚えているな。順番も完璧だった。まさかカンナまでメモは取っていないと思う……取っていたかも。分からない。まあいいや、カンナには行動をメモされても別に気にならないから。全部きっと何かしら私の為だと思うのでね。

 最後にクラウディアが持ってきた本を私が借りたことを説明して、カンナは今日の報告を終了した。

 結局、私とクラウディアの言い合いについては、一切、触れていなかった。

 その内容が、禁書と同じように『知ってはいけないこと』の欠片だと、カンナには思えたのかもしれない。二人で休む為に寝室に下がった時、私は「禁書のタイトルだけは今後も一切口にしちゃいけない」と告げた。だけどそれ以外を女の子達に報告することは許していて、クラウディアとの会話も、言うなとは命じていない。つまりこれはカンナの判断だ。

 まあ、クラウディアとの会話を知れば女の子達はその詳細を私に問うかもしれないし、でも問われたところで禁書の中身を話さなければ説明のしようもなく。女の子達が抱くだろう疑問のほとんどを私は答えることができない。そういう『展開』も考えた上で、不要、または無駄と思ったのだろう。

 やはり他者の口から昨夜のことを振り返るのは、整理する意味では丁度いい機会になった気もする。胸の奥の不快感とか、色々消えないけど。

 ふう。椅子の背に身体を預け、溜息を天井に向かって吐き出す。

 何にもやる気が出ないや。

 作り掛けの図面とか、組み立て途中の魔道具とか、王宮から借りた本とか。作業台に全部置いてみるけど。どれも気が進まなかった。

 手にしたペンの先、随分前に付けたインクはもう乾き始めている。紙の上に滑らせても、掠れた線が伸びるだけ。

 ペンを手放し、机の上に転がす。突っ伏して、上体をべたりと机に預けた。

「ふむ」

 自分の口から出た声だが、ふむじゃないんだよな。そんな、何か小難しいことを考えた上で思考を切り替える為に呟くみたいな体勢でもなし。

 代わりではないが、小さな鼻歌を歌い始めた。いや、今を歌うに適する体勢だと思ったわけでもない。状態や状況とそぐわないことをしたくなっただけ。

「アキ、……あなたその状態で歌っていたの……」

 ナイスタイミングでナディアが工作部屋を覗き込んでしまったみたい。呆れたような驚いたような声が面白い。頭だけを動かして、机に顎を付け、「ん」と答える。

「作業しても構わない? 邪魔かしら」

「んや。いいよ~」

 後ろからひょいとリコットも覗き込んで、ふっと笑っていた。ナディアがさっき指摘した「その体勢」を理解したせいだろう。

 部屋の端に積んである彫刻板を二人で取り出しているので、それをやるようだ。

 私は寝返りを打つようにまた頭をこてんと寝かせ、続きを歌う。「歌うんだ」と、リコットが笑いながら小さくツッコんでいた。

「このペン、アキラちゃんのかな? すごい端っこまで転がってるよ」

 二人が席に付く頃、ぽつりとリコットが言う。さっきのペンか。そんなところまで行ったか。「んー」と生返事だけした。歌はもう終わった。ちょっとウトウトしてきた。

 リコットはわざわざペンを持ってきてくれたみたいで、足音が近付いてきて、コトンと私の頭の傍でペンが置かれる音がした。多分リコットのことだから何かを支えにして、それ以上転がらないようにもしてくれたんだと思う。何か他の音もしている。でもまあ、そもそも私が転がす感じで置いたから移動しただけで、置いているだけでは転がらない。別に机や床が傾いているわけじゃないからね。

「疲れてるなら、ベッドでもう少し寝たらいいのに」

 優しい声が降ってきて、リコットの手が私の背を一度だけ撫で、でも無理に動かそうとはしないでそのまま離れて行った。リコットのこういうところ、気楽で好き。

 ナディアとリコットが作業している音と、二人の静かな雑談を背景音楽にしてるといよいよ眠たくなって、十数分くらいで寝た。ぐっすりじゃないから偶に意識が浮上して、「寝たっぽい」ってリコットの声の後、カンナの声が聞こえて、肩へと薄いブランケットが掛けられたのは分かった。

 しばらくしたら頭が持ち上げられて、机との間に厚めのタオルも挟まれる。少しでも心地良く眠れるように、いや、首や肩に負担なく、かな。とにかく気を遣われているなぁと思った。眠ったままでも大丈夫だ。侍女さんってこんなことまでするのかな。流石にしないよな、机で寝る令嬢は居ないだろうし。大変なことをさせている。

 思考はぼんやりそんなことを考えるけれど、眠くて起きられなかった。

「……寝る時、いっぱい寝るよね」

 次に意識が浮上したのは、ラターシャの声だった。近い。傍に立っているようだ。声は小さかったから、私を気遣ってくれたのだと分かる。

「熱などは無いご様子です」

 カンナが優しい声で伝えていた。あんまりにも良く寝るから、心配されているらしい。

「でもまあ、徹夜で……」

 リコットが何かを言おうとして、でも途中でそれが止まった。数拍後、「え、起きた?」とひそひそ声が聞こえる。カンナが同じく小さな声で「そのように思います」と続けた。

 どうやらカンナが私の意識の浮上に気付いて、リコットの言葉を留めたらしい。

 彼女には何か察知する方法があるんだろうな。毎回ではないが、私が起きたことを敏感に気付くことが多い。

「んむ……」

 一応起きているアピールで声を漏らしたが、まだ眠い。

 頭の向きを変えた。ちょっと首が怠い。だけどタオルを挟んでもらったお陰か大きなダメージは感じなかった。

「みず」

「すぐにお持ち致します」

 唸るような声だったけどカンナには通じた。素早く部屋を出た後、三十秒足らずで戻って来たカンナが、「此方に」と言って私の頭の近くに水の入ったコップを置く。

「お顔を洗う水をご用意いたしますか?」

「んー、ほしい」

「はい」

 座ったまんまで顔を洗えるのって楽だなー。洗面器とタオルがご用意された。貴族令嬢はベッドで顔を洗うんだろ。知らんけど。

「他にも何かお飲みになりますか?」

「あったかい、美味しいやつ」

「え、雑……」

「畏まりました」

 リコットが小さく非難めいた声を上げたが、カンナは冷静に承諾して下がっていく。

「いいんだ」

「アキラの侍女は大変そうね……読解力というか、もはや読心術が必要になるわ」

 すごい近くで陰口が聞こえる。何も聞こえていない振りで目を閉じてじっとした。

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