第678話_立場
クラウディアは呼吸を整えるように大きな深呼吸を挟み、言葉を続ける。
「私は、反対いたしました。言葉は、遠回しだったかもしれません。しかしそれは私の立場では決定を容易く覆すことが出来ないと知っていた為、自らの立場を……」
最初は、いつも通り聞き取りやすいクラウディアの声だった。だけど段々と尻すぼみになっていく。
「自らの立場を、守りながらできる、最低限の……ことでした。申し訳ございません」
謝罪の声はもう、泣き出す寸前のようだ。それが余計に、癇に障った。
「――何故」
感情が昂って、声が震える。一度、飲み込もうとして言葉を止めたけど。震えは止まらなかった。
「王様とベルクはこれを知らないんだ。それとも知っていて」
「いえ」
苛立ちをぶつけるように言えば、息を呑んだクラウディアが即座に声を挟んだ。
「アキラ様、そちらは全て、古語で書かれているのです。父や兄、いえ、……この国のほとんどの者が、もう、読むことが出来ません」
クラウディアの言葉にハッとして、本を見下ろす。
私は、この世界に飛ばされてからどうしてか当たり前にこの世界の言語が読めていたから、気付かなかった。よく見ればこの本の文字は、ウェンカイン王国で現在扱われている文字とは明らかに異なる。多分さっき読んだ初代国王の手記も古語だが、救世主の名前と思われるおかしな綴り以外は全て読めていた。
「専門家が現代語に翻訳しており、翻訳後の本もこの部屋の中に保管されております。他の者はそれを読んで中身を知ります。……しかし、『都合の悪い内容』は全て、削除または改変されておりました」
今私の手の中にある貴重な本を、握りつぶしたり叩き付けたりしなかったことを褒めてほしい。それでも、抑え切れない思いにずっと、手が震え続けている。
「申し上げるべきだったことです、この翻訳は間違っていると。そして正しいものを自らの手で書き直すべきだったことは分かって、……いえ」
彼女の言葉途中で、私は目を閉じた。クラウディアの言葉が『本当』でも『嘘』でも、どちらでも良かった。どちらでも、もう、怒りが収まりそうになかった。
「私も何処か、他人事だった、かもしれません。私は、自らを守る為に、それを今まで」
「もういい」
強い声で、彼女の言葉を遮る。彼女が楽になる為だけの懺悔など、これ以上聞きたくない。
「君の立場だけじゃない。この国自体が揺らぐかもしれないことも分かってる。もういい」
椅子の上に六冊目を重ね、クラウディアに「片付けておいて」と短く言って部屋を出た。
「カンナ」
「はい」
扉を出ると同時に呼んだ。彼女は既に立ち上がり、私の後ろに立っている。
「……お茶、甘くなくて、熱いやつがいい」
「はい。すぐにご用意いたします」
ソファに座って頭を抱えている間にクラウディアは片付けを終えて部屋から出て来たし、間もなくしてカンナもお茶を持って戻ってきた。
「此方にご用意いたしました。火傷にお気を付けて、ゆっくりお召し上がり下さい」
「うん」
数秒を置いてから、私は顔を上げた。
カンナが用意してくれたお茶の香りを、ただ堪能する為に十数秒を取った。それから、言われた通りゆっくりと飲む。別に猫舌ではないから、ちゃんと気を付けていれば飲むのに苦戦もしないし、火傷もしなかった。
温かなそれが入り込み、喉から熱が伝わって胸の奥を撫でる。ようやくちゃんと、呼吸ができた気がした。
ふと視線を上げれば、クラウディアの侍女の姿が無い。どうやら一階の入り口付近に居るようだ。私達の傍には他に誰の気配も無く、事前に、クラウディアが人払いをしたことが分かる。
「君の『思惑』通りに事は進んだ? クラウディア」
微かに苛立ちを含む私の言葉に、傍で控えていた彼女が息を呑む。
「……いいえ。決して、そのようなことは」
彼女から伸びる『本当』のタグは、やっぱり、私の棘を増やすだけだった。……わざわざ自分で煽るようにして、自分の痛みを増やしただけなんてね。下らない。
「報告は、君の好きなようにしたらいい。私からは何も指示しない」
クラウディアは静かに首を垂れ、「畏まりました」と呟く。普段の彼女からは考えられないほどに、弱々しい声だった。
ティーカップを一度サイドテーブルに置いて、カンナの方を見る。言葉は無くとも呼ばれていることに気付いた彼女はすぐに傍に寄って来た。
「隣に座って」
一拍置いてから、カンナは「失礼いたします」と言って隣に座る。
「そこに居て」
「はい。私は」
彼女は何かを言い掛け、一度そこで言葉を止めた。続ける内容を迷ったようだ。
「……此処におります」
「うん」
クラウディアが傍に居るからか、最初に言おうとしたものから一部を省略した表現にしたようだった。だけど彼女が飲み込んだ言葉は私にはちゃんと伝わっていて、だから、此処に居てくれる彼女の気配が救いだった。
しばらくはそのまま、ぼうっとしていたんだけど。
一旦傍を離れていたクラウディアが戻ってきて「アキラ様」と声を掛けてきた。ちらりと視線を向ける。
「先程、お探しでした最後の一冊です」
「……今度でいいや。気分じゃない」
「それでしたら、此方は持ち出して頂いても構いません。写本が幾つかございますし、お返しがいつでも問題ありませんので。不要になりましたら、父へ送って頂ければと」
しばらく考えてから、本を受け取った。「次」を望むなら、また王様から何か依頼を受けて、その後になる。いつになるか分からない。
多少、機嫌取りみたいなつもりもあるんだろう。それに乗ってやってクラウディアを慰めるつもりではなくとも。私にとっても借りられるのは都合が良いから、もうどうでもいい。断る言葉を考えるのも、億劫だった。
「一階に下りる。そのまま飲むから、持ってきて」
「はい」
残したお茶をカンナに任せて、私はその本だけを持って一階へと下りた。
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