第679話_ジオレン帰還

 上階の無い広々とした吹き抜けで少しの間またぼんやりとして過ごし、その後は、一階の本棚も見て回った。

 薬草だとか魔物だとか、そういう、さっきまでとは関係のないものばかりだ。気分転換のようなもので、特に興味が引いたわけでも、必要だったわけもなかった。

「――夜通しの案内ありがとう。君達もゆっくり休んで」

 朝の七時半頃に、書庫を出る。収納空間を封じられていても転移は出来るが、転移魔法でも物を持ち出せてしまうことを思うと、中で発動するのは気が引けた。

「お心遣いありがとうございます。アキラ様もご自愛くださいませ」

 訪れた時にも見せてくれた綺麗なカーテシーを一瞥して、それ以上は何も言わないで、私とカンナは王宮から立ち去った。

「あ、おかえりー。今作ってるから、もうちょっと待ってね」

 ジオレンのアパートへ帰ると、もうみんなが起きていた。朝食準備の真っ最中だったらしい。台所でわちゃわちゃと並んでいる姿が何だか、何て言うのかな。温かい。

「いい匂いだね」

 笑みと共に言ったものの、まあ、相変わらずあまり上手く行っていない。少なくとも、うちの子達を誤魔化すには足りなかった。瞬間、私の方を見ていたリコットとラターシャが、表情を変えた。鋭すぎるのも困ったものだよ。

「……何かあったの?」

「まあ、色々ね。でも何より、夜通し起きてて疲れたよ」

 嘘ではない。もうすっかり眠いのは事実だ。カンナもそうだろうと思う。朝食を取ったら一刻も早く眠り、休息しなければならない。

 すぐに女の子達もそれを察してくれて、「そうだよね」とだけ言い、今は何も聞かないでいてくれた。

「お昼に起こす?」

 朝食後、寝支度を済ませた私とカンナが寝室に向かったところで、リコットがそう聞いてくる。

「んー、いや、起きるまで放置してくれたら嬉しい」

「分かった。二人ともゆっくり休んでね」

 他の子らに見送られ、寝室に入った。リビングに居る子らが気を遣わないようにと扉も閉ざしておく。

 カンナには「必要があれば起こすから時間を気にせずに眠るように」と指示をして、互いに気が済むまで眠ることに。

 本当に、ただただ疲れていたし、カンナも顔に出ないだけでかなり疲弊していたのだと思う。私はちょっと気が立っていたせいで寝付くのに時間が掛かったんだけど、カンナはすぐに寝息を立てていた。逆にそれが私を安心させてくれて、私も眠れた。

 起きたのは十四時すぎ。カンナも、私が起きる気配に反応して同じくらいの時間に目を覚ました。二人で遅めの昼食を取る。私達の分も用意しておいてくれた女の子達に感謝だね。サポートが完璧でいつもありがたいよ。

「まだちょっと疲れてるから、工作部屋でのんびり作業でもするよ」

 昼食を終えてすぐに席を立つ私に、全員が気遣わしげな目を向けてくる。

「お茶をお淹れ致しますか?」

「いや、うーん、今はいいや。またお願いする」

「畏まりました」

 そう言って、物言いたげな女の子達には心の中だけでごめんねと思って、工作部屋へ入った。

 扉は閉めておらず、開け放たれた出入口の向こうから女の子達の静かな話し声が聞こえる。何処か戸惑った様子の問い掛けに、カンナがいつも通りの冷静な声で受け答えしていた。

 最初は魔法に関する本をずっと読んでいたことも、カンナが本を運ぶ際に背表紙を見えない位置にしたことなども報告していて、やっぱりわざとだったんだなと思って笑みが浮かぶ。女の子達も、笑いを噛み殺した雰囲気があった。それをしたのがカンナだってところが卑怯なレベルで面白いよね。

「……中央に置かれていた書を読まれた時は特に変わったご様子はございませんでした。ただ、私はずっと背中を見つめておりましたので、小さな表情の変化までは分かりません」

 禁書の小部屋に入った際のことにも話が及ぶ。他者の口からあの時のことを語られるのを聞いて、少しだけ俯瞰ふかんと言うか、ちょっと冷静な気持ちで私も振り返っていた。

「その後、私から見て左手にあった何の変哲もない本を手に取られ、お読みになられた際に少し、ご様子に変化がございました。……酷く、お気を害されたように表情を歪められ」

 そうやって改めて冷静に説明されると、なんか恥ずかしくなってきたよ。

「王女殿下は、アキラ様がどうしてそのようなご様子になったか、把握されているようでした。曖昧な表現で『こういう本』が他にもあれば出すように、とアキラ様がご指示されたのに対し、殿下は特に何を問い掛けることもなく本を選ばれました。それらはおそらく、アキラ様の意図を正確に汲み取ったものでした」

 私がいつになくじっくり、ゆっくりと本を読んだことから、カンナはそう察していたらしい。うーん何だか全てを正確にカンナに読み取られていて照れ臭い。よく見ているね。いや、見ていてくれと言ったのは私だけどね。嬉し恥ずかし。

「ただ、アキラ様がお読みになった内容を我々が知ることは、難しいかと存じます。アキラ様も、仰られはしないでしょう。……禁じられている知識を得るというのは、とても危険な行為ですので」

「危険?」

 カンナって本当、賢いなと思った。報告を彼女に任せるのは大正解だった気がする。私だったら理由を言わずにただ誤魔化して口を閉ざしてしまうところを、きちんと説明してくれるんだから。

「知ってはいけないことを知っている時点で、私達も国にとっての危険人物になる、ということ?」

「はい」

 女の子達は、一瞬、しん、と静まり返った。考え込んでいるのか、言葉に出来ない不満があったのかは、視覚情報が無いと流石に分からないけど。

「以前も感じましたが、ナディアは聡明ですね」

「き、急に何よ」

「あはは」

 突然そこに可愛い会話が挟まった。確かにナディアは先程のカンナの言葉が意味するところを即座に理解して、彼女なりに言い直している。聡明だったよね。分かる。

「でもさー、私らが『知らない』って、誰が証明するの?」

「仰る通り、証明の術はございませんし、アキラ様のお傍に付いている私達を単純に『全て知っている』と決め付けられてしまうことも充分にあり得ます」

 何か妙に今『羨ましい』気持ちになっている。カンナ、女の子達と一緒に居ると沢山喋るよね。いいな。

「それでも『事実でないこと』は肝要です。知る前には戻れません。知ってしまい、物の見方、考え方、それに伴って振る舞いが変わることも往々にしてございます」

「変化の一つを見咎められれば、疑いは確信になる。そうなればもう逃れられない、ということなのね」

 返事は聞こえなかったが、カンナの答えは肯定だろう。ナディアが静かに息を吐き出した音がした。

「見つからないようにと気を張る負担が私達を摩耗させる可能性もあるわよね。……確かに、知りたいと願うことは恐ろしいことだわ」

 納得した空気が漂ったところで、カンナは報告を再開した。

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